題名に名前を入れるとヤフーで検索した時、自分のブログに繋がるのではと思い、試している。
結果は如何に?
6月は仕事が急に忙しくなる。
モリモリ食べて、頑張るぞ♪
ではでは。
いつも訪問してくれて、ありがとうございます。
たまにはここに爪痕を残します。
みんなが幸せであることを願っています。(2017年8月15日、終戦記念日)
高木公徳
リボルテックタケヤ008 ゲゲゲの鬼太郎 ねずみ男 ノンスケール ABS&PVC製 塗装済み アクションフィギュア | |
クリエーター情報なし |
世界一わかりやすい英文法の授業 DVD6枚セット [DVD] | |
クリエーター情報なし | |
ビズハーツ |
腹へったので、近くのヒライで山ちゃんラーメン。
何か、急にラーメン食べたくなる時がある。
本当は細めんが好きだけど、遠いから、山ちゃんラーメンで我慢。
弟は昔、ラーメン同好会を作って、ラーメンの味をノートにまとめていたけれど、ラーメンにこだわりを持っている人って…たくさんいるよね。
さあ、できたの食べよう。ではまた。\(*⌒0⌒)b♪
マルタイ まるごと九州を食す 7袋入14人前 | |
クリエーター情報なし | |
マルタイ |
コーヒーを飲んで、\(*⌒0⌒)b♪
台風2号がやってくる。
昔から、台風が来ると心踊ってしまう。
何故かあの風の音が好きだ。
やはり、変わってるのかもしれない。
でも僕だけじゃない気がする。
往復4時間の距離だ。
朝は、課外があったので、5時半に家を出る。
当然、夕方課外もあったので、家に帰り着くのは8時を過ぎていた。
帰りは腹がへって、晩御飯が何であるのかがとても楽しみだった。
帰り着くと、9時までにご飯を済ませ、11時まで予習に追われ、それから風呂に入り、プロ野球ニュースを見るのが日課であった。プロレスがある日は睡眠を削るしかなかった。
テスト前は徹夜だった。
その日の帰りは自転車をこぎながら半分眠っていた。親は、気前よく、勉強に関することにはいくらでもお金を出してくれたが、お小遣いは月3000円で、1日ジュース一本飲めば、好きな服すら買えなかった。
それでも、高校時代は最高で、感動の毎日だった。
どしゃ降りの日、真夏の暑い日、真冬の星が輝いている寒い朝、台風の日、毎日の自転車での4時間は大切な思い出だ。
どんなにきつくとも、学校を休むことを考えたことはなかった。
どんなに熱があろうと、休むことは許されず、ふらふらしながら学校へ向かった。
そんな時代だったと思う。きつくとも夢があった。
あの頃の気持ちを忘れずに、恐れず、ひるまず、ためらわず、前へ進もうと思う。
いつか英雄になれることを信じて…
鍋をしていた。
鍋の中身が恐ろしい。
犬の顔をした魚。大きな目をしたうなぎより大きなドジョウ。煮ても煮ても死なない黄色のクラゲ。
何故か、絶対食べなければならなかった。
食べれずに苦しんでいると、授業が始まってしまい、早く行かなければならない。
気ばかりが焦り、刀を持って、鍋から逃げ出すと、ライトセイバーを持った宇宙人が襲ってきて、戦わねばならなかった。
何度か死にそうになり、逃げたかったが、教室から生徒が見ていて、戦わねばならない。
もうやられると思っているところで目覚ましがなり、目が覚めた。
それにしても、犬の顔をした魚がグツグツと煮えている姿は嫌な気持ちだった。
現実ばなれした夢を見ると、大体、夢と気づくのだが、昨日は本当に夢だとはわからなかった。
熟睡したいものだ。この夢が何を暗示しているのか解らないけれど、何らかの意味はあるはずだ。
イマジネーション豊かすぎるのも困ったものだ。
今日はいい夢見ようと思う。お休みなさい。
中2の頃、友達といかに自分の部屋の内装がかっこいいか、競っていた。
自分の部屋に友達を招いたり、友達の部屋を訪れたりして、自分の部屋の内装を自慢しあっていた。
