同じ国際交流団体の組織で
同じように留学の準備をしていたN君が、
つい先日ツギオに一ヶ月遅れでアメリカニューヨークに経った。
彼がアメリカを経つ日が近くなってから
彼の母親からメールが来るようになった。
アメリカに着いた彼から連絡がないことで
落ち着かなかったり、
息子がいなくなり、一気に気が抜けってしまった
母親の切なさが綴られているメールを読むのは
わたしも辛い。
ツギオがアメリカに経ったのは
一ヶ月前。
彼は「連絡がないのは元気な証拠だと思って」
の言葉どおり、3週間も連絡をしてこなかった。
着いたという連絡すらも。
そして、ツギオから連絡が入ったのは
幼いころからの付き合いの、
近所のOちゃんのお母さんへのメール
「生きてると伝えて」
「母のメールアドレスを教えて」
と言うものだった。
ツギオは、わたしのメールすらも控えていかなかったのだ。
そして、私より先に
ツギオを息子のようにかわいがっているOさんのところへ
メールがあったことに、
ショックを受け、Oさんに少し嫉妬したのだった。
それから数日してツギオからメールが来た。
そこには連絡をするのをずっと我慢していたこと、
考えていた以上に辛いことが、つらつらと書かれていた。
泣きたいときは泣いて、
がんばりすぎないこと、人と競争しないこと、
できなくて当たり前だということ、
自分を卑下しないこと、楽しみを見つけることなど、
ツギオの気持ちをどうやったら落ち着かせることができるか、
メールを通してエールを送った。
12歳でナガオをシドニーにを出して
散々親子でつらい思いをしてきたつもりだけど、
ツギオは18で、ナガオよりずっと大人なわけだけど、
この年齢が決して成熟していいない年齢だということもよくわかる。
まだまだ子供なんだ。
でも、それを覚悟で出たんだもの。
この苦労はお金に換算できない財産になってくれたら、と思うし、
つらい思いをしてまで決行した留学が、
ただ辛かったで終わるか、
収穫を得るかは、ツギオの心がけ次第だと思うので
今の辛さに耐えてほしいと思っている。
そして、
辛い思いだけではなくて
日本では経験できないたくさんの経験を向こうでしてほしいし、
たくさん友達を作ってほしいし、
異文化に触れて、自分の物差しを長くしてほしい。
広い視野で、物事を考えられる人間になってほしい。
つい先日のメールを読んで少しほっとした。
そこには、考え方を変えたこと
(今の環境にあわせて気持ちを切り替える必要があると)、
気持ちが楽になって友達とも仲良くやってることなど、が書かれていた。
6週間の短い間だったけど、留学生を受け入れて、
今、彼(テキサスボーイ)の気持ちを考えることが時々ある。
言葉が通じないことがどれほどのストレスになり、
分かり合えないことがどれほど辛いことで、
そこからどれだけの誤解が生まれるかもしれないことなど。
私が留学生を引き受けて学んだことは、
言語が通じないことより、相手に気持ちを伝えようという気持ちや、
相手を尊重しようという気持ちのほうが大事だということだった。
ツギオには、家でのこの短い6週間の体験から、
向こうでの生活に大いに学んでほしいと思っている。
英語だけではなく、
これこそが留学することの貴重な経験かもしれないと思っている。
ツギオの最近のメールにこう書かれていた。
iuno koppazukasiikedo
kazoku no arigatamiga wakaruwa.
kannsya sitemasu.
soredakedemo ookina syuukakuyawa.
otonani natte kaeruwa.
親元から離れて、今まで見えなかったことが
見えてきたこともあるのかな?
頑張れツギオ
同じように留学の準備をしていたN君が、
つい先日ツギオに一ヶ月遅れでアメリカニューヨークに経った。
彼がアメリカを経つ日が近くなってから
彼の母親からメールが来るようになった。
アメリカに着いた彼から連絡がないことで
落ち着かなかったり、
息子がいなくなり、一気に気が抜けってしまった
母親の切なさが綴られているメールを読むのは
わたしも辛い。
ツギオがアメリカに経ったのは
一ヶ月前。
彼は「連絡がないのは元気な証拠だと思って」
の言葉どおり、3週間も連絡をしてこなかった。
着いたという連絡すらも。
そして、ツギオから連絡が入ったのは
幼いころからの付き合いの、
近所のOちゃんのお母さんへのメール
「生きてると伝えて」
「母のメールアドレスを教えて」
と言うものだった。
ツギオは、わたしのメールすらも控えていかなかったのだ。
そして、私より先に
ツギオを息子のようにかわいがっているOさんのところへ
メールがあったことに、
ショックを受け、Oさんに少し嫉妬したのだった。
それから数日してツギオからメールが来た。
そこには連絡をするのをずっと我慢していたこと、
考えていた以上に辛いことが、つらつらと書かれていた。
泣きたいときは泣いて、
がんばりすぎないこと、人と競争しないこと、
できなくて当たり前だということ、
自分を卑下しないこと、楽しみを見つけることなど、
ツギオの気持ちをどうやったら落ち着かせることができるか、
メールを通してエールを送った。
12歳でナガオをシドニーにを出して
散々親子でつらい思いをしてきたつもりだけど、
ツギオは18で、ナガオよりずっと大人なわけだけど、
この年齢が決して成熟していいない年齢だということもよくわかる。
まだまだ子供なんだ。
でも、それを覚悟で出たんだもの。
この苦労はお金に換算できない財産になってくれたら、と思うし、
つらい思いをしてまで決行した留学が、
ただ辛かったで終わるか、
収穫を得るかは、ツギオの心がけ次第だと思うので
今の辛さに耐えてほしいと思っている。
そして、
辛い思いだけではなくて
日本では経験できないたくさんの経験を向こうでしてほしいし、
たくさん友達を作ってほしいし、
異文化に触れて、自分の物差しを長くしてほしい。
広い視野で、物事を考えられる人間になってほしい。
つい先日のメールを読んで少しほっとした。
そこには、考え方を変えたこと
(今の環境にあわせて気持ちを切り替える必要があると)、
気持ちが楽になって友達とも仲良くやってることなど、が書かれていた。
6週間の短い間だったけど、留学生を受け入れて、
今、彼(テキサスボーイ)の気持ちを考えることが時々ある。
言葉が通じないことがどれほどのストレスになり、
分かり合えないことがどれほど辛いことで、
そこからどれだけの誤解が生まれるかもしれないことなど。
私が留学生を引き受けて学んだことは、
言語が通じないことより、相手に気持ちを伝えようという気持ちや、
相手を尊重しようという気持ちのほうが大事だということだった。
ツギオには、家でのこの短い6週間の体験から、
向こうでの生活に大いに学んでほしいと思っている。
英語だけではなく、
これこそが留学することの貴重な経験かもしれないと思っている。
ツギオの最近のメールにこう書かれていた。
iuno koppazukasiikedo
kazoku no arigatamiga wakaruwa.
kannsya sitemasu.
soredakedemo ookina syuukakuyawa.
otonani natte kaeruwa.
親元から離れて、今まで見えなかったことが
見えてきたこともあるのかな?
頑張れツギオ