暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

内ヶ島氏館跡 1985年(深谷市)

2018-09-22 18:12:10 | 城館跡探訪
深谷の内ケ島には、永光寺という寺院があり、平安期猪俣党の内ケ島氏の

居館跡と言われております。

内ケ島氏は後に、戦国大名として勢力を拡大、秀吉の配下に組み入れられましたが、

領地、岐阜県白川郷を襲った天正地震により大土石流が発生、居城帰雲城・城下町もろとも

潰滅しました。


戦国武将の滅亡譚など、なんだか因果話のような感じがして怖いですが、

内ヶ島氏館跡に行ったときはそんなことは何にも知りませんでした。

夕焼けの中にたたずむ永光寺の朱塗りの門。

わたしはこの写真が結構好きなんです。深谷の唐沢川の橋を渡って家路についた記憶が残っています。





これは、高校の帰り道に回ったんですが、この年は、大学受験の年、秋。

往復2時間の道を、何を考えながら走っていたんでしょうか、このバカは。

上杉館(旧江南町)

2018-09-22 12:09:56 | 城館跡探訪
今回は、旧江南町千代にある上杉館について書きたいと思います。

調査日は2018年08月11日です。

上杉館は上杉氏系の城郭や陣城の多い江南台地上にあります。

わたしは1985年頃に1度訪ねた経験がありますが、土塁と堀が長く続き、

かなり広大なもので、当時は赤松が多く松茸がとれていたようでした。

現在は、広範囲が竹林に置き換わってしまったようで、大分様子が変っておりました。


上杉館の近くには飯玉神社という、境内の池に住む魚は総て片目であるという伝説をもつ

神社があります。

上杉館はこの神社の南側にあります。

手打ちうどんやさんの向い側にある路地を入っていきます。




民家がありますが、その間に空堀のようなものが残っています、






民家の奥の方に続いているので、ここはちょっと直進できません。

この民家の道路を挟んだ向かい側が大きく伐開されています。








この伐開された土地の脇に小道があるので、そこを歩いて、伐開された土地の側面から観察します。





写真左側に土盛が見えます。

かなり埋まってしまっている様子ではありますが、私が歩いている小道の脇にも空堀と土塁状のものがあります。





向う側にあるのはやはり土塁のようです。




伐開された土地の南側にも、かなり埋まってしまっている様子ではありますが、空堀と土塁状のものが続いています。










土塁の切れ目がありますが、これは、館とは直接の関係がないでしょうね。




さて、東側の土塁を見て見ましょう。







結構、立派な遺構です。

近づいてみるともっとすごい。















中央には土盛りのようなものも残っています。





以前訪ねた時はもっと広大なものに感じたのですが、意外にあっさりとしていました。

ここは館跡の一部のみと思われます。フェンスによって囲われた北側山林内をみなければ全貌は分からないでしょう。

ゆっくりとですが、江南台地上は未だ開発が進んでいます。

早晩この上杉館も消える運命にあるのかもしれません。