ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「もう少し、上を向こう」

2018年04月01日 20時14分32秒 | owarai
『人間の顔は、能面と同じ。
顔を上げると笑って見え、
うつむくと影ができる』。

能は、仮面を使った芝居なのに、
人間よりも表情豊かに感じられます。

うれしい時は、よりうれしい表情に、
悲しいときは、より悲しい表情に
見えるのです。

悲しいお芝居をする時は、少しだけ
顔をうつむき加減にします。
そうすると、顔に悲しいげな影が
できます。

少しうつむくだけで、顔に天井から
の光りで影ができるように計算して、
能面は作られているのです。

人間の顔も、能面と同じです。

うつむくだけで、あなたの顔には
影ができてしまします。

そして、少しだけ顔を上げることで、
あなたの顔は幸せな顔に見えるのです。

自分が“最初の一人”になってみる

2018年04月01日 12時46分35秒 | owarai

手をローソクの火に照らしてみる
と、灯りのほうを向いている側は
明るく、手の裏のほうは暗い。

どちらでも手であるのに、灯りが
当たっているか否かで、明暗が分
かれます。

この世も同じで、明暗、暗くは
表裏一体です。自らの人生を明るく
したければ、明るい気持で、明るい
ほうを向いて歩き続ければよいの
です。

ところが、人間の心には善心と悪
心とがあり、煩悩とか欲望という
悪心の殻が善心を被い隠していま
す。

この煩悩とか欲望の殻を破ると、
自然と人間の本性である善心=
忘己利他(己を忘れて他を利するは、
慈悲の心なり)の心が現われて
くるのではないでしょうか。

難しい話はおいても、不平・不満・
愚痴を言うことをやめて、常にプ
ラスの氣を発散して明るく生きる
ことです。

いかに暗い世の中であろうとも、
まず自ら一本のローソクとなれば、
少なくとも自分の周りは明るく
することができます。

その火を次々と隣りの人に移して
いけば、この世は次第に明るくなっ
ていきます。

他のせいにせず、まず自分が一隅
を照らす努力をすることが大切だ
と思います。

自分が最初の一人になることです。


もうあなたには会いたく ないわ

2018年04月01日 11時48分32秒 | owarai
――もうあなたには会いたく
ないわ。
顔も見たくない。会いに来ないで。
電話もしないで―――

別れ際に投げつけた言葉。一字
一句間違わず覚えている。後悔
はしていない。本気でそう思っ
たし、今でもそう思っている。

あんな男、人生のひどい寄り道
だ。得たものなんて何ひとつな
い。失ったものばかり。

これで吹っきれた。みごとに
さばさばとした気分だ。こんな
簡単なのだったら、もっと早く
別れてしまうべきだった。

あんなにびくびくすること
なんてなかったのだ。

いったい何を恐れていたのだ
ろうか?独りぼっちになるこ
と?そんなことではない。

自分自身の孤独に関してなら
手に負えないことはないはずだ。
手に負えないのは他人の心。

あのひとが誰か別の女に心を
寄せること。その瞬間にみすて
られたような気持ちになるだろ
う。
別れてしまった後で、その別れた
男が別の女を愛するのが怖くて、
別れられなかった。

別れるのは良いが、彼が幸せに
なるのが許せなかった。別れた
直後は、しばらくの間喪に服し
てもらいたい。絶対に。

『高級レストランのカウンター化』

2018年04月01日 09時19分36秒 | owarai

世界の美食学(美術・社会学含む)

をけん引するレストランがフラン

スやイタリアから北欧や南米へと

移行するに従い、

 

料理だけなくインテリアやテーブル

ウェアも自然志向が増えている。

 

もてなしのシンボルと言える白い

クロスは姿を消し、素材感むきだ

しの卓上で料理を供する。空間と

一体化したカウンターがそれらを

演出する。ダイニングというより

ギャラリーの趣だ。

 

2017年9月開業の東京・広尾

「クロード」はその代表と言って

よい。クロスどころか装飾の

一切ないグレー一色の店内で、

コの字型のカウンターが舞台

のように存在感を放つ。

桜を見た帰りにでもよって

見たらいかがだろうか。

 

オード

東京都渋谷区広尾5-1-32

ST広尾2F

℡ 03・6447・7480

 


「ここへおいでよ」

2018年04月01日 08時51分14秒 | owarai

ごく自然に、あなたへお茶を淹れる
私がいる。それをごく自然に受け取り、
静かに「ありがとう」と言うあなたが
いる。

目をこすった後の瞳が潤んで、あなた
は余計柔らかい表情になっている。

そんな静かで、穏やかで、自然な私た
ちの世界が回る。
そして私にだけ見せる、眼鏡を取った
さわやかな素顔。こんなに素敵な人を
ひとりじめにして、いいのだろうかと
思う。

