魔性の女とは、手の内を全部
あかさない女性ではないだろ
うか。
キュートな性格や、セックスの
上手さ、足首のくびれ具合、細い
指の形、などなど魔性さんの魅力
が共通点してある。
魔性さんは自分をさらしつつも、
ベールに包まれた部分を残して
おくのではないだろうか。
男性誌のヌードページでヘアまで
全開のヌードと、長襦袢をまとっ
たヌードを比べると、
何というか長襦袢ヌードのほうが、
見えない部分を想像して、かえって
エロチックだったりする。
チラリズム効果である。
男と女の関係も、見えない部分を
残すからこそ、相手に対する興味が
持続するのではないだろうか。
未知の部分があるうちは、男は
関心を持ちつづける。
魔性さんは、このあたりの男心、
しっかり把握している人、といえ
るのかもしれない。
光り輝くような春の風
春の日の明るい光の中を、
そよ風がうららかに吹き渡る
こと。
輝くような明るさを言う言葉
でもあり、まばゆい陽光の中
を吹き渡る風が、
あたかも光っているかのよう
に感じられる心象風景を表し
ています。
「風光る」は、マンガや小説の
タイトルになるようなしゃれた
新しさがありますが、
江戸時代中期の歳時記にも載っ
ていたほどのキャリアある言葉。
花に限らず、日本男性は普段
何かを相手に贈るというのが
得意ではない。
そもそも徳川時代の武士た
ちや、これに代わった明治
の役人たちが、相手との心
を通わせることに対して、
いわれのない蔑視を与えて
きた歴史をもつ。
例えば、和式の料理屋や
旅館で、床の間の掛軸や
花を見てそれを評価し、
なごむという教養を日本の
男たちはどこかへ忘れて
きてしまった。
文明とは腹の足しになる
もの、文化とは心の足しに
なるもの。
花は心の足しとしては最高
の存在であろう。
よ くお茶を入れるとき、
ばん茶は沸騰した湯で、
玉露ならぬるめの湯で
といいます。
食べ物を食べるときも
一緒で、
マヨネーズで調理した
サラダなら15度。
魚料理なら焼いても
煮ても45~55度。
すき焼きの食べごろは
95度。
舌をやけどするほどの
熱さが、いちばんおいし
い。
みんなで食べるともっと
美味しい。
「愛が微笑む時」という映画、
バスの事故でなくなった四人が、
そのとき生まれた赤ちゃんに
身体を借りて、この世でやり
残したことを1つだけして
天国に行くというお話。
人間は、一瞬のために生きて
いる。
人は健康な時に、
そおうじゃない自分を想像する
のが、なんて苦手なんだろう。
生きているというよりも、
生かされているのだから、
なおさらだ。
この一瞬のために生きたい
”天国”とは死後にゆくあの
世のことではなく、「心の天
国」のこと。
ー 天国(幸福)は手もとに、
あるのに、なぜそれに気が
つかないのか、
心のもち方、考え方をさえ
改めたら、そのことが容易
にわかるのに・・・・・・。
「自分が幸福であることを
発見できる人が、幸福な人」
つまり「幸福を感じる心根」を
磨く。
ただ、欲や不平や羡望
などで心眼が曇っているため
に、また、
いたづらに他人との比較をし
すぎるためにものの価値が
見えなくなってしまう。
いたずらに幸福を「外に求め
る」ようになる。誰もがこうな
りやすいのだが、
これこそが「不幸への出発
点」であるにちがいない。
そうならないためにも、
今日を精一杯生きよう!
