久しぶりの日記です。
相変わらず波乱万丈の人生ですが、
辛い事ばかりではなく幸せな事も沢山、まさにジェットコースターのような人生
喜んだり怒ったり、哀しかったり楽しかったり
それでも明けない夜はないのだと前を向いて歩いてる自分がいます。
厄介で腹立たしく、時には小競り合いを繰り広げる主人とは
「それでも最期までこの人と」という思いでいるのは確かなようで
「子はかすがい」というより、「孫はかすがい」とでも言いますか、
男の子の孫3人の「じいじ大好き」が主人の強力な味方となっています。
チクショー
一昨年はツギオ(次男)夫婦に男の子が誕生し(現在1歳8ヶ月)
昨年はミツオ(三男)が結婚しました。
大学在学中に青島大学に2年間留学した彼は、
向こうでお嫁さんまで見つけてくるという快挙(?)で
知的でしっかり者、タフだけどちょっと抜けてる「ハルちゃん」が
ミツオのお嫁ちゃんになりました。
そして私は古巣へ戻り、今月16日から看護師として働いています。
去年の11月に近場の介護系の施設で看護師として就職したのですが、
どうしても馴染めず、2ヶ月弱で挫折。
「戻ってこないか」と声を声がかかっていた元職場で再び働く事になりました。
以前の、看護師は1人の健診センターから、今度は消化器病センターでの勤務です。
この部署で働く看護師は35人ほど。覚える事だらけで目の回るような忙しい部署ですが、
看護師1人で孤独だった以前の部署とは違い、
看護師らと一緒に仕事というのが実に新鮮です。
しかも皆さんお馴染みの顔であり、働く部署だけでなくいく先々で、
「お帰りなさい!」と歓迎してもらい戻ってきて良かったと思っています。
思えば、つくづくこの病院に「縁」があるんでしょうか。
もともとこの病院の患者の1人だった私は
病院の「看護師カムバックセミナー」に参加した事がきっかけで
健診センターで働いてみないかと声がかかり、長いブランクを経て看護師復帰。
そしてこの職場での上司にあたる内科外来の師長が、私と同郷で
しかも私の幼馴染の娘と、師長の甥っ子が同級生だという事で一気に距離が縮まり、
就職してすぐ最愛の母と弟を亡くし、悲しみ途方に暮れていた私を
「私たちは看護師というプロ。白衣の力を借りて仕事をに打ち込むといい」
と言って励ましてもらいました。
この先彼女のこの言葉が私の支えとなりました。
車で20分ほどの職場は、自宅から東の方角。
お天気の良い日、
お気に入りの曲を聴きながら朝日に向かって車を走らせます。
太陽の日差しをを浴びながら、仕事モードにスイッチを切り替えます。
そして帰り道、
オレンジ色の、大きく見える夕日に迎えられるようにして帰路につきます。
二上山に沈んでいく夕日の美しいこと。
この行き帰りの、なんと気持ちの良いこと。
お天気の良い日は、何にも変えがたい至福の通勤なのです。
ああ、今日も1日頑張った、良い1日だったと。
生きてることの幸せ
仕事をできることの幸せ
帰る場所があることの幸せ
「お帰りなさい」と迎えてくれる人がいることの幸せ
色々な人、いろんな事に感謝をする気持ちを忘れないで、
この先も前を向いて行こう。
私が看護師になる道筋を作ってくれたのは母です。
専業主婦だった母は娘に「働く女性」になって欲しかったのです。
再び看護師として働き出した私のことを
1番喜んでくれているのは母だと、私は思っています。
「母ちゃん、私は大丈夫だよ」