学校も冬休みに入りまして、私もしばらく学校に行きません。例年そうですが、年末、学校が終わると、かなりほっとして気が抜けます。そして風邪をひいたりするのですが、今年は大丈夫です。ただ、昨夜は気が抜けたためか筋肉痛のようなものなどさまざまな疲れが出たようです。
冬休みの間に少しずつここも書き進めて行きたいと思います。
夏のスクーリングのことも書いていませんが、とりあえず、直近の話など。
奈良大学の通信教育部について関心をもってこちらを覗かれる方が多いようですので、現状を整理しておきます。
編入2年目・4年生の私は、来年3月卒業を目指し、卒論の最終的な〆切日である1月14日までの提出に向けて仕上げに入っています。卒論に必要な単位については、10月24日に奈良大で受けた西洋史特殊講義の結果が11月下旬に返って来ました。一応合格ですが、75点と、あまりよくなかったです。これで、テキスト科目は終了、試験はもう受けなくていい身分になりました。今年度はテキスト科目で4科目・8単位修得しました。去年は10科目・28単位もよくやったものです。
今年は卒論もありましたし、テキスト科目も並行してやるのは少し大変でした。また、2年目に残った科目は、あまり、得意とは言いがたい科目でした。自分のためになるかなと考えてなんとか取り組んだものです。古文書学、民俗学、歴史文学論、西洋史特殊講義の四つでした。
時々、「美術史概論」というキーワードでこのブログにたどりつく方もいらっしゃるようなので一言書いておくと、美術史概論は、仏像史のようなもので、弥勒菩薩とか乾漆像とか用語が難しいという印象をもっていらっしゃる方が多いようです。実際、そうですね。それらを試験のために覚えるのは大変です。ただ、私の場合は、日本史の教員で、実は、この分野の用語の多くは教科書にも記述されているし、受験でも必要な知識であるし、私はもともと仏像が好きなので、結構楽しみながらできました。そういうアドバンテージはすみませんがありました。
高校の日本史でも、生徒は仏像にあまり興味がないみたいで、「不空羂索観音像」だの「半跏思惟像」だの、漢字も難しいし、「覚えなきゃだめなの?」とよく言われます。覚えなきゃだめだ、と答えますけれども。仏像は、観光旅行などでもよく出会うものですし、そういう時に、知識があった方が楽しいです。漢字は難しいけれども、割り切って覚えてしまった方が、いいです。意外と、役に立ちます。
通信教育での試験として、暗記しなきゃいけないのはつらいかもしれませんが、がんばりましょう、ということです。
高校では、文化史は飛ばしてしまうことも多いのですが、私は好きなのでできるだけやります。京都・六波羅蜜寺の空也像は、口から小さい仏様が6体、つらなって出ている不思議な像で、表情も豊かで、私も好きな像です。写真を見せると生徒にもウケます。これは、「南無阿弥陀仏」の1音1音が阿弥陀仏になって空也の口から出ているんですね。授業でも少し余計に説明します。
平安時代の浄土教を広めた僧ですが、この像が造られたのは鎌倉時代・康勝の作品です。空也が何世紀頃に布教したのかというのは受験でも出題されることがあります。「10世紀半ば」のことです。かわいがっていた鹿が死んだのを悲しんで、その鹿の角をつけた杖を持って、念仏を唱えて京の町を歩いていた姿だそうです。
山川の『詳説日本史B』では、74ページに像の写真とともに、本文に出てきます。空也の後が、源信なんですね。鎌倉時代の仏像だという点も受験的にはポイントですかね。
実際に、京都に旅行する時があったら、生徒だった皆さんは見て来てほしいですね。私も、20代の半ば頃に、京都旅行の際に、六波羅蜜寺に行き、空也像を見て来ました。清水寺の近くです。時間がないと、六波羅蜜寺まで立ち寄る余裕がないかもしれませんが、ぜひ、清水寺参詣とあわせて行ってほしいです。像は小さめで、かわいいです。写実的です。
この六波羅蜜寺には、他にも結構有名な平清盛像もありますので、ぜひ。
話がだいぶそれてしまいましたが、そういうわけで、美術史概論などは、なじんだ分野ですし、考古学概論とか、そもそも考古学で卒論を書く人間としてはメインの重要科目は、意欲的にがんがん取り組むしかないですよね。そういう科目は、1年目の昨年度にぞっくり履修・修得しました。今年度は逆に苦手意識・意欲低下などで、やや成績の面で苦戦しました。
スクーリングはあと2回受講します。
それで、卒論が合格ならば、めでたく卒業です。
卒論のための遺跡調査は、10回以上は行きました。遠くは震災被害のあった南相馬市まで。
12月12日の旅をもって、調査も終了しました。あとは書くだけです。本当は、もうちょっと行きたい所もあるのですが、卒論の本題からは少し離れるので、後でゆっくり行こうか、と思っています。今年は、旅をしすぎました。
11月28~29日に、会津若松・西会津町方面を旅してきました。卒論の調査がメインの目的です。
その際、たまたま、磐越西線を蒸気機関車・SLが走っている日であることを知ったので、SLに初めて乗車してきました!
