城館跡や遺跡を見学していると、路傍の石塔や小祠にも、自然と関心が向くようになります。
本日は熊谷市大原地内の庚申塔を紹介します。
この写真を撮影したのは、2016年2月10日のことです。
写真でご覧になればわかるように、当時は周囲が空き地でしたが、現在は住宅ができてしまい、
驚いてしまいました。
まず写真でもお分かりになる通り、周囲はなだらかですが窪地になっており、
庚申塔の立っている場所は高くなっています。
そして、庚申塔の周囲は砂利が多い。
これは、低湿地帯独特のもので、茨城県、霞ケ浦利根川水系一帯の低湿地の墓地ではこのような状況を
見かけることができます。
低湿地帯では土砂は農業経営のための重要な資源です。
同時に、家々の大切な資産である家屋、伝来の墓地の水没被害を防ぐためにも、重要な資源になります。
水田には堀や沼の底をさらって出た、肥料分の高い肥えた土砂を積み、墓地などには営農の障害になる
小石を多く投入します。
資産にも優先順位があります。常時の湛水の心配がなくなると、今度は、降雨時の浸水にそなえて家屋の土台に、
家屋を周囲より高くするため、より多くの土砂が投入されるようになります。
こうなると、今度は墓地や信仰関係の施設は取り残されて、相対的に低い土地になっていきます。
さて、この庚申塔は自然石のどうどうたるものですが、低湿地帯でこうした石がどのように入手されたのかわかりません。
石のはだを見る限り、花崗岩質に見えます。
裏面には文字が彫ってあるようですが、非常に浅く、何が書いてあるのかはわかりません。
庚申塔のある部分は小丘状になっているのがわかります。
周囲にはりゅうのひげも植えられており、何かの境界を示していたのでしょう。
この先、北方は、利根川氾濫原の低湿地と小河川が多く、かつての集落にとって
この場所は「地の果て」だったのかもしれません。
子供のころから見馴れた庚申塔なのですが、有無を言わせぬ迫力があり、
この地域のシンボルの一つと言ってもいいかもしれません。
本日は熊谷市大原地内の庚申塔を紹介します。
この写真を撮影したのは、2016年2月10日のことです。
写真でご覧になればわかるように、当時は周囲が空き地でしたが、現在は住宅ができてしまい、
驚いてしまいました。
まず写真でもお分かりになる通り、周囲はなだらかですが窪地になっており、
庚申塔の立っている場所は高くなっています。
そして、庚申塔の周囲は砂利が多い。
これは、低湿地帯独特のもので、茨城県、霞ケ浦利根川水系一帯の低湿地の墓地ではこのような状況を
見かけることができます。
低湿地帯では土砂は農業経営のための重要な資源です。
同時に、家々の大切な資産である家屋、伝来の墓地の水没被害を防ぐためにも、重要な資源になります。
水田には堀や沼の底をさらって出た、肥料分の高い肥えた土砂を積み、墓地などには営農の障害になる
小石を多く投入します。
資産にも優先順位があります。常時の湛水の心配がなくなると、今度は、降雨時の浸水にそなえて家屋の土台に、
家屋を周囲より高くするため、より多くの土砂が投入されるようになります。
こうなると、今度は墓地や信仰関係の施設は取り残されて、相対的に低い土地になっていきます。
さて、この庚申塔は自然石のどうどうたるものですが、低湿地帯でこうした石がどのように入手されたのかわかりません。
石のはだを見る限り、花崗岩質に見えます。
裏面には文字が彫ってあるようですが、非常に浅く、何が書いてあるのかはわかりません。
庚申塔のある部分は小丘状になっているのがわかります。
周囲にはりゅうのひげも植えられており、何かの境界を示していたのでしょう。
この先、北方は、利根川氾濫原の低湿地と小河川が多く、かつての集落にとって
この場所は「地の果て」だったのかもしれません。
子供のころから見馴れた庚申塔なのですが、有無を言わせぬ迫力があり、
この地域のシンボルの一つと言ってもいいかもしれません。