CPAP(シーパップ:持続陽圧呼吸療法)
機械で圧力をかけた空気を鼻から気道(空気の通り道)に送り込み、気道を広げて睡眠中の無呼吸を防止する治療法。
CPAP療法は、1998(平成10)年に健康保険適用になった。
主人はSASです。
睡眠時無呼吸症候群
実家の婦人服の会社の金庫番になるはずだった主人
私と結婚を機に、畑違いの石材関係の会社を起業した。
柔らかい繊維から、固い石への起業です。
働き者で「鉄人」と呼ばれた主人は、当時流行した、リゲインのCMのキャッチフレーズ
「24時間戦えますか」を地で行くような働き方をしていた。
昭和から平成に移り変わった1989年。
俳優の時任三郎が、徹夜もなんのその。
猛烈に働くことが良しとされたあの頃の日本。
主人だけではなく猛烈社員が世界中を飛び回ってた。
自分の身体のメンテナンスを後回しにした結果
主人の身体は、ガタガタになってしまっていた。
致命傷は、
結婚前、主人のバイクに車が後ろから追突、ムチ打ちになったこと。
その後遺症に苦しみながら、
頚椎の症状は悪化。
今年5月に「椎弓形成術」で全身麻酔でOP
手術は成功するも、第2
頚椎~第5までの損傷で、削ったり人工骨をいれたりとかなりの重症だったこともあり、術後リハビリ専門の病院に転院してリハビリに励むも、手足の痺れは改善されず。
湯治でもやってみるか、と今週火曜日から和歌山の白浜にいる主人です。
私は金曜日の昼から、バスと電車を乗り継いで白浜へ。
仕事と太極拳教室は休めないので、週末を白浜で過ごします。
主人は70歳手前
私は還暦を昨年迎えた。
2人共、マグロ体質で回遊魚の如く動き回るので
流石に、これではいかんだろうと
主人は抱えている仕事を減らしながら、私も働き方を見直しながら、残りの人生は身体を労りながら生活を実行します❗
~次回に続く~
何処の病院に行っても手術しか無いと言われましたが或る日、NHKで出している医学の雑誌に中指を揉んで治った人が居ると言う事を知り2年間、休まずに続けました。
頚椎症に関してはは5本の指に入る医師(紹介状が無いと1年程待たされると言う事でしたので今、通っている外科で紹介状を書いてもらい病院を訪れました)の所でMRIをとりましたところ結果は「何処も悪くないです」
狐につままれた思いでしたが指もみが効いたのかは分かりません。
いずれにしても今は全く痛みを感じる事は無くなりました。
ただ左手の後遺症はそのままです。
今、注意している事は首を後ろにそらさない事でしょうか。
ご主人さんは手術をされ地獄の様な痛みからは解放されたのですね。良かったですね。
どうぞ、ゆったりと白浜でお過ごし下さい。それが一番だと思います。
たかさんのコメント、主人に読んで貰いますね。
手術は成功したんですが、手足の痺れはのこったまま。
何でもできたのが、できなくなって落ち込んでた主人ですが、努力家で諦めない人だから、頑張ってます。
というか
残りの人生はのんびりと心穏やかに過ごしてほしくて。
私が横にいることが一番の薬だと思っています。
次回の湯治は、佐賀の妹と3人です。
呑助で、とにかく何もせず食べて寝てダラダラ過ごすのを楽しみにしている妹も
「鉄人」です。