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「基地がなくなれば 天国に行ける」~カッコよかった“文子おばぁ”
笠原眞弓
文子おばぁ語録。「アメリカが勝ったから、私は生きている」「基地がなくなれば、天国に行ける」「沖縄に基地がなくなれば、日本中になくなる」。
8月17日夕方、参議院会館講堂で「辺野古の“文子おばぁ”がやってくる! 島袋文子おばぁを迎え沖縄に連帯する市民の集い」が開かれ500人が集まった。映画『標的の島 風かたか』の監督三上智恵さんが聞き手だった。会場の講堂はあふれ、別会場も満杯になる中で、初めて上京した島袋文子おばぁ(88歳)のお話を聞いた。たった30分だったが、内容は濃かったし、全身で安倍政権に対する怒りをほとばしらせ、戦争はしてはならないというメッセージを私たちに送ってくれた。
最初に三上さんが、島袋文子おばぁに初めての国会前に来た感想を聞くと、おばぁは「安倍総理に会いたかった。国民の命や財産を守ると綺麗なことを言っているが、その実、反対のことばかり。どういう風にして守るのが、そこを知りたい」と元気な声ですぐに本題に入っていった。
そして意外なことに、命の恩人はアメリカと言う。「もし、日本が勝っていたら生きていなかった」と。「日本軍がいつか助けに来てくれると思っていた。それなのに、沖縄の人間を殺した」。それは、消えることのない記憶。「だけどアメリカ兵は、降伏するとすぐにけが人、病人は手当をしてくれた。食べ物も…」と。
三上さんの映画にもあるように、おばぁは死んだ人間の浮いた泥水を飲んで生きてきた。最初は嫌がっていたのに、三上さんに何度も頼まれてその場に彼女を案内したら、その後体調を崩したと言う。それくらいおばぁにとって、辛い痛ましい経験なのだ。「目の見えない母と弟と逃げていたとき、夜、水を探してお母さんと、弟に飲ませた。明るくなってからふと見ると、死んだ人が浮いた。知らなかったんですよ」。
「安倍の言うこと聞いていたら殺される。戦争は、明日来ます、今日来ますと予告しては来ない」と絞り出すように話す。何もかも犠牲にして、命の限り座っている(午前中座り込んでいるそうだ)。「2回も救急車で運ばれたけど、どんなことをしても基地を止めようと思っている。本土の人が来てくれて、本当にありがたい。でもまだまだ足りない」。
「私たちは、死に物狂いです。歌ったり踊ったりしている。それは、惨めな思いして来たから、またああなってはいけないから元気にやっているの。基地がなくなったときは、天国にいける」と。
「北朝鮮のミサイルの迎え撃つと言っているけど、あれは小学生の考え方だ」と笑う。もっともっと、戦争はどんなものか、辺野古に来ていっしょにわかってほしい。沖縄に基地がなくなれば、本土にもなくなると力強く話した。
その後、自由の森学園の高校生の質問に応じた。
生徒A:修学旅行で沖縄へ。ガマにも入った。命の恩人はアメリカと言っていたが、心から思っているのか?
おばぁ:日本軍は、助けるわけがないの。住民の作った防空壕から追い出す。赤ん坊が泣けば、殺される。軍隊に殺されるよりは、自分の手で殺したの。実際に体験した話をしたかったけど、時間がなくてできなかったとおばぁは残念がった。
死んだ人をまたいで逃げなければならなかったことも、大きな傷になっているようだった。何回もその話をして、そうするより仕方なかったという。
生徒B:これからどうしていけばいいのか? 自衛隊派遣のことを聞くこともある。
おばぁ:どうしたらいいかではなく、命がなくなることはいつ来るか知らない。どうしたらいいとは言えない。自衛隊は軍隊といっしょ。戦争になったらどこから弾が飛んで来るかわからない。首がなくなっても、人は数歩歩くの。それを僕たちにどうしたらいいと聞かれても、答えられない。
生徒B:自分の目で見ることが大事と思っている。今回の話を聞いて、沖縄を見て見たいと思った。同時に、戦争体験してないから、自分の価値観を大切にして調べて行きたい。
生徒A:中学のとき初めて戦争のことを聞いた。今、感じることがあるけれど、本当に自分のこととして考えられているのか疑問。また、沖縄に行きたい。
おばぁ:72年前の戦争を教えられないのが悲しい。
講演後は、官邸前の抗議行動があった。参議院会館でのお話の後、少しの休憩の後に、車椅子で官邸前に現れた島袋文子おばぁは、さらに元気! マイクを受け取ると、渾身の力を込めてアベに呼びかけた。「安倍さん、安倍さんに手紙を託した島袋文子です」。続けて「あなたは美しい日本をつくると言っているけれど、戦争のできる国をつくろうとしているじゃあないですか」と。
そして「それほどにあなたが戦争が好きなら、あなたの故郷に全基地を持って行ったらどうなんですか。あなたの心は喜びますかどうですか」。最後に「私は基地がなくなるまで、頑張ります」と安倍首相への5分ほどのメッセージを締めた。口では言えないくらいならカッコよく、思わず「私も頑張る」と叫んでしまった。