司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、日露戦争とその時代を生きた明治の青春群像を渾身の力で書き上げた「坂の上の雲」を原作として描く人間ドラマ。
明治維新によって、はじめて「国家」というものをもち、「国民」となった日本人。
近代国家をつくりあげようと少年のような希望を抱きながら突き進んだのが「明治」という時代であった。
松山に生まれた3人の男、バルチック艦隊を破る作戦を立てた秋山真之、ロシアのコサック騎兵と対等に戦った秋山好古、そして俳句・短歌の革新者となった正岡子規。
彼らは、時代の激流に飲み込まれながら、新たな価値観の創造に立ち向かい、自らの生き方を貫き、ただ前のみを見つめ、明治という時代の坂を上っていった。
生まれたばかりの「少年の国」である明治の日本が、世界の中でいかに振る舞っていったかを描く。
【原作】
司馬遼太郎
【脚本】
野沢尚
柴田岳志
佐藤幹夫
加藤拓
【音楽】
久石譲
【メインテーマ】
「Stand Alone」
第1部 サラ・ブライトマン
第2部 森麻季
第3部 麻衣
明治維新を成功させて近代国家として歩み出し、日露戦争勝利に至るまでの勃興期の明治日本を描いた、司馬遼太郎の歴史小説、「坂の上の雲」を図書館で借りてきて読んだのが40代。その後NHKで放映されていたテレビドラマを見た。圧巻のドラマで感動したのを今でもおぼえている。
この度、再放送することとなり録画して見ている。
渡辺謙の「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」のナレーションか物語は始まる。
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。
財政が成り立つはずは無い。
が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。
四国は伊予の松山に、三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。
もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。
彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。
兄の好古が弟の真之に言った、
男子は生涯、
たった一事を成せば足る
そのために
敢えて身辺を
単純明快にしておくんじゃ
の言葉が心に響く。
とにかく俳優陣の熱い演技に圧倒される。
俳優達は、明治維新後一生懸自分がなすべきことをやってきた各々の役柄を理解し
生き生きと演じており、その熱量がそのままこちらの心を動かすのだろう。
明治維新後の日本を知る上で勉強になるドラマだ。
小説も、日露戦争はたまたま日本が勝ったと思ってい野を覆されました。
勝つべくして勝ちをとった勝利でした。
昨年が司馬遼太郎の生誕100周年でした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/745b6910e8431c4459f2ea4d1d40cccc
二十世紀に至るまでの日本と日本人を見つめ続けた司馬さんの作品です。
司馬遼太郎さんは昭和時代の作品を描いていない。
自身が体験した昭和の戦争は描けなかったのかもしれませんね