おもしろき ー熊本、鹿児島、宮崎で過ごした日々🌟🌟🌟

おもしろきことのなき世をおもしろく!Carpe Diem. 人間万事塞翁が馬。人生いろいろあるから、おもしろい!

僕は宇宙人

2011年10月31日 15時27分13秒 | 
昨日も、夢を見た。

僕は宇宙人で、皮膚が緑だった。
みんなからいじめられ、悩んでいた。
ある日、少年が僕の家を訪れ、高い塔に僕を連れて行くという。
僕は騙されても構わないという気持ちで、頂上を目指した。
雲の上まで塔は続いていて、雲の上は楽園だった。

いろんなお店があって、すべてただだった。
世の中にはこんな凄いところがあるものだと感動してしまった。
ある店で箱の中身を当てるゲームをやっていた。
その店員も緑色の皮膚で、同じ宇宙人がいて、とても嬉しくなった。
箱の中身は何もない予感がしたので、何も入っていないと言うと、やはり、何も入っていなかった。
そのことでみんなからもてはやされ、英雄になった。
宇宙人なのに、英雄になれる。ここは天国だ。そう思い、苦しんでいる人をここに連れてこようと思い、再び地上へ降りた。
そこで目が覚めた。自分は宇宙人なんかではない。
が、自分に納得いかなかった。
それで、みんなの前で、僕は宇宙人という舞台をすることにした。
宇宙人として差別されることの苦しみをみんなにわかって欲しかった。
今一緒に働いてくれている先生たちが、みんなで、手伝ってくれ、本番の日を迎えた。
自分でびっくりするほどの演技力で、笑いやら、拍手喝采やらで、大盛況だった。
たくさんのスカウトが来て、芸能界デビューが確定した。
ところが、困ったことに、緑に塗ったペンキがとれない。
無理やり、タワシで腕をこすると、オレンジ色の血が出てきた。
この前見た夢は現実で、僕は本当は、宇宙人だったんだと確信した。
でも、あの舞台で英雄になった今、恐れることはない。そう思うと、宇宙人であることに誇りを感じ始めた。
そして、夢の中で、僕を訪れ、塔まで案内してくれたあの少年に会いたくなった。
僕は宇宙人で不可能なことなんてない。そう思い、少年のことを思い、瞬間移動を試みた。
少年は僕が来るのを知っていたらしく、微笑みながら、また塔に行くか尋ねてきた。
僕は塔に行きたくて、あなたに会いに来たのではなく、あなたにお礼に来たのですと言った。
そして、少年が一体何者であるのかを尋ねた。
少年は答えた。
あなた自身ですと。
鳥肌がたって、目が覚めた。
昨日、飲み過ぎで、頭が痛かった。
1秒も経たないうちに、現実だとわかった。
何故か、悲しかった。宇宙人もまんざらではなかったのかもしれない。

吉野家

2011年10月29日 00時51分58秒 | 飲食店・喫茶店・レストラン
吉野家へ初めて行ったのは高3の時で、博多駅の店舗だったと思う。

当時、宮崎に吉野家はなく、名前が有名だった吉野家の牛丼を食べるのは初めてだった。

今でも、その時、牛丼に生卵をかけて食べたのを覚えている。

今日も豚皿を食べたが、やはりうまい。

飽きそうで飽きないのは、そのあっさりした味からであろう。

一体、今まで、何食食べただろう。

これからもまたお世話になると思う。

ちなみに、今回でブログ400回目の更新。

見てくれている人、ありがとうございます。

教育実習

2011年10月28日 10時01分52秒 | 回想録
教育実習に行った時の夢を見た。

大学の時、学校の先生になるつもりはなかったが、気が変わるといけないと思い、教職課程をとった。
四年の頃、教育実習で母校を訪れた。
高校3年のホームルームを任せられ、緊張しながらも、大いに楽しんだ記憶がある。
一番早く出勤して、一番遅くに帰った。十二時間は学校にいて、雑用などすべてやった。

最後の研究授業では、校長、教頭など10人の先生が見に来た。
奈良時代の政治史のところで、道鏡などが出てくるところだ。
緊張したけれど、スイッチが入って気分がよかった。根っからの目立ちたがりやかもしれない。

夕方、みんなが帰った後、ホームルームのクラスの机を並べていると、女の子達が手伝ってくれるようになった。
学校の先生になるのもまんざらでもないなと思ったりもしたが、結局その道は選らばなかった。
青春の一ページとして、教育実習を生涯、忘れることはないだろう。

