日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

ペリー来航のゆかりの地 浦賀・久里浜を訪ねて

2013-05-12 21:57:14 | 江戸時代
本当にいい季節です。ベランダのバラも満開です。
今日は、前回も予告した、ペリー来航の浦賀、久里浜を見てきた話です。レンズだけじゃなくてだんなも一緒に行きました(笑)。
職場を異動して、毎日「浦賀」「久里浜」行きの電車を見ながら(乗って)通勤しているので、日本史の教員としては、一度ペリー来航の浦賀に行かねば!と思ったわけです。他にも、「生麦」も気になる・・・そのうち、大森貝塚も行きましょう。

浦賀駅は京急線の終点です。少し歩くと、浦賀ドックが見えてきます。ここは、2003年に閉鎖されるまで、1世紀以上にわたって約1000隻の艦船を建造してきた場所です。昔のクレーンが残されたままになっているのをフェンス越しに見ることができました。戦中の1943年に作られたものだそうです。



ここで、青函連絡船や大型タンカーなどが作られました。咸臨丸も浦賀から出航したそうで、航海の無事を願って、勝海舟が断食をした場所もあるそうですが、そこまでは行きませんでした。
熊本や徳島からの船が停泊していました。



浦賀は、入り江の奥深くまで船が入り込める構造をしていて、江戸時代には浦賀奉行が置かれ、江戸湾に入る船のチェックをしていました。

ペリーは、浦賀には上陸しませんでしたが、この浦賀沖にまずやってきたわけですね。1853年(嘉永6年)6月3日のことでした。今から160年前ですね~。その雰囲気を感じてきました。今はのどかな港町です。かすかに潮の香りがしました。

家を出た時間も早くはなかったので、あまり浦賀をくまなく歩く余裕はなく、途中の道でバスに乗り、ペリーが上陸した久里浜を目指しました。
ペリー記念館のある浜までは、歩いても行けます。



ここは、波打ち際まで行くことができる砂浜があります。久しぶりに波と戯れました。

ペリーは浦賀に現れて6日後の6月9日にこの久里浜に上陸、浦賀奉行に大統領の親書を手渡し、開国の要求をしたとのことです。

ペリー上陸記念碑。伊藤博文が書いたんだそうです。



ペリー記念館。小さいですけどまあ、ペリーの娘あての手紙などがありました。





帰りに「くりはま花の国」に寄って来ました。あまりに広いので、途中のハーブガーデンくらいまでしか行きませんでしたが。そこの小高い場所から撮った、東京電力の横須賀火力発電所。



原発が停止しているので、この休止していた火力発電所を再稼働させたというのですが、そんなに大きくないし、なんかぼろっちい感じがしました。大丈夫なのかな???と思ってしまいました。
原発もいけませんが、代替エネルギーも難しいですね。原発のないドイツを見習うと、どうなるんでしょうか。私も、今年度は時間に余裕があるので、そういう方面についても考えてみたいと思います。

今回撮った写真は、全部、新しく購入したCANONの28mm f1.8で撮りました。ボディは、EOS60Dです。去年の金環日食のために準備して以来、一眼レフを使っています。