<英雄たちの選択>石川数正 なぜ家康の忠臣は出奔したのか? 書状手掛かりに真意に迫る(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/e0daa4925bde0e21b1c958a485d792095c6a244b
石川数正は幼少のころから松平元康(家康)に仕えていた側近中の側近。
元康が今川家の人質だった時、9歳年上の数正は駿府に随行していた。
1560年、数正が27歳のときに桶狭間の合戦で今川義元が討ち取られ、これを契機に元康は松平家の独立を目指す。
ここで問題になったのが、元康の妻子。
妻の瀬名(築山殿)、
長男の信康、
長女の亀姫は駿府に残されていた。
数正は、このとき今川家の重臣・鵜殿長照の2人の息子と、瀬名・信康・亀姫の交換という難しい交渉を見事に成功させる。
さらに今川家から独立したことで、西の織田家と同盟を結ぶ必要があり
数正は松平家の代表として織田方と交渉、
対等な形での同盟を成し遂げる。
数正の外交官としての能力は、こうして徳川家を支え続けた。
そんな数正がまさかの出奔
タイムスリップできるなら、石川数正に聞いてみたい。