暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

山田城(滑川町)①

2018-09-27 20:55:11 | 城館跡探訪
今日は、滑川町にある山田城について書きたいと思います。

今回は、主に空堀の中を歩いたあと、郭内を探索する方針を立てました。

調査日は、2018年08月18日です。

山田城は滑川町の国営武蔵丘陵森林公園内にある城跡で、森林公園内には他に山崎城もあります。

まず、森林公園内南口に向います。

山田城跡・山崎城跡を見学したい方に申上げておかなければならないのは、

森林公園に車で向かう際には、駐車場料金と入場料金を用意しておいていただきたいということです。

森林公園の付属駐車場の方が高く、公園外の民営駐車場の方が安いです。

コストパフォーマンス的には、日本一コストの高い城にならないように、

一生懸命、歩き回ることをお勧めいたします。



山田城は松山城の支城の一つとされえう、楕円形の小規模な城です。

南口をはいると、案内板がありますので、その案内に沿って進むと、

5分も歩かないうちに、山田城跡の入り口にたどり着きます。



ここから坂を歩いて丘に登ります。

わたしは、これまで3回、山田城に来たことがあります。

きれいな芝生の城跡です。








意外なことに、山田城跡の中は、すっかり荒廃し、草ぼうぼうの状態でした。

とりあえず、城跡の説明板を撮影します。



これだけは以前と変わりがないように見えます。

既定方針通り、入り口に戻って空堀内に降ります。





山田城は斜面に空堀を掘っているために、本郭との落差がかなり大きく見えます。





















空堀内は意外に歩く人が多いのか、足場がしっかりしています。

とにかく楕円形の城郭の空堀内を延々と歩くのですから、

ほとんど同じような写真ばかりです。時々、土塁の位置関係が逆転するものがありますが、

それは、わたしが降り却って撮影したものです。





















ここに虎口がありました。














この虎口付近が、山田城の構造の中で一つのポイントになる部分のようです。

虎口の右手(西側)の部分が二重の空堀になっているようです。





この部分ですね。

高低差があるので、かなり攻めにくい構造です。







ここで、空堀が大きくカーブします。

また、ここの部分が城跡の南斜面東端にあたります。

人も出入りしないのか、空堀内もやぶになっています。

このやぶを突破すると、また足元は安定しますが、堀は深く、中は薄暗いです。



































あるき続けて、城跡を4分の3周ほど来たところに、階段があります。



ここから、城跡内に入ります。








城址内の踏み跡を歩くと、中央部にある土塁があります。






土塁の背後には空堀があるのが確認できますが、土塁そのものは、郭内部を区切るものではなく、

実は、櫓台のようなものではないかという気もします。








郭内の土塁周りを歩いてみます。




















土塁周りの空堀状構造は、必ずしも強固な意志をもって城の防御施設として掘られたものではないのか、

いつの間にか、消滅してしまいます。

郭内部も東端がかなり低くなっているので、東端の低い部分に合わせるように構築物周囲を掘り下げて、

櫓台のような土塁のような構築物の高さを際立たせようとしたのかもしれません。

芝生時代の方が、遺構の意味が分かりやすかったと思います。

昔は、シートを敷いて弁当を食べるような広場だったんですから。


人見氏墓所:一乗寺(深谷市)

2018-09-26 20:14:54 | 城館跡探訪
人見氏館跡の南、藤沢地区、藤沢小学校に隣接して、人見氏墓所がある一乗寺があります。

一乗寺は人見氏の帰依した時宗の寺院です。

山門




本堂



解説板




さて、人見氏の墓所は山門入ってすぐ左側にあります。









一乗寺は午後になると周囲の建物の影が差して境内が暗くなるので、

気付かず通りすぎないように。

本堂裏の墓地に入らないように気をつけてください。


訪問日:2018年08月17日

皿沼城 1985年(深谷市)