当時、部屋をデコレートするうえでの必須アイテムはタペストリーであった。
あの頃の若者の部屋には必ず、タペストリーがあったと思う。
僕の部屋は我ながら最高で、赤いラジカセ、ジェームスディーンのタペストリー、テレビとビデオ、電話にクーラーまであった。
極めつけは数えきれないほどのカセットと漫画だ。それらをきれいに並べていて、友達を招くと喜んでくれた。
中3になると、自分の部屋だけでは飽きたらず、裏山へ秘密基地を作りに行った。
竹と針金で骨組みを作りビニールシートをかぶせ、小さな小屋を作った。
椅子と机を持って行き、雨の中、ポテトチップスを食べながら、漫画を読んでみたりした。
変わった少年だったと思う。小屋のすぐそばには、湧き水が流れていて、小さな池を作った。
金魚すくいで捕った金魚を三匹、その池にリリースした。しばらくすると、異常な大きさになり、驚いた。当時、チーターという名の猫を飼っていて、冬の寒い朝、チーターは自宅の庭で凍っていた。
家族に見せると悲しむと思い、スコップを持っていき、小屋のすぐそばにチータを埋めた。
当然、その日は学校に遅れてしまった。
こっぴどく怒られたが、言い訳をしなかった。当時の中学生にとって、優しいというのは恥ずかしいことだった気がする。
今まで、数えきれないほどの猫を飼ってきたが、自宅で死んだ猫はチーターが最初で最後である。
しばらくして、父親が枯れかかった植木を捨てようとしていた。
チータには墓石もなかったので、チーターを埋めたところにその植木を植えようと思い、父親から、それをもらった。
父はどうせ枯れてしまうのに、何に使うのか尋ねてきたが、答えなかった。
実際、植えてみると、その植木は枯れるどころか、元気を取り戻した。
しばらくすると、2倍の大きさになった。
僕には何故か、枯れかかった植木が復活する予感がしていた。
前にもブログに書いたことがあるが、成人するまでは一種の予知能力があって、たまに、絶対こうなるとわかることがたまにあった。もちろん、いつも、分かれば苦労はしなかっただろうが…。
いつの間にか、秘密基地のことを忘れてしまい、大学になって、ふとその秘密基地のことを思い出した。
帰郷することがあり、裏山に行くと、そこには新しい家が建っていた。
池があったところはコンクリートで固められてあり、植木があった場所は駐車場になっていた。
しばらくそこに立ちすくんでだ。
しょうがない、しょうがないと自分に言い聞かせた。
形あるものが崩れる時、何とも言えない寂しさが襲ってくるのは僕だけだろうか?
ものや風景には命はないけれど、そこで過ごした思い出がある。
そこからの点景を生涯、味わえないと思うとたまらなくなる。
職場が57号線沿いだった時、夕陽が異常にきれいだったことをここに書いたことがある。
閉鎖が決まったその3月、ある女の子の父親が、2階のロビー前のベランダで、夕陽を見ながら、涙を流していた。
おもいきって、話に行くと、娘が高校生になることと、毎日のように送り迎えをしていた日々が昔のものになってしまうことがたまらかったらしく、もうここから夕陽を見れなくなるので、目に焼きつけておきたいということだった。
僕ももらい泣きをしてしまった。
共感できる人がたくさんいる。思い出は財産だと思う。忘れてしまうことはあるが、ふとしたことで、記憶が戻ることがある。
これからも一生懸命生きて、素晴らしい思い出を作り続けようと思う。
家の近くに足長蜂の巣があって、血気盛んにも、友達と退治に向かった。
当時、蜜蜂にしか刺されたことしかなかった僕は、喜色満面に棒を巣に向かって振りかざした。
結果は悲惨であった。
最初に左手の小指を刺され、激痛が走った。
その後、全部で6ヶ所。こめかみに刺された時は、死ぬかと思った。
他の5ヵ所の痛みを全く感じれないほど痛かった。
登校時、まむしに攻撃して噛まれた友達もいる。
当然、救急車に運ばれ、一命はとりとめたが、毒蛇に攻撃する神経を疑った。
