目を見開いてアンテナを張っていれば、そういう機会に出会うものだ、ということで、今年2回目の講演会参加。11月16日によみうりホールで開かれました。主催は奈良県桜井市。毎年東京で開いているようです。
纏向学研究センター所長の寺沢薫さんの本を読んだことがあり、寺沢さんがいらっしゃるようなのでナマでお話を聴いてみたいなと思って応募しました。
テーマの「邪馬台国東遷」について私自身は「??」と思っていますが、纏向遺跡の最新事情がわかるならと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/db/74ba835da46cdf52c25fb0be5456ad0d_s.jpg)
10:30~16:00までという長時間のイベントでしたが、1000人前後の参加者で熱気ムンムンでした。
今回も若い人はごくまれで、年配の男性が多かったかな。働き盛りで仕事が忙しければ、こういうイベントも目にとまらないのでしょうか。
以下に、印象に残った点を紹介します。
最初は桜井市長の挨拶。今年はこれで、東京で奈良県知事と桜井市長を拝顔しました。東京にも奈良・桜井ファンがたくさんいますしね。以前にも紹介したように、翌17日に天皇皇后両陛下が大神神社に「御親拝」されるということでお会いできるのを楽しみにしているというお話でした。当日の参拝の様子を私もネットで見ました。纏向遺跡から出土した桃の種などもご覧になったようですね。
皇后さまは、誕生日のコメントで、大神神社の鎮花祭(はなしづめのまつり)に心ひかれると語られていたようです。さすがの目のつけどころですねえ。
また、桜井市長は、桜井は大和朝廷発祥の地だと確信しています、とおっしゃっていました。
次に、纏向学研究センターの森暢郎研究員による、「近年の纏向遺跡の調査とその成果」について講演がありました。まだお若くて、なにしろ奈良の方言が和みます。
纏向遺跡は、その面積は2×1.5kmと広く、去年国史跡に指定されました。現在までに182回の発掘調査が行われています。平成20年から範囲確認調査を始めたようですが、まだまだこれからなのでしょう。
パンフレットの記述から拾うと、
「建物D(※一列に並ぶ建物群の中で一番大きく線路に近い建物)南側の柱列は大型土坑と呼ぶ南北約4.3m、東西約2.2mの穴によって壊されている。大型土坑は出土土器から庄内3式期に埋められたものと考えられ、他に大型土坑からは桃核2769個や黒漆塗り弓をはじめ多量の遺物が出土している。桃が未成熟で食用に適さないものが含まれることや果肉がついたままのものがあること、ガラス製粟玉や黒漆塗り弓など特殊な遺物が含まれることなど、出土遺物の内容や状況が特殊なことなどから単なる廃棄土坑とは考えにくい。また、埋没時期が建物群の廃絶時期と近接することを勘案すると、庄内式期の建物群の廃絶にともなうマツリの痕跡である可能性が指摘されている。」
(※は私が補ったもの)
「建物Dは南北4間(約19.2m)×東西推定4間(約12.4m)をはかる大規模な建物と考えられ、庄内式期の建物としては列島最大級となる。」
建物Dよりも東側に、線路と重なるようにして建物E、線路の向こうに建物F、Gがあり、
「建物群はさらに東側に伸びる可能性がある」
とのこと。線路や現存の建物があったりして、調査も大変ですね。
「庄内式」とはいつ頃のことなのかというと、
「庄内式期を3世紀初頭から3世紀中頃までとするならば、庄内式期の建物群も3世紀中頃以前の遺構として捉えうる。」
卑弥呼が魏に使いを送ったのが239年、死んだと思われるのが247年、これは3世紀の前半~半ば頃にあたり、纏向遺跡の建物群も近い時期のものであると考えられます。
「第168次調査大型土坑(SK-3001)出土遺物一覧」があって、そこから一部を拾いますと、
「動物遺存体」 イワシ類・タイ科(マダイ・ヘダイ)・アジ科・サバ科・淡水魚・ツチガエル・ニホンアカガエル・カモ科・齧歯類・ニホンジカ・イノシシ属(以上で表の全部)
「植物遺存体」 野生種は23種、栽培種は10種。栽培種は、モモ2769・スモモ52・イネ938・ヒエ2・アワ74・アサ535・ササゲ属3・エゴマ24・ウリ類2076・ヒョウタン類213(以上で全部)
その他、土器、木製品、ガラス製粟玉など。
動植物遺存体は調査途中で種類はさらに増える可能性があるとのことです。
これらは橋本輝彦2013『奈良県桜井市纏向遺跡発掘調査概要報告書―トリイノ前地区における発掘調査―桜井市埋蔵文化財発掘調査報告書第40集』(桜井市纏向学研究センター編 桜井市教育委員会)からの引用になります。
これらの遺構と周辺の古墳との関わりも考えてゆくべき課題である、として、周辺の古墳の表が掲載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/b8/3b9a68773292ebca103c640a1e730c47.jpg)
この表の引用元:橋本輝彦2006『東田大塚古墳 奈良盆地東南部における纏向型前方後円墳の調査』(財)桜井市文化財協会
これを見ると、以前の記事で話題にしたように、箸墓古墳よりもホケノ山古墳の方が時期が少し早いか同じであったり、メクリ1号墳という前方後方墳はさらに早いということがわかります。それより早いのが纏向石塚古墳です。
桃の種は一時期話題になりましたし、動物遺存体をよく見ると、銅鐸に描かれている生き物と一致するものもあることに気づきました。カエル、シカ、イノシシ?
