日本の柔道家で「平成の三四郎」と言われた古賀稔彦さんが病気のため53歳の若さで亡くなったというニュースが流れました。
若すぎます(涙
古賀さんは、常に1本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投げが得意技でした。
90年4月、全日本選手権決勝で小川直也(左)と対戦した古賀稔彦さん。小川は193センチ、130キロ、古賀さんは169センチ、76キロで2人の体重差は54キロだった
まさに、古代中国の老子の思想を基調に書かれたと言われる「三略」の中の一節
「柔よく剛を制す」の柔道で柔道界を沸かせてくれた方でした。
かなり古い話になりますが、
柔道競技が初めて採用された1964年の東京オリンピックで無差別級で、大柄のアントン ヘーシンクと戦い、敗れて銀メダルに終わった「神永明夫」という柔道家をご存知でしょうか。
当時私はまだ2歳でした。
歳がバレる(笑
この柔道世界一の座を賭けた戦いの物語は、随分前にNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で紹介されました。
(もちろん録画しました)
このオリンピックでヘーシンクに敗北したことで、メディアからは「日本柔道の敗北」という批判が日本柔道界と神永さんに対し浴びせられました。
ほんと、メディアって残酷
神永明夫さんの人柄がわかる下のエピソードが好きです
Wikipediaより引用
神永がヘーシンクに敗れたその夜、新日鉄の同僚(正確には上司の佐々木)達が神永の家を訪ね酒を勧めた。神永は居留守を使う事なく部屋へ招き入れ、ただ一言「ヘーシンクは強かったです」と素直に認め、それ以上は語らず悔し涙を流す事も無かったという。その翌日、神永は何事も無かったように定時に出社し、仕事を始めていた。神永の人となりを表すエピソードとして知られている。神永は常々、柔道だけではなく社会人としても全うに生きたい、という考えを有していた。
「礼に始まり礼に終わる」が武道の精神と言われるように、武道家の方達には人間的にも魅力的な人が多いですね。
神永さんもまた、58歳という若さで亡くなっています。
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中国・武経七書の一つ「三略」
漢の高祖劉邦に従えた軍師として有名な張良が、老人より渡されたと言われる兵法書。
上略
国と人
国を滅ぼし家を破るは、人を失えばなり。
中略
義者と知者
義士を使うに財を以ってせず。
故に義者は不仁者のために死せず。智者は闇主のために謀らず。
柔・剛・弱・強
軍しんに曰く、
「柔能く剛を制し、弱能く強を制す」と。
柔は徳なり、
剛は賊なり。
弱は人の助くる所、
強は怨みの攻むる所なり。
柔は設くる所あり、剛は施す所あり、弱は用うる所あり、強は加うる所あり。
この四者を兼ねて、その宜しきを制す
下略
楽しみ
人を楽しましむる者は久しくして長く、身を楽しましむる者は久しからずして亡ぶ。