実家に着き、荷物を運び入れるも、まだ新しい生活が始まる実感がわかない。
二階の自分の部屋は高校を卒業した時のまま。
不思議な気持ちになる。
立場が違えど、母校にまた通い始める。
母親が毎日弁当を作ってくれるらしい。
自転車通を除けば、25年前にタイムスリップした感じだ。
せっかくだから、当時のことを少し書きたい。
僕達が高校に失敗して、二次募集で入学した時、特進クラスを作るのに尽力してくれた理科の先生が今の校長先生である。
高1の時、国数英の3教科について6人だけの特別クラスを作ってくれた。
10組Bクラスという名だった。
もともとなかった計画なので、朝課外も突然はじまり、全て見切り発車だったような気がする。
片道30キロの自転車通学できつくてたまらない時、何度もその先生の家に泊めてもらった。
勉強は教えてくれなかったが、ご飯を頂いたり、一緒にスポーツをしたり、今考えると感謝しきれない。
そして、その時の英語の先生が今の教頭先生。2年と3年の時、10組Bクラスの担任をしてくれた。
偏差値30代の一番苦手だった英語が半年で一番得意教科になった。
その先生がいなければ、今の僕はない。
当時は予習が中途半端だとグーで頭を叩かれた。とにかく恐い先生だった。
英語の勉強は正直なところ教科書しかしていないが、教科書に出てくる単語や文法は一つ残さず覚えた。
復習したわけではなく、予習の段階で、自分の頭で相当考えて授業を受けねばならなかったので自然と頭に入っていた。
予習を重ねていくうちに文の構造が見抜けるようになった。
余談だが…
僕が英語を教えた中3の生徒の中にも抜群のセンスを持っている生徒がいた。
長い一文でも、どこまでが主語で、動詞がどれとどれにかかっていて、どんな文法が隠されていて…など見抜く力を持っていた。
高校で妥協しなければ、必ず大成する。
特に国立大学の二次試験はまさにそれが問われるので本領発揮できるだろう。
英語は継続しなければ、力が落ちていく。筋トレと同じで毎日続けることが大切だ。
残念ながら、公立に合格した僕の友達のほとんどは、高校で英語が壊滅してしまった。
中学時代、一度も勝てなかった友達にもセンター試験で勝つことができた。
当時、センター試験は宮崎大学で受験したが、会場に僕がいることに驚いている友達がいた。
正直悔しかったが、皆英語が難しいと言っていたので、しょぼいかな、簡単だったと見栄をはる僕だった。
でも実際、簡単だったし、公立に合格したほとんどの友達に勝ったと思う。
僕にとっては公立高校に落ちたことが一番の分岐点だったと思う。
もし合格していたら、どんな人生になっていただろう?
そんなことを今まで数えきれないほど考えてきた。
いつも同じ結論に達するが、間違いなく凡庸な人生になっていたと思う。
あの苦しい経験がバネになり、強い心や頑張る自分を育んだと思う。
そしてその母校へ帰る。
気負いも全くなく、正直、何も考えていない。
人生どうにでもなる。目の前のことに没頭しさえすればよい。
いつもの話になるが、この半年、中3の担任ができて何かにとりつかれたように教えることに没頭できた。
いろんな仕事をせねばならなかったが、生徒のためにならぬものは、正直手を抜いた。
皆に迷惑をかけたと思う。でもそれでもいいと思った。嫌われようが、人が何と言おうが信念があった。
成績は覚えなくとも関心があれば自然と頭に入るし、忘れなかった。
何度も成績を聞いて、紙に書き留め、自分の教科の生徒の点数さえわからぬ講師に憤りを感じたこともあった。
宮崎に戻ってきても、卒業生のことがやはり心配でしょうがない。
今から3年間が本当の勝負。コツコツと頑張ってくれると信じている。
また新中学1年生で短期集中で英語を詰めこみ、教えた生徒がいる。
きっと頑張ってくれると思う。
新中学3年生にもよく質問に来てくれていた生徒がいる。頑張って欲しい。
とにもかくにも、周りの環境に流されず、信念を貫いて欲しい。
僕も負けず劣らず、勉強するつもり。
せっかく生まれてきたのだから、頑張って、頑張って、人生に勝利しよう!!
人生一回きり。やれるだけやってみよう。試練を乗り越え、勝利した時の喜びを想像してみよう。
応援しています。
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