冬は運行していないようで、秋のシーズン最後に滑り込みました。前日予約でも全然大丈夫でした。
詳しいことは、後で書ければ書きますが、今日は簡単に。
乗車した区間は、野沢駅から会津若松駅まで。
野沢駅で遺跡の調査をした帰りに乗車しました。
野沢駅に入線するSLばんえつ物語号です。
到着前の、何kmも先から、姿が見えないのに汽笛がよく聴こえてくるんです。感動しました。
乗車中も、折々に鳴らされる汽笛に、なんとも、旅情をかきたてられます。窓から見える煙もすごかった。
私の母方の祖父は、SLの運転士だったのです。ですから、なんとなく感慨深く、初乗車しました。
沿線にはシャッターチャンスを狙う「撮り鉄」もたくさんいました。
車窓から見えた、星のような柿。
新潟県の新津から、会津若松まで、4時間かけて走っています。
よい季節に、ぜひ、乗ってみてください。
☆にほんブログ村
冬休みの間に少しずつここも書き進めて行きたいと思います。
夏のスクーリングのことも書いていませんが、とりあえず、直近の話など。
奈良大学の通信教育部について関心をもってこちらを覗かれる方が多いようですので、現状を整理しておきます。
編入2年目・4年生の私は、来年3月卒業を目指し、卒論の最終的な〆切日である1月14日までの提出に向けて仕上げに入っています。卒論に必要な単位については、10月24日に奈良大で受けた西洋史特殊講義の結果が11月下旬に返って来ました。一応合格ですが、75点と、あまりよくなかったです。これで、テキスト科目は終了、試験はもう受けなくていい身分になりました。今年度はテキスト科目で4科目・8単位修得しました。去年は10科目・28単位もよくやったものです。
今年は卒論もありましたし、テキスト科目も並行してやるのは少し大変でした。また、2年目に残った科目は、あまり、得意とは言いがたい科目でした。自分のためになるかなと考えてなんとか取り組んだものです。古文書学、民俗学、歴史文学論、西洋史特殊講義の四つでした。
時々、「美術史概論」というキーワードでこのブログにたどりつく方もいらっしゃるようなので一言書いておくと、美術史概論は、仏像史のようなもので、弥勒菩薩とか乾漆像とか用語が難しいという印象をもっていらっしゃる方が多いようです。実際、そうですね。それらを試験のために覚えるのは大変です。ただ、私の場合は、日本史の教員で、実は、この分野の用語の多くは教科書にも記述されているし、受験でも必要な知識であるし、私はもともと仏像が好きなので、結構楽しみながらできました。そういうアドバンテージはすみませんがありました。
高校の日本史でも、生徒は仏像にあまり興味がないみたいで、「不空羂索観音像」だの「半跏思惟像」だの、漢字も難しいし、「覚えなきゃだめなの?」とよく言われます。覚えなきゃだめだ、と答えますけれども。仏像は、観光旅行などでもよく出会うものですし、そういう時に、知識があった方が楽しいです。漢字は難しいけれども、割り切って覚えてしまった方が、いいです。意外と、役に立ちます。
通信教育での試験として、暗記しなきゃいけないのはつらいかもしれませんが、がんばりましょう、ということです。
