阪神大震災きょう28年 街と心の「生」願う 各地で追悼行事(毎日新聞) https://news.yahoo.co.jp/articles/c6830200a8a09c9c1e183a0e1a0ccafbbb8b9648
阪神・淡路大震災は、1995年1月17日に、兵庫県南部地震により発生した災害を指す。
1995年1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3 の兵庫県南部地震が発生した。
近畿圏の広域が大きな被害を受けた。
忘れもしない26年前のあの日の朝
2階で寝ていたベッドで
突然、ドン!と突き上げるような衝撃のあと大きな揺れがしばらく続き、あわてて一階のリビングに降りテレビを付けると、
とんでもないことになってしまってることに唖然となりました。
奈良の震度はどれくらいだったのか記憶にはありません。
奈良は特に被害もなく
我が家の庭の五重塔の灯籠の頭が落ちて居たことで、これまでにない大きな地震だ
ったことが分かりました。
子どもたちは普通に学校にいきましたが、
あの日私は、一日落ち着かずでした。
兵庫の芦屋に住んでいた親友の実家は全壊でした。
自分たちにに出きることを、と学校や息子たちの所属するクラブでした寄付を集めたり、物資を送ったりしていました。
いち早く物資を抱えて行った知人から神戸の惨状を聞いて震えたのを覚えています。
南海トラフは、いつ何時起きてもおかしくないと言われています。
私の地元で活動している「西大和6自治会連絡会」も去年20周年を迎えました。
どれだけ備えていてもやってくるのが震災です。
以前、災害ジャーナリストであり防災士でもある瀬尾理さんの講演を聞いたことがあります。
『3,3,3,3を覚えておくとよい』
3分:
地震は長くても3分
3時間:3時間は頭が真っ白な状態。
家族の安全の確認をするのがやっと
3日間:
インフラの打撃を受けた大きな災害の後は、
3日間は行政などの応援・支援は来ないと思ったほうがいい
3ヶ月間:
やっと仮設住宅などが建ち始めるが、大きな災害地では、住む家を失った人たちが違う土地に引っ越したりで、
地域のコミュニティ自体が大きく変化してしまう。
3分の地震の間にできること
:とにかく身を守れ
3時間の間にできること
:地震がおさまった後に、おそらく家族の安否を確認するだろうが、 まず携帯は使えなくなる。
固定電話も回線がパンクして使えない。 遠方なら繋がる可能性がある(被害地から離れているから)
そこを家族など緊急連絡先にしておくと良い。
常日頃から緊急事態の際の連絡場所、避難場所を話し合っておくこと
その後は、隣り近所声をかけて安否を確認、とにかく備えておいた備品や食料などで3日間をしのげ。
水は一人1日1リットル
:ペットボトルに水を常に準備しておく。古くなれば取り替える
食料:二日分のインスタント食品を準備しておく
ガスコンロ、ガスボンベ(最低2本)を準備しておく
乳児がいる場合は、二日分の粉ミルク・水の準備
女性の場合は生理用品の準備。
災害後は、水、粉ミルク、生理用品はなかなか手に入らなくなる。
ガスコンロ、ガスボンベなども、災害直後は手に入らないだろうから備えておくこと。
火:真っ暗では何もできない。不安で眠れない。小さな火でいいから、火が必要
ジャムなどの空き瓶でサラダ油(廃油でかまわない)、ティッシュ、アルミ箔を使って
簡易のろうそくを作れ
忘れた頃にやってくる地震。
今日は、防災リュックのチェックをしよう
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