本日は、奈良氏館跡(熊谷市)を紹介いたします。
奈良氏館跡は、奈良氏の墓所のある妙音寺周辺とされています。
遺構と思しきものはなく、ただ、妙音寺の境内が水田の中の
島のようになっているので、そこが館跡と推定されているわけです。
写真は1982年(昭和57年)の頃のものです。
奈良氏館跡は現在でもあまり変化がないようです。
たしかに、妙音寺は丘のように少し高くなっています。
さて、遺構は本当に無いのか・・・・。
実は、堀跡状のものがあるのです。これは本来、日を改めて撮影したいのですが、グーグルで確認できるので
引用してみました。
これはズームしすぎですかね。
もう一枚引きの写真を。
写真中央に堀跡状の低地があります。
これは、妙音寺の背後、北西の場所にあるもので、20年以上も前から目を付けていました。
このように、堀跡が水田や陸稲用の耕地としている例は、東別府の香林寺遺構でも確認できます。
1度、グーグルマップで確認した時には、実際に自転車で流す感覚と随分違い、見つかりませんでしたが、
今回、妙音寺との位置関係をすり合わせて、探した結果、確認に至りました。
それにしても、よく、残っていてくれたと思います。
奈良氏館跡は、奈良氏の墓所のある妙音寺周辺とされています。
遺構と思しきものはなく、ただ、妙音寺の境内が水田の中の
島のようになっているので、そこが館跡と推定されているわけです。
写真は1982年(昭和57年)の頃のものです。
奈良氏館跡は現在でもあまり変化がないようです。
たしかに、妙音寺は丘のように少し高くなっています。
さて、遺構は本当に無いのか・・・・。
実は、堀跡状のものがあるのです。これは本来、日を改めて撮影したいのですが、グーグルで確認できるので
引用してみました。
これはズームしすぎですかね。
もう一枚引きの写真を。
写真中央に堀跡状の低地があります。
これは、妙音寺の背後、北西の場所にあるもので、20年以上も前から目を付けていました。
このように、堀跡が水田や陸稲用の耕地としている例は、東別府の香林寺遺構でも確認できます。
1度、グーグルマップで確認した時には、実際に自転車で流す感覚と随分違い、見つかりませんでしたが、
今回、妙音寺との位置関係をすり合わせて、探した結果、確認に至りました。
それにしても、よく、残っていてくれたと思います。