暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

庚申塔(熊谷市大原)

2017-10-10 15:56:57 | 神社仏閣・その他
城館跡や遺跡を見学していると、路傍の石塔や小祠にも、自然と関心が向くようになります。

本日は熊谷市大原地内の庚申塔を紹介します。

この写真を撮影したのは、2016年2月10日のことです。



写真でご覧になればわかるように、当時は周囲が空き地でしたが、現在は住宅ができてしまい、

驚いてしまいました。



まず写真でもお分かりになる通り、周囲はなだらかですが窪地になっており、

庚申塔の立っている場所は高くなっています。

そして、庚申塔の周囲は砂利が多い。

これは、低湿地帯独特のもので、茨城県、霞ケ浦利根川水系一帯の低湿地の墓地ではこのような状況を

見かけることができます。

低湿地帯では土砂は農業経営のための重要な資源です。

同時に、家々の大切な資産である家屋、伝来の墓地の水没被害を防ぐためにも、重要な資源になります。

水田には堀や沼の底をさらって出た、肥料分の高い肥えた土砂を積み、墓地などには営農の障害になる

小石を多く投入します。

資産にも優先順位があります。常時の湛水の心配がなくなると、今度は、降雨時の浸水にそなえて家屋の土台に、

家屋を周囲より高くするため、より多くの土砂が投入されるようになります。

こうなると、今度は墓地や信仰関係の施設は取り残されて、相対的に低い土地になっていきます。








さて、この庚申塔は自然石のどうどうたるものですが、低湿地帯でこうした石がどのように入手されたのかわかりません。

石のはだを見る限り、花崗岩質に見えます。

裏面には文字が彫ってあるようですが、非常に浅く、何が書いてあるのかはわかりません。





庚申塔のある部分は小丘状になっているのがわかります。

周囲にはりゅうのひげも植えられており、何かの境界を示していたのでしょう。

この先、北方は、利根川氾濫原の低湿地と小河川が多く、かつての集落にとって

この場所は「地の果て」だったのかもしれません。



子供のころから見馴れた庚申塔なのですが、有無を言わせぬ迫力があり、

この地域のシンボルの一つと言ってもいいかもしれません。