大串次郎館跡は、源義経麾下として源義仲追討に従い、
後年、奥州藤原征伐にも参加して、軍功を上げるなどした
猛将大串次郎の居館と伝えられています。
たしかこの時は、6月頃だったと思います。現在ほど、気温が高くなかった当時ですが、
湿気が強くて、蒸し暑く、実家のある熊谷から自転車で川島町までの道のりは平たんな道が
だらだら続いているため、吉見町内を通過する農道で、さすがに飽きてしまい閉口したのを
覚えています。
館跡傍には、門が非常に立派な毘沙門堂がありました。
山門が本堂には不釣り合いなほど厚みがあり、不思議な気持ちがしました。
毘沙門堂の近くには大串次郎の墓と伝えられる宝篋印塔があり、重親塔と呼ばれています。
館跡は市野川の河畔にあります。写真は土塁です。
市野川の河畔は草むらで、本流も草むらの中にすとんとおちているという感じで、
川遊びができるような場所ではない・・・。
荒川の砂利河原に慣れた私には、何かが違うなという感じでした。
「釣りができないじゃん」と思いました。
後年、奥州藤原征伐にも参加して、軍功を上げるなどした
猛将大串次郎の居館と伝えられています。
たしかこの時は、6月頃だったと思います。現在ほど、気温が高くなかった当時ですが、
湿気が強くて、蒸し暑く、実家のある熊谷から自転車で川島町までの道のりは平たんな道が
だらだら続いているため、吉見町内を通過する農道で、さすがに飽きてしまい閉口したのを
覚えています。
館跡傍には、門が非常に立派な毘沙門堂がありました。
山門が本堂には不釣り合いなほど厚みがあり、不思議な気持ちがしました。
毘沙門堂の近くには大串次郎の墓と伝えられる宝篋印塔があり、重親塔と呼ばれています。
館跡は市野川の河畔にあります。写真は土塁です。
市野川の河畔は草むらで、本流も草むらの中にすとんとおちているという感じで、
川遊びができるような場所ではない・・・。
荒川の砂利河原に慣れた私には、何かが違うなという感じでした。
「釣りができないじゃん」と思いました。
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