今回から数度に分けて、武蔵七党の猪俣党の館跡、関連遺跡について書きたいと思います。
今回は、猪俣小平六館跡について書きたいと思います。調査日は、2018年07月25日です。
秩父街道を熊谷方面から寄居町に入り、八高線の線路をこえる立体交差を児玉方面に抜けます。
しばらく走ると、猪俣の百八灯という立札があります。この辺りが猪俣氏の本拠地で、
猪俣小平六の墓がある高台院の脇を通り抜けて細い道を走っていくと、二柱神社・正円寺という神社と寺があります。
ここは隣り合わせになっています。
この辺りが猪俣小平六の館跡と伝えられています。
正円寺です。
そして、その裏に二柱神社があります。
この、神社と寺院は張り出した尾根の湾曲部分にすっぽりと収まっています。
二柱神社・正円寺はあとで紹介することとして、館跡碑まで行ってみましょう。
館跡碑は正円寺前の細道を抜けていくと、開けた場所に出ます。
元商店だったようです。この辺りが館跡になります。この商店の脇に猪俣氏愛馬の碑というのがあります。
このすぐそばには、館跡の碑があります。
この大きな岩は馬方石と呼ばれています。地元の方によれば、これは猪俣氏館の門前にあり、
来訪者が馬もつないだものだそうです。
ということは、ここが猪俣館の門前に当たるのでしょうか。
念のため、地元の方に確認してみると、今は失われてしまったが、元来ここに土塁があった
とのことでした。どうもここが元の門になるようです。
石祠と五輪塔も残されていました。
一方、愛馬の碑です。
さて、すこし遺構を探してみましょう。正直、暑くてかなり大儀でした。
館跡は、周囲を小河川に囲まれたゆるやかな丘の上にあります。
さきほど、地元の方に伺った土塁跡は下の写真です。
今回は、猪俣小平六館跡について書きたいと思います。調査日は、2018年07月25日です。
秩父街道を熊谷方面から寄居町に入り、八高線の線路をこえる立体交差を児玉方面に抜けます。
しばらく走ると、猪俣の百八灯という立札があります。この辺りが猪俣氏の本拠地で、
猪俣小平六の墓がある高台院の脇を通り抜けて細い道を走っていくと、二柱神社・正円寺という神社と寺があります。
ここは隣り合わせになっています。
この辺りが猪俣小平六の館跡と伝えられています。
正円寺です。
そして、その裏に二柱神社があります。
この、神社と寺院は張り出した尾根の湾曲部分にすっぽりと収まっています。
二柱神社・正円寺はあとで紹介することとして、館跡碑まで行ってみましょう。
館跡碑は正円寺前の細道を抜けていくと、開けた場所に出ます。
元商店だったようです。この辺りが館跡になります。この商店の脇に猪俣氏愛馬の碑というのがあります。
このすぐそばには、館跡の碑があります。
この大きな岩は馬方石と呼ばれています。地元の方によれば、これは猪俣氏館の門前にあり、
来訪者が馬もつないだものだそうです。
ということは、ここが猪俣館の門前に当たるのでしょうか。
念のため、地元の方に確認してみると、今は失われてしまったが、元来ここに土塁があった
とのことでした。どうもここが元の門になるようです。
石祠と五輪塔も残されていました。
一方、愛馬の碑です。
さて、すこし遺構を探してみましょう。正直、暑くてかなり大儀でした。
館跡は、周囲を小河川に囲まれたゆるやかな丘の上にあります。
さきほど、地元の方に伺った土塁跡は下の写真です。