夢がまた昔を思い出させてくれた。ありがたい。

小さなことにくよくよするな

2011年10月27日 00時54分25秒 | 

今日は仕事が終わって、3人で うどんのウエストへ。
ちくわの磯辺あげうどんに肉をトッピング。

うまかった。

提出物が多くて、嫌になるけど、生徒に救われる。
小さなことにくよくよせずに頑張ろう。

しょせん全ては小さなこと。
13年前、そんな本が流行ったのを覚えている人も多いだろう。

 

小さいことにくよくよするな!―しょせん、すべては小さなこと (サンマーク文庫)
リチャード カールソン

アイランド

2011年10月26日 04時10分52秒 | 

大学に入って、読書にはまり、いろんなジャンルの小説を読んだ。
テレビは今でもそうだが、ほとんど見ない。

歴史小説が好きだが、涙することはない。
魂がふるえる小説にはたくさん出会った。

いつも、何がおすすめですかと聞かれ、夏目漱石のこころ、司馬遼太郎の国盗り物語などを薦める。

でも、一冊だけ、涙が止まらなかった小説がある。
廃盤になっていて、なかなか見つからないかもしれない。
クライマックスが最高だ。
森瑤子のアイランドという小説で、ハッピーエンドで嬉し涙がこぼれると思う。
最後まで読み終わった時、何かが変わるはずだ。
大きな本屋に行けばあるかもしれない。

騙されたと思い、読んで欲しい。

アイランド (角川文庫)
森 瑶子

空中神殿

2011年10月24日 12時32分42秒 | 
昨日は仕事を終えて、軽く飲み、映画三昧。
3本目を見終わったのは朝、7時。
それから、本を読み始めると、二行で眠りに落ちた。
不思議な夢で目が覚めた。
海岸線を自転車で通っているとき三度津波がやって来た。
三度とも予感がして、津波が襲う前に、近くの神殿に逃げこむことができた。

神殿までの階段は宙に浮いていて、足を滑らせたら、下へ落ちてしまう。
三度ともなんとか上までたどり着いた。
神殿からの景色がリアルで、人が次々に波にのまれていくのが見えた。
無事、自分だけ助かったことを母に伝えたく、携帯から電話するも繋がらない。
三度目の津波は本当に大きく、神殿の下は全て海になってしまった。
1人神殿に残されて、身動きがとれない。

それでも、自分の予知能力と生きていることに感謝しながら、波が退くのを待った。
10年経っても波は引かず、携帯は電池がきれていて使えない。
絶望のまま神殿に座るのはもうよそう。
そう思い、階段を降りて、海に入ろうとした。
降りるにつれて、水位が下がり、海に浸かることはない。
とうとう、下までたどり着き、完全に波はひいてしまった。
一度目の津波の時に、乗り捨てた自転車が、無事そこにあり、自転車に乗った。海岸線を走りながら、周りを見渡しても、津波の被害はない。
工事しているおじさんに、津波のことを聞くと、津波など来たことがないという。
神殿のことを話すと、言い伝えで、このあたりに昔、海に浮かぶ神殿があったらしい。
まだこのあたりが海だった頃、10年の間、神殿を守る守護が存在したという。
彼がある日、この辺りの海を陸地に変えてこの町を作ったという。
それが僕だとわかると、鳥肌がたった。

凄い経験をしたものだと、家に電話をすると、母親が津波は大丈夫だったか尋ねてきた。
10年、神殿にいた話をすると、笑われた。
昨日電話でしゃべったばかりだという。
いったい何が真実だか解らなくなり、天を仰げば、空に神殿が浮いていた。

夢じゃなかったのだ。そう思い、僕だけの秘密にすることにした。
夕陽がきれいで、海を眺めていると涙がこぼれた。

そこで目が覚めた。
最近は夢が複雑すぎる。
きっと意味があるはずだ。
さあ、現実に戻って風呂にでも入ろう。

また今夜の夢が楽しみだ。

迫田T

2011年10月22日 03時32分23秒 | 人物紹介

今週の土曜日は休み。
映画を見るには、気合いが足らない。
本を読むほど、心は病んでいない。
寝る前に何をするのか、迷う。
次の日が休みの日はいつまでも起きていたい。

20代の今頃は何をしていたのだろうと思い、日記をとりだす。

平成4年から、日記をつけていて、読み返すと、恥ずかしいのなんの。

その時の気持ちを率直に書いている。
到底、人に見せられる代物ではない。

しょぼいには間違いないが、若い時ほど、一生懸命生きている。
財布に16円しかない日も、しっかり生き延びている。ハチャメチャな生活の中に夢がある。
それでも、後悔するようなことはたくさんあって、タイムマシンがあれば、昔の自分にアドバイスしてあげたくなる。