コンサート会場が
満員だと音が悪くなる。
音が生きるか死ぬかは、
残響時間が左右する。
だから音楽ホールのなか
は、残響を備えているとこ
ろもある。
しかし、座席を埋めた聴衆
によって、残響時間がかわ
ってしまう。
とくに冬はむずかしい。着
ているセーターなどウールが
主に高音部の音を吸収し、
残響時間が短くなる。
本格的なホールで、コート
やオーバーを預かるのは、
顧客のサービスのためば
かりではないのです。
彼女は何もかも包み隠さず話し
てくれました。
もう、ひとりの胸におさめてお
くのが、苦しくなってしまって
いたのかもしれません。彼女は、
僕が「もうすぐ日本に行くので、
成田空港で待っていて欲しい」
と、
詩音ちゃんに宛てて書いた手紙
を、ファックスして欲しいと渡
し、頼んでいたのに、それをし
なかったこと、留守番電話に入
っていた日本語のメッセージや
詩音ちゃんからのメールをすべ
て消去してしまっていたことな
どを打ち明けてくれました。
僕は初め、彼女に対して、は
げしい怒りを向けました。正直
なところ、掴みかかってしまい
そうになったほどです。それでも、
今はもう、彼女を許すことにし
ました。
なぜなら、これは前にも詩音ちゃ
んに話した気がするのですが、怒
りはなんの解決方法にもならない
と思うからです。
こんなことを書くと、なんだか
ひどく言い訳めいていると思わ
れるかもしれませんが、人の
気持ちというものは、他人には
絶対にわからないし、理解でき
ない。最終的にはその人だけの
ものだということです。
つまり、チュンユーの行為を責
めるのは簡単ですが、彼女の本
当の気持ちは、誰にも理解でき
ないし、誰にも責められない。
それは責めても仕方がいこと
だと、僕は思ったのです。
僕にも責任があります。詩音
ちゃんへの連絡は人任せにし
たりしないで、自分の手できち
んとすべきでした。
彼女から話しを聞いてすぐに、
詩音ちゃんの部屋に電話をか
けました。でも、詩音ちゃんは
すでに引っ越したあとでした。
実家へも電話しましたが、つな
がりませんでした。
この手紙は、詩音ちゃんの会社
へ送ります。
手紙を読んだら、すぐに連絡を
下さい。
電話のそばで待っています。
【コラム:すきやばし二
郎の履歴書】
腕のよい職人が出す品は、
どこで修行をしてきたか、
わかる場合があるという。
銀座の「すきやばし二郎」
の店主、小野二郎氏は、
1925年生まれ、
浜松で板前をしていたが
26歳で、銀座の名門
鮨店「与志乃」(よしの)に
弟子入り。
先代、吉野末吉(故人)に
天才肌を見抜かれ、三年
後、大阪店の花板(板長)
として腕を振るう。その後、
東京に戻り独立。
小野二郎氏の戒め
・タイは握らない。
・採算を度外視しても
シンコを握るのが鮨職人
の意地。
・高価希少な星ガレイは
白身の王者に非ず。
・鮨を食うのに、順番はなし。
・握ったら、すぐ口の中へ。
余談だが、
吉野末吉が亡くなると、
「与志乃」のから客が離れる。
名門は、一代限りが掟。
技とあの世にいくのが鮨職人
と落語家なのである。
忘れられた女がひとり、港町の
赤い下宿屋に住んでいました。
彼女のすることは、毎日、夕方に
なると海の近くまで行って、海の
音をカセットレコーダーに録音し
てくることでした。
彼女の部屋には、日付を書き込んだ
カセットテープが一杯散らばって
いましたが、どれをきいても、ただ
波の音がきこえてくるばかりだった
のです。
―――どうして、毎日、海の音ばか
り録音しているの?