高校では、文化史は飛ばしてしまうことも多いのですが、私は好きなのでできるだけやります。京都・六波羅蜜寺の空也像は、口から小さい仏様が6体、つらなって出ている不思議な像で、表情も豊かで、私も好きな像です。写真を見せると生徒にもウケます。これは、「南無阿弥陀仏」の1音1音が阿弥陀仏になって空也の口から出ているんですね。授業でも少し余計に説明します。
平安時代の浄土教を広めた僧ですが、この像が造られたのは鎌倉時代・康勝の作品です。空也が何世紀頃に布教したのかというのは受験でも出題されることがあります。「10世紀半ば」のことです。かわいがっていた鹿が死んだのを悲しんで、その鹿の角をつけた杖を持って、念仏を唱えて京の町を歩いていた姿だそうです。
山川の『詳説日本史B』では、74ページに像の写真とともに、本文に出てきます。空也の後が、源信なんですね。鎌倉時代の仏像だという点も受験的にはポイントですかね。
実際に、京都に旅行する時があったら、生徒だった皆さんは見て来てほしいですね。私も、20代の半ば頃に、京都旅行の際に、六波羅蜜寺に行き、空也像を見て来ました。清水寺の近くです。時間がないと、六波羅蜜寺まで立ち寄る余裕がないかもしれませんが、ぜひ、清水寺参詣とあわせて行ってほしいです。像は小さめで、かわいいです。写実的です。
この六波羅蜜寺には、他にも結構有名な平清盛像もありますので、ぜひ。
話がだいぶそれてしまいましたが、そういうわけで、美術史概論などは、なじんだ分野ですし、考古学概論とか、そもそも考古学で卒論を書く人間としてはメインの重要科目は、意欲的にがんがん取り組むしかないですよね。そういう科目は、1年目の昨年度にぞっくり履修・修得しました。今年度は逆に苦手意識・意欲低下などで、やや成績の面で苦戦しました。
スクーリングはあと2回受講します。
それで、卒論が合格ならば、めでたく卒業です。
卒論のための遺跡調査は、10回以上は行きました。遠くは震災被害のあった南相馬市まで。
12月12日の旅をもって、調査も終了しました。あとは書くだけです。本当は、もうちょっと行きたい所もあるのですが、卒論の本題からは少し離れるので、後でゆっくり行こうか、と思っています。今年は、旅をしすぎました。
11月28~29日に、会津若松・西会津町方面を旅してきました。卒論の調査がメインの目的です。
その際、たまたま、磐越西線を蒸気機関車・SLが走っている日であることを知ったので、SLに初めて乗車してきました!
冬は運行していないようで、秋のシーズン最後に滑り込みました。前日予約でも全然大丈夫でした。
詳しいことは、後で書ければ書きますが、今日は簡単に。
乗車した区間は、野沢駅から会津若松駅まで。
野沢駅で遺跡の調査をした帰りに乗車しました。
野沢駅に入線するSLばんえつ物語号です。
到着前の、何kmも先から、姿が見えないのに汽笛がよく聴こえてくるんです。感動しました。
乗車中も、折々に鳴らされる汽笛に、なんとも、旅情をかきたてられます。窓から見える煙もすごかった。
私の母方の祖父は、SLの運転士だったのです。ですから、なんとなく感慨深く、初乗車しました。
沿線にはシャッターチャンスを狙う「撮り鉄」もたくさんいました。
車窓から見えた、星のような柿。
新潟県の新津から、会津若松まで、4時間かけて走っています。
よい季節に、ぜひ、乗ってみてください。
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