「弘法(大師)も筆のあやまり、猿も木から落ちる」。
いかに超人・名人であろうとも、過ちを犯すの例えだが。
嵯峨(さが)天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並ぶ、ときの三筆の一人と言われた弘法大師だが。
その筆の見事さを称賛するエピソードには事欠かない。
両の手はもちろん、口で咥えてでも両足でも筆を巧みに扱い、五行詩を一気に書き上げるといった、奇跡を成したとも伝えられている。(!?)
その弘法大師も「筆を誤った」事があると言われる。
名人でも失敗する事はあるという意味で使う「弘法も筆のあやまり」の一幕だが、この事態が起きたのは京の大内裏の応天門に飾る額の文字を、依頼された時の事であった。
額に墨跡を記す事など大師にはたやすい事で、「応天門」とササッと書き上げて門に掲げたのだが、見上げた周囲の人間が驚いた。
「応」の文字の「心」の点が一つ抜け落ちていた。
が、そこは大師少しもあわてず、やおら筆を手にすると、額をめがけて投げつけた。
空を飛んだ筆は欠けていた点を記し、「応天門」は書き上がったという。
あやまりが後世まで語り継がれるのは、名人の証明といえるのだが。
やはり超人のなす事で、リカバリーにも落ちがないのかも。
私も下手な習字の手本で、大師揮ごうの「般若心経」を頂いた時には、しみじみと見いったものである。
もちろんコピーで、ですよ。