「どこまでも 冴えわたる
藍の空を
細く鋭い月が貫く クレセン
ト・ナイト
夜空に住まう黒豹の その爪痕
に
陸の獣が遠吠えて 称賛を贈り
続ける」
『透きとおる寒さの中の美しさ』
冬の冷え冷えとして澄み切った
様子を表すのに「冴える」ほどに
適切な言葉はないでしょう。
この言葉からは、水晶のように透
きとおった硬質な寒さが想像され
ます。
純水で美しくて容赦のない寒さで
す。そんな寒さの中で光りを放つ
月・・・・。
「月冴える」という言葉には、こ
れ以上ないくらい冴え冴えとした
感じがよく出ていると思いません
か。
寒の戻りの夜空、月はくっきり見
えて、美しいものです。ただ、
寒くてあまり長く見ているわけ
にはいかないのが残念ですね。
「百歩譲って・・・」という言葉が
ありますが、たかだか百歩なら、い
つでも譲ります。
地球の果てまで歩くのではあるまい
し、百歩はすぐそこまでの距離です。
もちろん僕にも、なかなか譲れない
頃がありました。
人は負けん気が強い生き物なので、
ちょっとでも違う考えに触れたと
たん、否定したり、言い負かそう
としたりします。
殴り合いにはならないけれど、言
葉の戦いを繰り広げてしまうので
す。
僕は戦わないルールを設けました。
その結果、百歩くらい楽に譲れる
ようになったのですから、あなが
ち悪いことではないでしょう。
戦わないために大切なのは、人の
話しをよく聞くこと。
相手に先にしゃべらせ、「もうこ
れ以上、話すことがありません」
と言われてもさらにしゃべらせ、
その間はずっと真剣に聞くのです。
そのうち「ふうん、自分の意見と
は違うけれど、それもありかなあ
・・・」などと思えたりします。
たとえそう思えなくても、相手が
どういう根拠でその意見を述べて
いるかが、立体的に理解できます。
戦わないルールをつくって以来、
人と意見が対立したときでも、
「それは違うでしょう」と否定
することはなくなりました。
もちろん百歩は即座に譲れます。
だからといって、自分を殺したり、
考えを曲げているわけではありま
せん。
相手の意見をまず聞き、「お先に
どうぞ」と譲ってから、自分に
合ったペースで、のんびり自分
の道を歩くこともできるのです。
「どんな喧噪のなかにあっても
眉ひとつ ひそめることなく
嘲笑(わら)いの色にも
悪意の色にも染まらずに
あなたは あなたのままでいた
あなたといると ぼくは時々
音を聴くんだ
かすかな風を知らせるときの
風鈴みたいな
リン、という小さな音を」
【何にも侵されない美しさ】
「玲瓏」という言葉には二つの
意味があります。
一つは、玉のように麗しく光り
輝く様子。もう一つは、玉と玉が
触れ合って鳴る美しい音のことを
さします。
たとえば「八面玲瓏」という言葉が
あります。「八面」とは各方面、全て
の方向という意味です。
つまり、全てが清く澄みきった様子、
転じて人の心の曇りがなく、わだか
まりがなく、人と正しくつきあう
様子を表しています。
中国の詩人・李白の作った詩に
「玉階怨(ぎゃくかいえん)」に、
皇帝の恋人である宮中が皇室の
心離れを憂い、夜、一人で月を
見上げながら思いにふけるとい
情景が描かれています。
恋の切なさが、玲瓏たる月の輝き
のものと、澄んだ美しさを帯びて
迫ります。
「玉階に白露生じ、夜久しくして
羅襪(らべつ)を侵す
却きて水晶を下ろすも 玲瓏として
秋月を望む」
因みに、中国では本妻に翡翠を
愛人にはダイヤモンドを贈ります。
反省とは
過去を引きずって
過去に生きること
過去を反省すればするほど
笑顔と生きるよろこびを
失ってしまう
どうしても反省する必要が
あれば 三秒だけ
反省しよう
そうしてお互いに間違いと
気づいたら
素直に「ごめんなさい」と誤り
許しあい
かばいあい
