日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

試験問題

2012-10-17 05:08:46 | 日記
あさって試験なのに、まだ試験問題が固まっていません。結構ピンチです。
教科書に、朝鮮通信使の図があって、これはセンター試験などでも出ているからよく見ておいてくださいと授業でも言いました。山川の教科書の図や絵は、いまひとつびびっとくるものが少ないのですが、これはぜひ記憶に残してください。
隣のページに、アイヌの参賀の礼の図もあります。少しアイヌの人をさげすんだような絵です。
その隣に、「琉球使節の江戸上り」の絵もあります。その解説には、
「行列中の奏楽は、図に描かれている両班・銅鑼・銅角・喇叭・鼓など、管楽器と打楽器で構成されていた。めずらしい音色だったに違いない。」
とあり、「違いない」などと、教科書らしからぬ、想像で書いたような言葉が入っています。
教科書もすみずみまで読むと、面白い発見があるものです。
ぜひ、今回の試験範囲の教科書はすみずみまで繰り返し読んで、完璧に頭に入れ、受験勉強にも役立つようにしてください。問題練習もたくさんしてください。一問一答を持っている人は、その範囲の一問一答を完璧に覚えてしまってください。
ではもうすぐ夜明けですが、私ももう少しがんばります。
さっき、ペットボトルで育てるミニトマトの水を、足したところです。けっこう大きく育って、1日で減る水の量も多いんです。明るい時間には朝のほんのわずかしか家にいないので、暗闇のベランダで植物いじりをしたりしています。

中間考査

2012-10-13 20:32:15 | 連絡事項
学校と関係ない人も見ているのかなと思うと、こういう話題もどうかなとは思うのですが・・・
今回の中間考査の試験範囲は、P.156~177の5行目までです。
まだ、試験範囲を言っていないクラス、このブログの存在を伝えていないクラスもあるのですが。
授業時間数の差が激しいので、先に進むのをやめて、夏休み前にやった桃山文化からにします。

今回は、センター試験の過去問を参考にした形の問題もだいぶ出します。試験範囲の教科書をよく読んでおいてください。これは、授業で言いませんでしたので、このブログを見た人は、少し得をしましたかね。まあ、教科書をよく読んでくださいということは、いつも言っていますけれども。

中間考査のための勉強と並行して、より広い範囲を、受験勉強として、要領よくどんどん進めてください。

それから、宿題は3枚、必ず全員提出してもらいます。出していない人は出来次第、急いで提出してください。

とりあえず以上です。

ジャガタラお春

2012-10-10 05:39:56 | 江戸時代
授業では、江戸時代の鎖国の話に入ってきています。江戸初期には、日本から東南アジア方面へ貿易船がさかんに行き来し、現地に住みつくような日本人の移民も多くなり、日本町が形成されました。
授業であまり触れることができない話題について少し補足的に書いておきます。

フィリピンのマニラに移住した日本人について、17世紀のはじめにフィリピンの副総督であったアントニオ・モルガが、このように述べています。

「日本人は気概ある人民であって、その性質は佳良で勇敢である。・・・腰には大小の刀をおび、ひげはすくなく、風采・挙動が高尚な国民である。またかれらは儀式と礼節をとうとび、名誉と秩序をおもんじ、困苦欠乏にのぞんでも果断である。」

これは、当時の農民や商人出身の移民の性格ではなく、関ヶ原の戦いや大坂の役、その後も大名の改易で発生した牢人(浪人)が商人に転向した者で現地に移住した人々の品性を伝えたものであろうと考えられています。日本人を随分立派な人間と見てくれていたのですね。

当時、インドネシアのジャカルタは、ジャガタラとかバタビアと呼ばれていました。鎖国によって、在留外国人に対する目が厳しくなり、日本で生まれた混血児にはジャガタラに追放される者が多くありました。その中に、「ジャガタラお春」とよばれる女性もいました。追放当時15歳。21歳で平戸生まれのシモンセンと結婚し、7人の子供が生まれましたが、最後には6人に先立たれ、1人の娘と3人の孫だけが残ったそうです。追放されて約60年、鎖国のために日本に帰国することができずにジャガタラで亡くなりました。お春の遺言状が残されていますが、同様に、故郷に帰れずにこの南国でつぎつぎに死んで行った日本人の遺言状は、他にもたくさん残っているということです。
(以上 岩生成一『日本の歴史14 鎖国』中公文庫 を参照)

自分の将来のために勉強していると信じる。

2012-10-06 15:13:34 | 受験
昨日のホームルームで、もう、勉強しろと言うのうはやめます、と言いました。自分で自覚して勉強してくれると信じることにした、と。言ってもどれだけ効果があるのかわからず、むなしい気がしたというのもあります。

私自身、高校時代、学校から勉強しろと言われた記憶はなく、多分言われなくてもみんなやっていたし、参考書や問題集も、自分で選んで買って勉強していました。

父親からも、全く言われたことがありません。私が自分で勉強しているのを親もわかっていたと思います。本を読め、ということは小さいときから高校生まで言われ、折々に本は与えられていました。
母親は、勉強しろということはちょっと言っていたかな?小さい頃は、勉強も運動も男子に負けるな。とよく言われました。勉強もスポーツも、男子の方がまさっていることが多いから、それに負けるなということです。
実際、小さい頃は、そういう意気込みで、勉強もスポーツも全力でやっていました。勉強もそうですが、野球なんかは男子に負けていませんでした。というわけで今はソフトボール部の顧問をしています。

勉強に疲れて飽和状態になったら、グランドに出て一緒にソフトボールをしませんか(笑)。
100本でも1000本でもノックしてあげます。バッティングセンターに行かなくても思いっきりフルスイングさせてあげます。球拾いはいつでも歓迎です。

模試監督を終えて

2012-10-01 20:46:26 | 受験
以前に書いてから相当のブランクができてしまいました。学年の生徒には受験に役立つように、早めに公開しようと思いながら、全然書けず、もう10月です。

昨日は予備校の模試を学校で実施しました。50数名が熱心に問題に取り組んでいました。さすがに受験生だよなあと思わせる集中力でした。去年の中だるみの様子からは、成長したなあと思いましたが、まだまだ、もっと集中できるはずです。

日本史のでき具合をざっと見ましたが・・・よくできている人もいるにはいますが、どうもずれている感じの人も多く・・・センター試験の日本史は、正誤問題が多いわけですから、知識もさることながら、文章を正確に、丁寧に読む力が必要です。文章読解力というか、根気強く文章を読みとるというような。国語ができない人がセンター試験の日本史問題はできるということはないでしょう。
文章の中でどこがおかしいかに気付かなければなりません。教科書をよく読んでいれば、そんなこと教科書には書いていなかった・・・ということに気付くのですが。

センター試験タイプの問題をやった時は、間違えてもいいんですが、正解を確認して「ああこういう所が間違いやすいのか」ということに気付き、確実に知識を追加し、次から間違えないように注意することが大切です。
模試の復習は必ずしてほしいと思います。