蜂に攻撃する僕も変わらないと言えば変わらないのだが…。
靴の中にムカデが入っていて、救急車に運ばれた友達もいる。
当時は自然との繋がりが大きく、今では味わえない経験がたくさんできたものだ。
その時は大変だったかもしれないが、全部、よき思い出である。
自然で思い出したが、当時は環境に対する意識が皆低く、空き缶を車の窓から投げるのが普通で、川はごみだらけだった。
砂浜で遠足があった時は、先生達が砂浜に大きな穴を掘って、空き缶やらビニールやらの全校生徒のごみを埋めていたものだ。
今でこそ考えられないが、当時は普通だった。
足長蜂から、いろんなことを思い出したが、時代の変化に改めて驚いてしまう。
そう考えると平成も捨てたものではない。経済が破綻寸前で、苦しい世の中ではあるけれども、上を向いて生きて行こう。
きっといい人生が待っているはずだ。
家から一歩も出ていない。気力をためる日だと思う。冷蔵庫にたくさん食べ物がある。
食べては寝、食べては寝を繰り返して、明日には完全復活だ。
何も考えずにテレビを見る。映像に疲れたら、本を読む。
たまにはこんな日もあってよいと思う。
夕方、気力が回復すれば、温泉にでも行こうと思う。今日は一年分眠るぞー。
無気力なのにはワケがある 心理学が導く克服のヒント (NHK出版新書) | |
クリエーター情報なし | |
NHK出版 |
深夜一時、仕事から車で帰宅していると、ラジオから、カーペンターズのスーパースターが流れてきた。
満月の光の中、カーペンターズを聞きながら運転していると、15年前の記憶が甦った。
当時、僕は今の会社の日向の地の新入社員で、10時半になると、必ず、カーペンターズのイエスタデイ ワンス モアを流すことになっていた。それが流れると、生徒は全員帰らなければならなかった。
全てがよき思い出で、今と同様、一生懸命だった。
まだ二十代半ばの僕は、今から考えると右も左も分からない状態であった。
ただ一生懸命が伝わったのか、生徒には人気があったと思う。
その時の上司の名を海老原研一という。
先生は激しく怒鳴る反面、異常に優しかった。認めてくれる上司がいつも、近くにいてくれるだけで、どんなに忙しくとも、頑張ることができた。
2年目に責任者になり、それから数年は他社員との仲がうまくいかなかった。出社の時、何度も建物の周りをまわり、中に入るのに踏ん切りがつかないことが多々あった。生徒だけが心の支えだった。
そして、5年ほど前、熊本に配属になった時、その時の熊本全校の長が海老原先生であった。教室は違えども、久々に再会して、心踊ったことを思い出す。
残念ながら、先生は二年前、宮崎に戻ってしまった。
責任者が長い今でさえ、海老原先生にとって、僕は新入社員のむままで、いつまでも頭が上がらない。
今、同じ職場に一緒に一生懸命、働いてくれる素敵な社員がいる。本当にありがたい。
ただ一つ思うのは、もう数年、海老原先生のような素晴らしい上司のもとで働いていたら、もっといい仕事ができるようになっていたかもしれないということだ。
そんなことを考えようが、時は戻らない。目の前にあるものに全力を注ぐしかない。
音楽は全てを思い起こさせてくれる。
また明日もラジオに耳を傾けよう。
懐かしい自分に会えるのを期待しながら…
朝から
会社の全体会。
そして、菊陽で、三人でほか弁大会。\(^-^)/
皆、チキン南蛮。
うまし。
疲れて、封印してたコーラを飲んでしまった。
やばし
コーラ、最高
コカ コーラ 缶 250ML × 30缶 | |
クリエーター情報なし | |
東京コカコーラ |
コシヒカリに鮭フレークと明太子のりとマヨネーズを加えると、絶品ご飯ができあがる。\(^-^)/
コンビニやファミレスより絶対うまい。
ヨーグルト、野菜ジュース、納豆、チーズを食べて、キター
今日も1日頑張るぞー。