と、通りがかりの少年水夫がききま
した。
―――わたしにもわからないわ。
と、忘れられた女が答えました。
ただ、波の音をきいていると、
気持ちが落ちつくの。
(この忘れられた女には、むかし
好きだった船乗りがいたそうです。
その船乗りは、、ニューイングラン
ド沖の航海に出たまま帰ってきませ
んでした。噂では、戦死したとか、
難破して死んでしまったとか言われ
ましたが、女はどれも信じないで、
いつまでも待ちつづけたのです)
ある日、その忘れられた女が、暮方
になっても録音にやってきませんで
した。
「おかしいなと」少年水夫は思いまし
たが、大して気にもかけませんでした。
しかし、そのあくる日も、またあくる
日も、やっぱりやって来ないのです。
とうとう少年水夫は、赤い下宿屋に女
を訪ねてみました。
すると、部屋には鍵がかかっていず、
だれもいなかったのです。
一台のセットされてあったカセットの
スイッチを入れてみると、波の音が
きこえてきました。
それは、ごくありふれた暮方の波の
音でしたが、じっときいていると、
吸いこまれるようなさみしい感じが
しました。
ふと、耳のせいかドボン!という
小さな音がきこえました
おや、と思ってテープをまき戻して
みると、やっぱりドボン!という
小さな音が聞こえるのでした。
(自分の録音してきた海の音に、
飛び込んだ、さみしい女の自殺した
夏の物語です)
YouTube
Legend of 1900 - Playing Love [HQ]
https://www.youtube.com/watch?v=qZaJhLc9wj8
母はよく、言っていました。
つらいことなど、何もなかった。
あなたを産んでよかった。楽しい
ことばかりだった。
けれど、たったひとつだけ、つ
らくてたまらなかったことがあ
って、それは、あなたが生まれ
たその夜に、わたしのそばには、
誰もいなかったということ。
同じ部屋に入院していた人には、
ご主人がつっききりで寄り添っ
ていて、生まれたばかりの赤ち
ゃんを抱いて、涙を流して喜ん
でいた。それをすぐそばで見て
いたときだけが、つらかったと。
それまでずっと、記憶の底で眠
っていた母の言葉が、なぜだか
急に思い出されて、僕はチュン
ユーに約束しました。赤ん坊が
生まれるまでは、
僕が「夫の役目」を果たしてあ
げると、その言葉を、彼女がど
んな風に受け止めたのか、多分、
僕はもっとほかの言い方をする
べきだったのでしょう。
十二月の半ばチュンユーの子ど
もが生まれ、その前に(日本か
ら戻ったあと)僕は学校に戻り、
最後に残っていたプログラムも
無事、終了しました。
実は僕は今月の終わりから、オ
レゴン州へ行く予定にしている
のです。ポートランドの小さな
村ですが、そこにもやはり思
想家の考え方に共鳴するグル
ープがいて、僕はそこの農場
で、ファームマネージャとし
て、働くことになっているの
です。グリーンカードも取れ
ました。
シオンちゃんがここまで来て
くれたということは、チュン
ユーの口から直接、聞きまし
彼女は、シオンちゃんが編んで
くれた毛糸の帽子を差し出しな
がら、ここで起こったことのす
べてを、自ら話してくれました。
どうして急に話す気になったの
か、それは僕にもわかりません。
僕がオレゴンへ行くことになっ
て、彼女にも何か、ふんぎりの
ようなものがついたのかもしれ
ません。
彼女からは「結婚してほしい」と
言われましたが、僕は即座に
「NO」と言いました。
彼女は何もかも包み隠さず話して
くれました。
その少し前に、チュンユーとの
出会いがありました。
彼女の僕の前に、この部屋に
住んでいた人です。猫も彼女
の飼い猫でした。
彼女はここから車で三十分ほ
どのところにあるバードカレ
ッジの学生で、奥さんのいる
人とつき合っていて、、その
人の子どもを妊娠していたの
です。
なんらかの事情があって、そ
の人と半同棲の暮らしをして
いたアパートメントを追い出
された彼女は、ほかに行くと
ころもなく、昔住んでいたこ
の部屋のドアを叩いたという
ことなのです。
土砂降り雨の夜、顔に殴られ
たような青あざをつけて、幽
霊のようにドアの前に立って
いた彼女を、追い返すことは
できず、その夜は彼女を部屋
に泊めました。
誓って言いますが、彼女には
出会ってから今まで、指一本、
触れていません。
それはさておき、僕はたまたま
翌週からファームにこもる予定
でいたから、新しいアパートが
見つかるまでのあいだ、という
条件つきで、僕の部屋を提供し
たのです。もちろんちゃんと
家賃をもらうことにしました。
彼女はときどき、車を運転して、
僕が働いている畑まで会いにき
てくれました。
電話も電気もなく、現代文明と
は切り離された場所で暮らして
いたので、彼女に会って話しを
するのは、楽しかったです。
でも僕は彼女に対して、特別な
感情は一切もって持っていませ
んでした。
ただ、ある時彼女から「子ども
が生まれるまでは、あなたにそ
ばにいて欲しい」と、涙ながら
に頼まれたとき、どうしても
「NO」と言えなかったのは、事
実です。それは僕が、ミコンノ
ハハに育てられた男だったから
でしょう。