爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

沖ノ島参拝

2021-05-30 18:24:27 | 日記
かれこれ30年程前になるだろうか。

福岡県宗像市に鎮座する宗像大社の祭神「宗像三女神」をご存知だろうか。

宗像三女神はスサノオとアマテラスが誓約の際、アマテラスがスサノオの剣をかじり、息を吹き掛け生まれた神様達で、スサノオの子とされています。

宗像大社の祭神として祀られ、宮島の厳島神社にも宗像三女神として祀られています。

宗像三女神は長女に(沖ノ島沖津宮)タゴリヒメ、次女(大島中津宮)タギツヒメ、三女(田島辺津宮)イチキシマヒメと呼び、三姉妹とも美人で、ここから美人三姉妹という言葉が生まれたのかも知れません。

三姉妹の中でも、とりわけ美人と言われたのがイチキシマヒメで、水の神様だった事から、インドの神様の弁天様と同一化されています。

また、アマテラスから直接神勅を受け降臨した神様はニニギと宗像三女神だけと言われています。

それほど特別な神様だと言えるのでしょう。

その沖ノ島への参拝を願望する私達は、宗教法人名で宗像大社に参拝許可申請をしたのでした。

1ヶ月程のちに、許可が降りました。

宗像大社の沖ノ島勤務の職員は、一週間交代で海上保安庁の巡視艇で往き来しているのだそうです。

定期便のない島ですので、最寄りの神湊(こうのみなと)から漁船をチャーターし、片道2時間余りの海路を行くのですが、小さな漁船ですので不馴れな日本海の荒波は船酔いを誘発します。

往路は緊張のせいか、船酔いはしませんでしたが、復路の途中で吐き気を覚えていました。

学習しました。

船の揺れに逆らう様に肘を張って、身体を揺らさない様に乗っていると、酔いが来ることに気づきます。

揺れに身体を任せて乗っていれば、酔わない事に気づかされました。

漁船の船長には一時間後に、迎えに来てくれとお願いをして上陸します。

上陸した海岸で、住職と二人で全裸で海水に浸かり「禊(みそぎ)」をします

身仕舞いを済ませ、急坂な山を登ります。

山の中腹に小さなお堂があり、そこでお勤めをしました。

普通は願っても叶えられない参拝を、させて頂いた事への感謝を述べて、お堂を後にしました。

わずか一時間程の参拝でしたが、島そのものが宗像大社の御神体で、御神域の島です。

二度と訪れる事のないであろう経験に
感謝しつつ、島を後にしました。

この後船酔いで、あげそうになるのですが。

































































靖国と西郷

2021-05-30 10:00:29 | 日記
東京都千代田区にある靖国神社は、東京ドームの2倍以上の広さを持つ広大な神社である。

正月や祭りの時には参拝の人々で境内がごった返すものの、普段はひっそりと静まり返った祈りの場といった雰囲気が漂う。

ここに祀られている神様の数は246万以上であり、戦没者を英霊として祀っている為、国内でご祭神の多い神社となっている。

その割合は太平洋戦争の戦没者が一番多いのだが、中には坂本龍馬や高杉晋作、吉田松陰といった歴史的な有名人も含まれている。

しかし同時代の有名人にも関わらず、西郷隆盛は祀られていないのだ。

じつは西郷は意図的に外されたのだ。

靖国神社の前身である「東京招魂社」が創られたのは、1869(明治2年)のことである。

その目的は幕末維新の戦乱で国家の為に働き、命を落とした人々の霊を鎮める事だった。

龍馬らは戦乱で亡くなった訳ではないが、近代日本を築く上で大きな貢献をしたという事で祀られている。

それなら明治政府を樹立する際に活躍した、西郷が祀られていないのは奇妙な話ではないのか。

だが、東京招魂社を創建したのは明治政府なのだ。

西郷は途中から政府を離れ、担がれて西南戦争を起こしたと言われている。

つまり、反政府勢力として最期を迎えた為に、ここに祀るにはふさわしくないと判断された訳だ。

官軍として働いた者は優遇し、逆賊は許さないという明治政府の態度が、龍馬と西郷の処遇の差を生み出したのである。

城山での最後の西郷の言葉として「もう、この辺でよか」と自死したのである。

盟友であった、後に暗殺される大久保利通の意志が働いていた事も否めないのだが。