1997年の3月末、 小学校を卒業した12歳の長男はシドニーへ留学するため日本を経ちました。
彼のシドニーでの留学期間は、UTS(シドニー工科大学)を卒業するまで11年に及びました。
かれこれ25年前の話です。
12歳でシドニーに留学した長男、 ホームシックにもかかったが10ヶ月の英語学校を無事卒業し、
語学校を無事卒業し、タウンホー ル駅の真上にある st andrews cathedral schoolの受験に合格したのは1997年13歳の時です。 中学校、高校とここで6年間通いました。
長い夏休みと冬休みは日本で過ごし、家族と一緒にいられるこの休みはそれは彼にとって一番楽しみにしていることでした。
解放感で一杯の休暇中、足を骨折してしまった長男.....。
◆2002/7/19(金)◆
シドニーから日記を書いております。
ホームページ作成ソフトHotallを持参。
document の中身もCDにそっくり焼いてこちらに持ってきて、息子のパソコンにインストールしました。
せっかく腐るほど時間があるのですから、
こちらでせっせと更新します。
ただしサーバーにアップするのは日本に帰国してから。
日記を読んでくださっている奇特な皆さん、
がんばって読んでください。
本日朝、骨折したナガオとともにシドニー入り。
松葉杖のナガオと大荷物を抱えての渡航に
山のような不安を抱えていたのですが、
航空会社の手厚い対応で、何の問題もなく無事に到着できました。
関空に着くなり、車椅子を持ってスタッフが現れると、飛行機に乗るまで、同伴してくれて車椅子の走行もスタッフ)
経由地のブリスベンでも、車椅子を持って現地のスタッフが登場。
到着地のシドニーでも、車椅子を持ってスタッフが現れ、私たちがタクシーに乗るまでずっと同行してくれました。
案ずるより生むが易し」とは、このことですね。
苦労したことといえば、ホームスティ先に着いて、家の中に入るまでの階段で、大きなスーツケース2個を、引きずるようにして運んだことでしょうか。
長男は使いものにならない状態ですから(足の骨折)
スーツケースといっしょに転がって今度は私が骨折!などという最悪な結果だけは避けねばと、ありったけの力を出しましたわ。
ふんがっ!!!!!
こういうとき、小さい体をとことん恨めしいと思うんだわさ。
ホームスティ先の主は、ダイアナという女性。
子供たちもすでに独立し、ご主人とも離婚して
一人暮らしをしている年配の女性。
職業は、なんだろ、いくつかかけもちしてやってるみたい、多分
東洋の文化に強い憧れを抱いている方のようで
いたる所に東洋の置物が置かれています。(置きすぎ)
仏像類やら、陶器やら、すごいのになると、一昔前の日本のお店の看板とか。骨とう品屋に持ち込めば、高い値段で買ってもらえそうなものまで。
彼女へのお土産は、玉露のお茶と急須。
明日にでも、私の入れるお茶を飲んでもらいましょう。
こちらは日本と季節がまったく逆で真冬なわけですが急な気温の変化に、わたしの体はまだ気がついていないようで
え、あたしの体って、そんなにどんくさい??
ってな感じ。
明日あたりから、じわじわと寒さを感じるのではないかな。
風邪引かないようにしないと。
さて、これから食事の用意が大変です。
家の人に作ってもらって遠慮しながら食べるより
自分で料理して食べたい、というこちらの希望通り(ちゃんと、その分のお金も払うわけで)
冷蔵庫の中の材料を勝手に使って料理をすることにします。
といっても、自分の家で作っているような料理が作れるわけでもなし。
とりあえず、今日の昼は、トーストを焼いて、
分厚いベーコンと目玉焼きに野菜をつけて、
朝食のような食事にしました。
夕飯は、家人が用意してくれたステーキ肉を焼いて、ご飯はカリフォルニア米を炊いてみる。
カリフラワーを塩コショウでさっと炒めて、
簡単なグリーンサラダをつける。
明日は、ちょっと一人で商店街を歩いてみて
食材探しでもしてきます。
ああ、それにしてもすでに味噌汁が飲みたい。
月曜日は、病院です。
最初の診察だけで1万2千円かかるんですってよ!!
ナガオの学校が始まるのが来週火曜日。
電車での通学は、うまいこと行くのでしょうか。
日本組(オット、ツギオ、ミツオ)も
がんばっているかな。
会社と自宅を行き来しながら、朝、昼、夕の食事作りをするというオット。
私との小遣い交渉で花の水遣りを任されたミツオ。
夏期講習が始まるツギオ。
大変だろうけど、がんばりたまえ。
シスアドの勉強一式をこちらにもってきました。
7月いっぱいの、シスアドの試験対策講座が受けられなくなったわたし。
こちらで一人で勉強してみます。
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