淡水魚だけでなくてタイとかイワシとかアジなども供えられていた?のも興味深いです。
どんどん調査を進めてほしいですが、私達が生きている間にどのくらい進むものか・・・発掘を応援しに行きたいくらいです。
長くなりますので今日はここまでとします。ちなみに今日は私はお休み(代休)を取っています。
講演会参加もいろいろ学ぶことがあってよいものですが、来週、一つ参加しようと思っているものがあります。これは誰でも参加自由(先着順、申込み不要)らしいです。
日時 12月10日(水) 14~16時(開場13時15分)
内容 「前方後円墳終焉の意味するもの」 講師 白石太一郎(大阪市近つ飛鳥博物館長)
場所 さいたま市民会館うらわ 1Fホール(JR京浜東北線 浦和駅西口徒歩7分)
参加費 1,000円(資料代含む)
「奈良歴史地理の会 関東支部」主催の講座です。
http://event-saitama.jp/cgi-bin/A12/BE00/cgi-bin/result.cgi?id=2072
定員は400名だそうなので、平日だし、結構余裕がありそうじゃありませんか?
私はその日、やはり休みを取る予定にして、行ってみようと思っています。
白石太一郎さんは、有名な先生ですので、お話が聴ける貴重な機会です。
平日ですが、もし都合がつけば、行ってみてください。
それでは今日はこのへんで。
☆
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纏向学研究センター所長の寺沢薫さんの本を読んだことがあり、寺沢さんがいらっしゃるようなのでナマでお話を聴いてみたいなと思って応募しました。
テーマの「邪馬台国東遷」について私自身は「??」と思っていますが、纏向遺跡の最新事情がわかるならと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/ee/fe4c957a6ac8e2b04964c1c3b67231ba_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/db/74ba835da46cdf52c25fb0be5456ad0d_s.jpg)
10:30~16:00までという長時間のイベントでしたが、1000人前後の参加者で熱気ムンムンでした。
今回も若い人はごくまれで、年配の男性が多かったかな。働き盛りで仕事が忙しければ、こういうイベントも目にとまらないのでしょうか。
以下に、印象に残った点を紹介します。
最初は桜井市長の挨拶。今年はこれで、東京で奈良県知事と桜井市長を拝顔しました。東京にも奈良・桜井ファンがたくさんいますしね。以前にも紹介したように、翌17日に天皇皇后両陛下が大神神社に「御親拝」されるということでお会いできるのを楽しみにしているというお話でした。当日の参拝の様子を私もネットで見ました。纏向遺跡から出土した桃の種などもご覧になったようですね。
皇后さまは、誕生日のコメントで、大神神社の鎮花祭(はなしづめのまつり)に心ひかれると語られていたようです。さすがの目のつけどころですねえ。
また、桜井市長は、桜井は大和朝廷発祥の地だと確信しています、とおっしゃっていました。
次に、纏向学研究センターの森暢郎研究員による、「近年の纏向遺跡の調査とその成果」について講演がありました。まだお若くて、なにしろ奈良の方言が和みます。
纏向遺跡は、その面積は2×1.5kmと広く、去年国史跡に指定されました。現在までに182回の発掘調査が行われています。平成20年から範囲確認調査を始めたようですが、まだまだこれからなのでしょう。
パンフレットの記述から拾うと、
「建物D(※一列に並ぶ建物群の中で一番大きく線路に近い建物)南側の柱列は大型土坑と呼ぶ南北約4.3m、東西約2.2mの穴によって壊されている。大型土坑は出土土器から庄内3式期に埋められたものと考えられ、他に大型土坑からは桃核2769個や黒漆塗り弓をはじめ多量の遺物が出土している。桃が未成熟で食用に適さないものが含まれることや果肉がついたままのものがあること、ガラス製粟玉や黒漆塗り弓など特殊な遺物が含まれることなど、出土遺物の内容や状況が特殊なことなどから単なる廃棄土坑とは考えにくい。また、埋没時期が建物群の廃絶時期と近接することを勘案すると、庄内式期の建物群の廃絶にともなうマツリの痕跡である可能性が指摘されている。」
