ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「辛い」を「幸せ」に変える、習慣。

2018年04月03日 16時10分47秒 | owarai

「辛い」を「幸せ」に変える、習慣。

「辛い」の字に横線を一本加え
るだけで、「辛い」が幸」に変ります。

 今が辛いと感じたら、横線を一本つ
け加えるように、試しに何かひとつ、
日々の生活にアクションをプラス
してみるとよいのです。
 
「辛」が「幸」へ変わる可能性があります
普段は読まないジャンルの本を読んだり、
コンサートに行ったり、

いつもと違う何かをするだけで、
「辛い」が「幸」に転じることが
あります。


「新しい自分」

2018年04月03日 12時44分35秒 | owarai

「彼を好きになって、新しい自
分を発見する」。
誰かを好きになるということ
は、新しい自分を発見すること。

人を好きになると、驚くことだ
らけだと思う。

相手に対して新しい面を発見する
だけでなくて、今まで知らなかっ
た自分と出会っていく驚きだ。

好きなものを通して、最後は
自分を発見していくということ
をたどっているわけ。

こんなタイプの人は、イヤだと
思っていたのに、どんどん魅かれ
ていく自分を見つけたときに、

今まで知らなかった自分を発見
する。

新しい自分というのは、新しく
生まれ変わるんじゃない。
もともとあったけれども、

気づかなかった自分なんだ。

そういう自分を見つけさせて
くれたり、気づかせてくれる
相手とつき合うのがいちばん
いいわけ。

なぜそれを好きになったかとい
うことは、本当はどうでもいい。

好きになって、何を発見したか
ということのほうが大事だね。

好きな本を見つけることによって、
新しい自分を発見する。


『成りあがり』。

2018年04月03日 11時48分33秒 | owarai

「成りあがり。大好きだね。
この言葉。素晴らしいじゃ
ないか。こんな、何もかもが
確立されきったような世の中
で、成りあがりなんて・・・・・
せめて、やってみろって言い
たいよ」。
矢沢永吉

自伝エッセイ『成りあがり』の
冒頭からの一節。裕福だった幼少
時代から一転、両親を亡くし、

親戚や祖母の家で暮らした日々。
やがて不良少年となり、バンド
で成功を掴もうと上京する。

その時、ポケットには5万円し
かなかったが、心の中には大きな
夢と溢れる意志で強運を味方に
した。

ロック界のスーパースター・
E,YAZAWA。成功に導いたのは
「スターになるんだ」という燃え
るような熱い想い、それだけだった。


若葉   真夜中の雨音― due ―

2018年04月03日 08時56分45秒 | owarai

十月の終わりに、あのひとから
一通、メールが届いた。

親愛なる詩音ちゃんへ
メール2通、ちゃんと届いて
います。
なかなか返事できなくて、ごめん!
もっとゆっくりのんびりしなきゃ、
と思いつつ、
なんだか背中を押されて急がされて
いるような日々をすごしています。

前のメールにも少し書いたと思うけ
ど、今後の身のふり方に関して、
自分でもよく整理できていないこ
となので、今度電話で話します。

前にも話したように、しばらくアメ
リカでがんばりたいという気持ちに
変化はありませんけれど。

僕の方にはあれからひとつ、新し
い出会いがありました。
運命の出会いっていうと、大げさ
だけど、今かなり感動し、揺れ動
いています。

逡巡しているというのが近いかも
しれないな。出かける時間になっ
てしまったので、きょうはこの辺
で。とりあえず、元気でいますか
ら、心配無用です。
詩音ちゃんも元気でね。
            快晴

そして、そのあと、メールは
ふっつりと途絶えてしまった。
「新しい出会い」「運命の出会い」
「感動し」「揺れ動いています」
前向きな気持ちでいる時読み返すと、
それの言葉は明るい響きと輝きを
帯びて、わたしの目と耳に届いた。

きっと素晴らしい出会いがあった
に違いないと、素直に喜ぶことも
できた。

けれども、気持ちが落ち込んで
いる時には、まるであのひとか
ら突き放されてしまったかのよ
うな、疎外感を覚えた。読めば
読むほど、疑心暗鬼にとらわれ
た。

あのひとがわたしから、どん
どん遠ざかっていくような気
がして。

運命的で感動的な新しい出会い
によって、あのひとの心境に、
なんらかの変化があった。それ
をわたしにどう説明したらいい
のかわからなくて、あのひとは
戸惑い、揺れ動いている?

なぜ?
なぜ、揺れ動くの?
何を、どう、逡巡しているの?
あのひとはわたしに、何かを隠
している?

こんな気持ちになるのは、出会
って以来、初めてのことだった。
銀行に勤めていた頃、あのひと
がつき合っていた人は、三つ
年上の日本人留学生。

コロンビア大学のビジネスス
クールで、経営学を学んでい
たという。彼女が修士課程を
終えたら、ふたりは結婚する
つもりだった。

けれど、あのひとが銀行を
辞め、料理人になりたいと
言い出した時、彼女は「そ
れでは約束が違う」とは


違うと激しくあのひとを責め、
ふたりはやむなく別れること
になった。出会ったばかりの
頃、あのひとが教えてくれた
「昔の彼女」の話しは、それ
だけだった。

彼女はその後どこで暮らし、
今は何をしているのか。もし
かしたらまだ、マンハッタン
に住んでいるのか、わたしは
何も知らなかったし、特に知
りたいとも思わないままでき
た。

けれどもわたしは今、知りたい
と思い始めていた。

 


ピンチになったら、耳を引っ張ろう: 佐久 ヤナギダ 端午の節句 兜 フランス輸出

2018年04月03日 08時44分56秒 | owarai

耳を引っ張ると、落ち着くこと
がきる。

耳を引っ張ると、神さまの
アドバイスが聞こえてくる。

ピンチになったら、両手で
耳たぶを引っ張るのはおまじ
ないではありません。

痛いくらい力を入れて
引っ張ってみましょう。

耳を引っ張ることで、相手の
話しを冷静に聞くこともでき
るようになるのです。

耳たびの大きい人を福耳と
言いますが、

ピンチの時に人の話を聞く
耳を持っている人が、
福を呼ぶことのできる人
なのです。

 

 


「隠せぬ背中」

2018年04月03日 07時59分27秒 | owarai

正面は堂々とした態度に見え
ても、背中が弱点をあらわして
いる人がある。どんな人間も裏
は隠せない。

吉川栄治に『背中哲学』という
随筆がある。そのなかで、次の
ように書いている(『われ意外
みなわが師―私の人生観』)。

「前から見ると、くしゃくしゃ
な顔をしているけれど、背中から
見ると、円光の輝いている人は、

私の知己の中では、菊池寛氏だと
思う。一緒に歩いている時など、
後からあの背中を見ていると、

ただまるっこく肥えているだけだ
が、縹渺(ひょうびょう)として、
何か味がある。その味はどんなもの

かというと、『後の安心』とう相だ。
背中には、家庭がそっくり描いて
ある。

いかにも、搦手の木戸は安心して、
大手に向かって床几をすえている
城将の趣だといつも思う」

さらに、
「しかし、夜の銀座裏を歩くとき、
なんと、そこにまだ『帰らぬ良人』
がたくさんに酒の灯の下をうろついて

いることだろう。あの酔っぱらい
達の背中には、脆さや、不安定や、
空虚だらけだ。この人達が、安定の

後光を負ったら、みんな倍も仕事を
するだろうと思う」
と続け、手厳しい。

「人の背中は見ゆるけれど我が背中
は見えぬ」という。自分には見えぬ
背中が、他人には隠せないのでつ
らい。