越畑城は県道11号線を直進し、関越自動車道をくぐった後市野川手前を左折し、
川沿いの道を直進するとたどり着きます。
私がここを訪ねたのは1983年(昭和58年)頃のことだったと思います。
ご存知の方も多いでしょうが、越畑城は関越自動車道の建設に伴って
大規模な発掘調査が行われ、のちに高速道路通過地点もろとも、
遺構のほとんどが削り取られるという憂き目に遭いました。
現在、存在するのはその削り残しです。
私が訪ねたのは、前述の状況が具体的なイメージとして入っていなかったので、
堀や土塁が残っているものだと思っていました。
城址の場所は、この看板おかげですぐにわかりましたが、これ、関越自動車道を挟んで城跡の反対側に立っているんですね。
当時、周囲は「山里」という雰囲気で、夕陽の赤が寂しさを盛り上げます。
関越をくぐって、急傾斜の管理道なのか、コンクリートを打った道を登るのですが、急傾斜のため、
登っても、登っても滑り落ちてしまいます。
これに苦しみながら小さな山の頂上に達しました。
頂上には、小祠がありました。
この後、周囲で遺構を探しましたが、なにもありません。気付いたときには、空も暗くなり始めていました。
下山して夕暮れ時に帰宅してきた農家の男性に話を伺ってみました。途中で、近所のおばさんも話に加わって来ました。
そこで聞くことができたのは、以下の話です。
① 城跡にはかつて城跡碑があったが、関越工事の際にどこかに移動したようで、見かけなくなった。
② 子供の時は、ムジナが出るということで、親たちから夕暮れ時には、みだりに近づかないように言われていた。
③ 遺構は工事によって無くなったはずである。
以上です。このほかにも、食に関する面白い話を伺いました。
民俗学の調査みたいで面白かったです。
このあと、晩秋の暗い田舎道を自転車で帰宅しました。
今考えると、城館跡探訪はすべて自転車で移動していたのですから、我ながら呆れます。
川沿いの道を直進するとたどり着きます。
私がここを訪ねたのは1983年(昭和58年)頃のことだったと思います。
ご存知の方も多いでしょうが、越畑城は関越自動車道の建設に伴って
大規模な発掘調査が行われ、のちに高速道路通過地点もろとも、
遺構のほとんどが削り取られるという憂き目に遭いました。
現在、存在するのはその削り残しです。
私が訪ねたのは、前述の状況が具体的なイメージとして入っていなかったので、
堀や土塁が残っているものだと思っていました。
城址の場所は、この看板おかげですぐにわかりましたが、これ、関越自動車道を挟んで城跡の反対側に立っているんですね。
当時、周囲は「山里」という雰囲気で、夕陽の赤が寂しさを盛り上げます。
関越をくぐって、急傾斜の管理道なのか、コンクリートを打った道を登るのですが、急傾斜のため、
登っても、登っても滑り落ちてしまいます。
これに苦しみながら小さな山の頂上に達しました。
頂上には、小祠がありました。
この後、周囲で遺構を探しましたが、なにもありません。気付いたときには、空も暗くなり始めていました。
下山して夕暮れ時に帰宅してきた農家の男性に話を伺ってみました。途中で、近所のおばさんも話に加わって来ました。
そこで聞くことができたのは、以下の話です。
① 城跡にはかつて城跡碑があったが、関越工事の際にどこかに移動したようで、見かけなくなった。
② 子供の時は、ムジナが出るということで、親たちから夕暮れ時には、みだりに近づかないように言われていた。
③ 遺構は工事によって無くなったはずである。
以上です。このほかにも、食に関する面白い話を伺いました。
民俗学の調査みたいで面白かったです。
このあと、晩秋の暗い田舎道を自転車で帰宅しました。
今考えると、城館跡探訪はすべて自転車で移動していたのですから、我ながら呆れます。
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