「ここへおいでよ」
あなたが言った。
私は、なるべくふわりと空気のように、
隣へ座る。

「愛している」と口にださなくても、
私たちはわかり合えた。室内のまわ
りの空気がそう語っていた。

『恋や愛に図式があるとしたら
複雑で入り組んでいないほうがいい
に決まっている

シンプルだけれど 柔らかに 穏やかに
調和の取れた心具合に越したことはない

特に 暮らしていくとしたら なおさら
素のままで 無理もしない 心具合は
作ろうとしても出来るものでもない

ごく自然に ふらちの調和 空気 呼吸
なじんでいけば 目に見えない赤糸
というより

もっと自然な 運命 結びつき
ゆうるやかに 時と愛は進み

確かめなくとも 確実に ふたりの
空間ゆるがない』


「春の戸」

2018年04月01日 06時32分10秒 | owarai

『開けば春が来る』
文字どおり、春を閉じ込め
ている戸のこと。

“閉じ込められている“と
表現されるのは、春は格別に
誰もが待ち焦がれている季
節という気分があるからで
しょう。

「戸」を境にこちら側と
向こう側は別の世界であり、
「戸」は別世界への入り口
の比喩として使われています。

このように違う世界につな
がるものの比喩表現には、
「山を越える」「トンネルを
抜ける」「橋を渡る」などが
あります。

「山」には登るつらさが、
「トンネル」には暗闇を進む
不安が、「橋」は川の向こうに
彼岸があるというイメージに
つながり、心理的に深い意味
を持つ言葉です。

薄暗い室内にいて春を持ちわ
びており、戸の隙間からは陽
光が差し込み、戸を開けると
目の前に希望のあふれる「春」
の世界が開ける――そんな
情景の浮かぶ美しい言葉です。


「太陽は日々新しい」

2018年04月01日 05時30分55秒 | owarai

これは、古代ギリシャの哲学者
ヘラクレイトスの言葉。

一度や二度の失敗でクヨクヨ
する必要はない。

「失敗しない人はつねに何ごと
もなしえない」
(フエルブス)

「間違いと失敗は、われわれが
前進するための訓練である」
(チャニング)

 


若葉  信じていた ーtre ―

2018年04月01日 05時10分34秒 | owarai

人の一生には、その人だけに訪
れる、八番目の曜日がある。

わたしにそのことを教えてくれ
たのは、父方の曾祖母だった。
名前を、キヨエといった。
キヨエはあちゃんは、わたしが
中学一年生の時になくなって
いるから、わたしがその話しを
聞いたのは、それ以前という
ことになる。

「でも、いつ来るの?日曜日の
次に来るの?それとも土曜日と
に日曜日の次に来るの?」
「さあ、それはわからん。人に
よっていろいろじゃ。来ても、
気づかない人もおる」

「あたしにも来るの?」
「ああ、詩音ちゃんにも来る。
その日には、詩音ちゃんの一生で
起こることが何もかも全部、一日
のうちに起こるんよ。ええことも、
悪いことも、全部な」


「そこにいたんだ?呼び出し音
なしでいきなりつながったんで、
びっくりしたよ。同時に受話器
を取ったんだね?」

「嬉しい」
と、わたしは言った。
「ありがとう。電話をくれて」
そう言ったきり、言葉が喉につか
えて、あとはもう何も、言えなく
なった。べっトに縛りつけられて、
まるで蛹のような姿になっていた、
哀れな父の姿が浮かんだ。

お父さんが、死んだの。ついこの
あいだまで、生きてて、偉そうに、
タバコ臭い息で、わたしに説教な
んかしていたのに。もうすぐアメ
リカへ行くよと言ったら、「ニュー
ヨークでジャズを聞いてこい」な
んて、わかったようなことを言っ
ていたのに。

わたしの口から実際に出た言葉
は、
「もう会えなくなったの、お父
さんに」
それだけだった。

「どうしてなんだろう。きょうに
限って俺、朝からずっと胸騒ぎが
して、何がなんでも絶対に電話し
なきゃて思った」
と、あのひとは言った。

海の向こうで、気が遠くなるほど、
遥か彼方にある岸部から。

「会いたい」
と、わたしは言った。それは
言葉ではなくて、叫びだった。
会いたくて、会いたくて、た
まらない。そばにいて欲しい。

抱きしめて欲しい。
なのに、会えない。会いに行
けなくなった。心も躰も岩に
ぶち当たり、木っ端微塵(こ
っぱみじん)に砕け散る、
波飛沫(はしぶき)のようだ。

「何も話さなくていいから」
海の向こうから、遥か彼方から、
見えない岸部から、あのひとの
声が耳に流れ込んできて、躰中
を巡り、わたしを拐って、どこ
かへ運んでいこうとしていた。

希望と絶望の渦に、わたしを巻
き込んだまま。
「泣いていいよ。泣きたければ、
いつまでだって、好きなだけ泣
いて。俺はずっとそばにいるから。
ずっと、詩音ちゃんのそばにいる
から」

あのひとはいつまでも、わたしの
そばにいてくれる。
あのひとはいつでも、わたしの手
の届かない場所にいる。

その日――――八番目の曜日に、
ふたつの思いに引き裂かれたわた
しの躰は、それからもう二度と、
もとに戻ることはなかった。