2018-09-25 18:27:02 | 城館跡探訪
この記事では、深谷市の皿沼城について書きたいと思います。

皿沼城は深谷城の支城で、深谷上杉氏麾下の武将、岡谷香丹が築いたとされています。

深谷市の滝宮神社付近を水源とする唐沢川沿いにあります。

元々は高台だったそうですが、深谷市の城跡らしく、瓦や土管の原料として採掘されてしまい、

この当時で既に水堀を残すのみとなっていました。






この城は内ケ島氏館跡を訪ねた日に、同時に訪ねたものです。

夕暮れ時で、うす暗いのですが、水堀跡も確認できます。

皿沼城跡は現在もこの当時とあまり変わりのない状態で残っているようです。


人見氏館跡(深谷市)

2018-09-24 17:16:13 | 城館跡探訪
この記事では、深谷市の櫛引台地上にある人見氏館跡について書きたいと思います。

調査日は2018年08月17日です。

深谷市の南部には櫛引台地という沖積大地があります。普通よく聞くのは洪積台地ですが、

沖積大地とは洪積世よりも新しい沖積世に河川などの作用で形成されたものだそうです。

一面、関東ロームの赤土が広がっており、水に不便しただろうなと思わされます。

人見氏は猪俣党の支族です。人見氏は『太平記』の人見光行入道恩阿が知られていますが、

対楠木正成戦「赤坂合戦」における恩阿の討死後、丹波国に移りました。

人見氏館は上杉氏の支城としてさらに整備されました。




人見氏館の北側に川が流れており、その河川に沿うように館跡が展開しています。

また、この河川が自然の水堀として館の防御機能に組み込まれていたようです。



川沿いに歩けば、館跡が概観できます。

東側の遺構は劣化が著しいですが、西側に行くほどはっきりと残っています。

それでは、東端の一番大きな郭、解説板の一番下の郭から見ていきましょう。

東側の土塁の多くは民家の敷地内にあり、外側からみると、竹林や雑木林の中に土塁が見られます。



東側の郭は大部分が宅地に噛まれてしまったようなので、河川沿いを適度に飛ばして歩いていくと、

先ほどの解説板がある三つ目の郭の中間部分、の道端にたどり着きます。

地図的には、二つ目の郭の東端にも思えるのですが、郭を区切る堀と土塁がないので、

一つ目の郭の中間だろうと判断します。

この辺りは二重土塁になっているのがわかります。








二つ目の郭に向います。二つ目の郭の東側の付近には竹が多く生えています。










ここで館内は土塁と空堀に区切られており、どうもここが二つ目の郭の東端なんだと分かります。




















西に向ってどんどん歩きます。すぐに三つ目の郭に到着です。

この辺りに来ると人家が減り、郭内では竹林が風にそよいでいるだけです。





さて、館跡の西端にいくと、空堀跡が見られます。草刈りをしたようで、よくわかります。











人見氏館跡は、遺構の70%程度がすでに失われており、北側の小河川沿いに遺構が残されている程度です。

それから、二つ目の郭の中に周囲を囲む土塁と堀とは異なる遺構がのこっていることが記されていますが、

解説板では、その場所がわかりにくいです。私も、現場ではわかりませんでした。

地図で確認すると、二つ目の郭の中、看板のある小道沿いのもう1本向う、

川沿いに竹林のある小道を郭内に上がって、民家の前付近にあると思われます。



神流湖の赤い吊り橋 (群馬県・埼玉県)

2018-09-24 12:43:38 | 心霊スポット
心霊マニアさんたちに人気のあるスポットして有名な神流湖の赤い橋です。

これは、1980年代後半ごろから耳目を集めるようになった場所だったという

記憶があります。

現在は、結構外国人観光客に認知されてきたらしく、バイクでツーリングしながら

立ち寄る外国人の方がちらほらみられました。








マニアの方が集まるものですから、おかしな祠ができていたりします。



中にはウミガメのはく製がありました。



一体なんなんでしょう?

埼玉県側は、この先にキャンプ場がありますが、その先は道が荒廃して行きどまりになります。

あまり勢い込んで突っ込んでいくとターンできなくなりますのでご注意を。