(※は私が補ったもの)
「建物Dは南北4間(約19.2m)×東西推定4間(約12.4m)をはかる大規模な建物と考えられ、庄内式期の建物としては列島最大級となる。」
建物Dよりも東側に、線路と重なるようにして建物E、線路の向こうに建物F、Gがあり、
「建物群はさらに東側に伸びる可能性がある」
とのこと。線路や現存の建物があったりして、調査も大変ですね。
「庄内式」とはいつ頃のことなのかというと、
「庄内式期を3世紀初頭から3世紀中頃までとするならば、庄内式期の建物群も3世紀中頃以前の遺構として捉えうる。」
卑弥呼が魏に使いを送ったのが239年、死んだと思われるのが247年、これは3世紀の前半~半ば頃にあたり、纏向遺跡の建物群も近い時期のものであると考えられます。
「第168次調査大型土坑(SK-3001)出土遺物一覧」があって、そこから一部を拾いますと、
「動物遺存体」 イワシ類・タイ科(マダイ・ヘダイ)・アジ科・サバ科・淡水魚・ツチガエル・ニホンアカガエル・カモ科・齧歯類・ニホンジカ・イノシシ属(以上で表の全部)
「植物遺存体」 野生種は23種、栽培種は10種。栽培種は、モモ2769・スモモ52・イネ938・ヒエ2・アワ74・アサ535・ササゲ属3・エゴマ24・ウリ類2076・ヒョウタン類213(以上で全部)
その他、土器、木製品、ガラス製粟玉など。
動植物遺存体は調査途中で種類はさらに増える可能性があるとのことです。
これらは橋本輝彦2013『奈良県桜井市纏向遺跡発掘調査概要報告書―トリイノ前地区における発掘調査―桜井市埋蔵文化財発掘調査報告書第40集』(桜井市纏向学研究センター編 桜井市教育委員会)からの引用になります。
これらの遺構と周辺の古墳との関わりも考えてゆくべき課題である、として、周辺の古墳の表が掲載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/b8/3b9a68773292ebca103c640a1e730c47.jpg)
この表の引用元:橋本輝彦2006『東田大塚古墳 奈良盆地東南部における纏向型前方後円墳の調査』(財)桜井市文化財協会
これを見ると、以前の記事で話題にしたように、箸墓古墳よりもホケノ山古墳の方が時期が少し早いか同じであったり、メクリ1号墳という前方後方墳はさらに早いということがわかります。それより早いのが纏向石塚古墳です。
桃の種は一時期話題になりましたし、動物遺存体をよく見ると、銅鐸に描かれている生き物と一致するものもあることに気づきました。カエル、シカ、イノシシ?
淡水魚だけでなくてタイとかイワシとかアジなども供えられていた?のも興味深いです。
どんどん調査を進めてほしいですが、私達が生きている間にどのくらい進むものか・・・発掘を応援しに行きたいくらいです。
長くなりますので今日はここまでとします。ちなみに今日は私はお休み(代休)を取っています。
講演会参加もいろいろ学ぶことがあってよいものですが、来週、一つ参加しようと思っているものがあります。これは誰でも参加自由(先着順、申込み不要)らしいです。
日時 12月10日(水) 14~16時(開場13時15分)
内容 「前方後円墳終焉の意味するもの」 講師 白石太一郎(大阪市近つ飛鳥博物館長)
場所 さいたま市民会館うらわ 1Fホール(JR京浜東北線 浦和駅西口徒歩7分)
参加費 1,000円(資料代含む)
「奈良歴史地理の会 関東支部」主催の講座です。
http://event-saitama.jp/cgi-bin/A12/BE00/cgi-bin/result.cgi?id=2072
定員は400名だそうなので、平日だし、結構余裕がありそうじゃありませんか?
私はその日、やはり休みを取る予定にして、行ってみようと思っています。
白石太一郎さんは、有名な先生ですので、お話が聴ける貴重な機会です。
平日ですが、もし都合がつけば、行ってみてください。
それでは今日はこのへんで。
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