理解しあい
過去はすっかり水に流そう
オーケストラは 演奏を終えた後
では もう楽器の調子を合わせま
せん
毎朝
あなたも私も 昨日のことは
すっかり忘れ
新しい気持でスタートしよう
愛してると
言ってほしいなら
いうでも言う
誰の前でも
誰の後でも
私は私
あなたと私でなれるものすべて
他のだれにも似ていない
かけがえのない
私たちそのもの
まぶしいほどに健全な 正午の
カフェで
かつて愛したひとと会う
ふと合う瞳に 思い出の影
揺れては駄目、と頭(かぶり)を
振って
強く 強く 強くならなきゃ
友達でいると 決めたのだから
『灰に埋もれた小さな春』
昔、囲炉裏では、大きな切り株や
太い薪を昼夜絶やさず焚いていま
した。
また、火鉢なども灰の中で炭を
熾し、その火で暖をとったり、
煮炊きをしました。
こんな火鉢や暖炉裏を実際に
見たことのある人は、もう少な
くなってしまったかもしれませ
んね。
こうして火を熾した暖炉裏や
火鉢も、夜中や真昼の火を
必要としないときは、燃えて
いる炭や薪に
たっぷりと灰をかけて覆いま
す。
その灰の上に手をかざして
みると、ほんのりと暖かいのは、
灰の下には、まだまだしっかりと
燃え続けている炭や薪が残って
いるからです。
この灰に埋もれた炭火を「埋火」と
いい、ひそかに人に恋い焦がれて
いるさまに見立てたりもしました。
無限にあります。経験や出来事、
本やアートや音楽、植物、鳥、
さまざまなものから刺激を受け、
人は変わっていきます。
僕は、新宿御苑が好きで四季
折々ファッションの色は、
その中で植物や鳥の配色から
コントラストの妙を教わりま
した。
僕が影響を受けたなかには、
尊敬できる人も凄い人も、
とってもすてきな子供も
いました。
海外映画など、知り合いでも
なんでもない通りすがりの
人に笑顔で返す場面を見たりし
日本人の社交べたを痛感します。
山では、見知らぬ人に「こんに
ちは」と自然に声を掛けるの
に・・・。
小さいけれど笑顔はかけがえ
のないパーツなのです。
今日、出会う人すべてが、自分に
何かを教えてくれる先生だと思
えば、相手のファッションや見て
くれ、性格の良し悪しすら気に
ならなくなります。
やさしい人から学ぶこともあれば、
意地悪なヒトから学べることも
あるのですから。
この考え方を試し続けていると、
自然に「ありがとう」という感謝
の気持が生まれます。
人に生かされて生きているという
事実を、忘れずにいられます。
すばらしい技術や能力や、役
割を持つこと。これは、人から
大切にされる条件だ。
しかし反対に、何の技術もなく、
何もできない人も大切にされる
ことがある。
たとえば赤ん坊。赤ん坊は無力
である。泣くことと眠ること
しかできない。
一見、何の役にも立たない。
しかし大切にされる。なぜだ
ろうか。
赤ん坊には無限の可能性があ
る。未来がある。今は何もでき
ない無力な赤ん坊だが、これか
らどんどん成長していく。
こういうヒトを、人は大切にす
るんのではないだろうか。
つまり、今はたいした能力がな
くとも、素直で、行動力のある、
これから成長する可能性を秘めた
人だ。
また、世話をする楽しみがある。
人の世話をすると、「自分が誰か
のために役立った」という気分に
なれる。めんどうを見たり、世話
をすることによって、
自分も何か学んだり、成長できる。
大人になっても、赤ん坊と同じ無力
では困る。自分では何もせず、人に
依存するだけではダメだ。
しかし、ある一面で無力であっても
いいのではないだろうか。
非情に貴重な能力を持つ人でも、何
ごとにおいても全て得意というわけ
にはいかないどろう。
苦手なことも、きっとある。すばら
しい絵を描く人が、
「実は私は歌がへたくそで・・・・」
ということもあるはずだ。