27才の時の今日の日記は衝撃だった。
当時の男社員四人で、ジョイフルに昼御飯を食べに行った。
寒くなって来て、入試が近づいてきたという話をしていると、一番若い社員が突然、泣き始めた。
理由を聞くと、あと5ヶ月したら、もう卒業するから、教えられなくなる。出席の時の名前をもう二度と呼ぶことがなくなると思うとたまらないということだった。
1人が感傷的になると、伝染する。
昼間から四人で号泣してしまい、まるで宗教団体のようだった。
責任者だった僕を中心にまるで仕事のできない集団であったが、1日に12人入学があったりして、毎日が運動会のようだった。
時代が変わってしまったと言えばそれまでだが、最近は煩雑な仕事が増えたような気がしてしょうがない。
当時はパソコンもなく、ただ生徒と向き合うだけだった。
激しく怒って、壁を何回も壊したりしたこともあったが、一緒に泣いたり笑ったりすることも多かった。

データは管理せずとも全て頭の中に入っていた。

時代が変わって、それでは通用しないと言われるようになり、僕も少しずつ変わってきた。
パソコンをあれだけ嫌っていたのに、パソコンばかり触るようになった。

日記を読めば読むほど、やはり原点に戻らねばと思う。
理屈じゃない。テクニックでもない。
もう一度、目に光を取り戻すんだ。

最後に…
よく喧嘩して掴み合いになったり、一緒に泣き笑い、苦しみを共にした彼とのプリクラを掲載する。
名を迫田徹也という。
音信不通で、元気かどうかもわからないが、もし僕のブログに奇跡的にたどり着くことがあれば連絡が欲しい。


不思議の国のアリス

2011年10月20日 00時52分38秒 | 回想録
小学生低学年の頃、遠足で、小学校の近くにある、カッパの湖という名の湖に行ったことがある。

ずっと、そう思っていた。
グリーングリーンをみんなで歌いながら、山の上を目指す。
その緑色の湖は、底なし沼だとか、恐竜や河童などが棲んでいるとか、噂の絶えない湖だと記憶していた…つもりだった。

高校になって、ふとそのことを思いだし、弟と自転車でその湖を目指した。

しかしどこにもそれらしき湖はない。
弟に言われた。
「兄ちゃん、その湖、夢の中でみたんじゃないの?」
不安になって、数人の同級生に、その存在について尋ねると、誰も知らない。

みんなの記憶がなくなっているに違いない。そう思っていた。

大人になって、そのことをまた思いだし、友達を連れて、昔の小学校を訪れた。車を停め、記憶をたどりながら、一日中、近くの山を探してみた。
いくら探しても、そんな湖は存在しない。
駄菓子屋さんで、昔、この辺りに湖がなかったか尋ねるも、手がかり一つない。
正直、夢だったのかと自分を疑い始めた。
確かに、僕はリアルな夢を見るし、低学年の時だから、妄想していた可能性はある。
それでも、河童の湖という看板、グリーングリーンの合唱、友達との湖についての会話、それ以上にあの湖の色。
それらが全て夢だとはどうしても思えない。

もしかすると、僕は不思議の国のアリスで、僕だけが経験したのかもしれない。

傘がない

2011年10月19日 12時55分17秒 | songs
出社しながら

懐かしい歌が流れてくる。待ち合わせの交差点
初恋
風は南から
傘がない

ついつい、人の車で熱唱。
行かなくちゃ
君に会いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ
雨の中を

昭和の歌最高

僕はリアル20世紀少年

椅子の下

2011年10月18日 03時20分47秒 | 
うとうとしながら、夢を見た。

空に岩の塊が二つ浮かんでいる。
岩には鉄製の白い椅子が固定されている。

足場の面積は横になって、落ちない程度のもので、
地上まで、20メートル位だろう。

僕は岩の塊の1つの椅子の上に座っていた。
高所恐怖症でずっと震えていた。
夏になり暑くなると、下へ行きたくなった。
でも恐くて飛べない。

もう1つの岩の塊の男がついに、我慢できずに飛んだ。
下に消えて行き、多分命を落とした。
腹が減ってきて、いよいよ飛ぼうと決意した。
うまく飛べば死なずに済む。そう思いながら、椅子から手を離せない。
すると、台風の季節がやってきた。
椅子にしがみついて、何度も飛ばされそうになった。この風に乗れば、向こうに見える海まで飛んで助かるかもしれない。
それも賭けで、保証はない。
台風が止むと、椅子の上に座って考えた。
この椅子があるから、諦めきれないのだと悟った。
椅子を壊して、それから、死を覚悟して、飛ぼう。
もしかしたら、死なずに済むかもしれない。
いつまでもこの岩の上にいたところで、何も変わらない。
そう決意するやいなや、椅子を岩から引き抜いて、下へ投げた。

すると引き抜いた椅子の下から光が射した。

そこを掘ると、下まで梯子が続いていた。
夢の中で涙がこぼれ、目が覚めた。

枕が涙で濡れていた。