「あの人は、アイデアはすばらしい
けど、事務能力がないな。事務では
私がいろいろ教えてあげよう」
と、はりきって大切にしてくれる場
合もありそうだ。そんなときは、事
務の面ではしっかりお世話になって、
今後の成長を期待させれば、大切に
されるだろう。
「事務なんかできなくたって生きて
いけるんだ。そんなの必要ないバカ
げた能力だ」などといっているよう
ではダメだ。
大切になれる見こみはない。
自分にできることは快く提供して、
できないことは素直に提供しても
らう。お互い様に助けあえる人が、
大切にされるのである。
水辺を思いだす
カワセミが見られる場所は、
深い緑に囲まれ、せせらぎは
黄昏(たそがれ)とともに色合い
や輝きが微妙に変化し、それは
神秘できれいだ。
「カワセミって翡翠(ひすい)
と書く。
翡翠色って、カワセミの
羽の色からきている。
尾がきれいな青で、
全体は深い緑。
宝石の翡翠も
その色に似ているから
なんだ」
「よかった、
君と見ることができて、君が
一緒にいたから、見れたん
だ」と彼女を抱きしめた。
「あの鳥が天使なら、
君が誘いだした女神だ」
そう言いながら、
彼女のくちびるをふさいだ。
さあ、
今夜、夢の続きをみよう~。
年を重ねるごとに
純粋になっていけたら
いいな。
YouTube
back number - 「ハッピーエンド」Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=hzWDXge2ANM
打ち合わせを終えたあと、わたし
たちははごく短い時間、たわいな
い世間話しを、カフェを出た。腕
時計を見ると、三時過ぎ。まるで
冬の幕間のような、ぽかぽかと
暖かい午后だった。わたしは、
「ちょっと散歩してから、帰り
ます」
と、本多さんに言って、駅の近く
の横断歩道の手前で、彼女と別
れた。
新宿の街を歩くなんて、久しぶり
だった。わたしの足は自然に西
新宿へ、新宿中公園の方へ向い
ていた。
西新宿は、アラシといっしょに
暮らした街だった。
そこで出会いがあり、そこで、
別れがあった。恋と愛が出会
って、
すれ違って引き裂かれた場所。
一生分の涙を、わたしはそこで
使い果たしてしまった。
今はさらさらと流れる砂のよう
な記憶に包まれて、ひっそりと
たたずんでいる街、涙も、心の
痛みも、傷も、情熱も、おそらく
この世には、何ひとつとして、
同じ形で同じ場所にとどまる
ことのできるものなど、ない
かもしれない。
公園に着くと、わたしは陽あたり
の良いベンチに腰かけて、鞄の
中から、うす茶色の封筒も取り出
した。ついさっき、本多さんから
から受け取ったばかりの、封筒。
中には仕事の資料が入っている。
企画書やあらすじをまとめた
文章やあらすじをまとめた文章
や構成案や、誰かの過去の作品
のコピー。
わたしは、封筒を膝の上に乗せ
てその重みを、てのひらでその
厚みを、味わった。
愛おしさにも似た感情が、山奥
で人知れず湧く泉のように、
あとからあとから、あふれ出し
てくりのがわかった。
アラシ、また会えたね。
わたしたち、また、つながった
ね。
カフェで読んだその文章を、わ
たしはもう一度、ゆっくり読んだ。
なつかしい、アラシの声が、愛
した人の魂が、粒子になって飛
んできた。
*
これは、風に聞いた話しです。
柳の木の枝を揺らし、白樺の
木の葉を踊らせ、
アザミの綿毛を見えない手で
掬い上げながら、
静かに草原を通り過ぎてゆく、
風に聞いたお話。
仕事にも暮らしにも、人を愛す
ることにも疲れて、
何も信じることができず、自分
さえ信じることができず、
すべての希望を失い、立ち上が
る元気もなくし、
悲しみだけを抱えて、絶望の谷
底を眺めていた僕に、
風がそっと、囁いてくれた物語。