雨のひどく降る様子をいう
言葉
草木を世話するように繁く
降る雨のこと
“悲しいことがあったなら、
頭からざぶざぶシャワーを
浴びよう。
シャワーの中で思いきり泣こう。
シャツと一緒に心も洗濯しよう
そして お日様のひかりで、
心も体も乾かそう“
なぜ人は、一銭にもならない
ボランティアをして満足げな
表情を浮かべるのでしょうか?
アメリカの社会心理学者L・フェス
ティンガールが唱えた「認知的
不況和理論」によれば、
「労働者は科せられた労働が
過酷であればあるほど、安い賃金
でも満足しやすい」ということが、
アメリカの実験で立証された。
例えば
1ドルの手当ての場合、
「この仕事は自分のためにやってい
るんだ」と自分に思い込ませること
によって、
納得します。
20ドルの手当ての場合、
仕事のストレスをお金で解消させよ
うしますから、どうしても仕事には
深い愛着が持ちずらいのです。
結果、ボランティアをやってい
る人たちは、無報酬にもかかわらず
楽しくできるのです。
見たり聞いたり事を行った
りする場合には、
見るものと見られるもの、
聞くものと聞かれるもの、
行うものと行なわれるもの
というように、必ず自と他
との対立があります。
しかし、そういった対立が
あっては、本当に見たこと、
聞いたこと、行ったことに
ならず、その妙趣を味わう
ことはできない。
一切の分別意識、対立観念
を断ち切り、自他不二(自他
の区別なき平等。自他融合)、
一体になり切らない限り、
本当に見たことにも、聞いた
ことにも、行ったことにもな
らないと禅宗などでは教えます。
子どもに対しては子どもの心
になり、老人に対して老人の
身になって、お客様に対して
はお客様の、部下に対しては
部下の身になって対応するこ
とが大切です。
たとえば、障害者の身になり
切って車椅子で街を歩いてみ
ると、なんと障害者の方々に
は住みにくい街かがわかると
言いますが、それと全く同じ
ことです。
茶道「不味流ふまいりゅう」を
開いた松平不味は、「客のそそ
うは亭主のそそうなり、
亭主のそそうは客のそそうと
思うべし。味わうべき事なり。
客の心になりて亭主せよ、
亭主の心になりて客いたせ」と
茶の心得を説いていますが、
すべてのことに当てはまる
ことだと思います。
「頭がいい」と言われる人や
エリートの中には、自分の説
や考え方にこだわって、少し
も人の意見を聞こうとしない、
人を許そうとしない人がいま
す。
本当に頭がいい人といのは、
小さく固まって「自分だけが
正しい」としてしまう思い
上がった人を言うのではない
はずです。
人を許せないのは、人間が
小さく、器が小さいからです。
この世の中、自分が正しい、
相手が悪いと簡単にさばける
ほど単純ではありません。
世の中の善悪というのは、
自分にとって都合がいいか
悪いかだけのことです。
立場を変えて相手の立場に
立ってみると、180度変わる
こともあります。
本当に頭がいい人とは、相手
の立場に立って考えることの
できる心の豊かな持ち主を
言うのだと思います。
本当に人を愛したり尊重し
たりする気持ちがあれば、人
の意見にも耳を傾け、「いろ
いろ心配してくれてありがと
う。私も考え直してみよう」
と言えるはずです。
才能が乏しければ自分を生か
すことができないが、才能に
愛がこもっていなければ
人を生かすことができません。
思いやりと敬愛の心のない人
との付き合いは虚しいものです。
【コラム】
幸せの行動心理『ドミノ法則』
イタリヤ料理のコースを食べる
とき、最初に出てきた前菜が美
味しかったら、
「この店の料理は美味しいな、
次に出る料理も美味しいかも
しれない」
と期待を抱くでしょう。そして
実際に、次の料理も美味しかったら、
「この店の料理人は腕がいいな、
何を食べても美味しいかも」
と確信を深め、その結果、出てくる
料理のすべてが美味しく感じられて、
幸福な気分になります。
つまり、「ドミノの法則」とは、
初めに好印象を抱くと、それが
後々まで長く続くという、
一種の連鎖的心理作用のことを
いいます。
そこで、意識的にプラスの「ドミノの
法則」を活用して、「いいことの連鎖」
を作ります。
やり方は、
どんな些細なことでも、「ラッキーだ」
と唱えるだけです。
「満員電車で座れるなんて、ラッキー」
「お昼に、限定ランチが食べられた。
今日は本当にラッキー」
こんなふうに、積極的に口にして、
意識するようにするのです。
このとき、すごくオーバーに喜ぶ
ほうが、「いいことの連鎖」を
起こしやすくなり、結果、きれいな
笑顔が生まれます。
それは、
人が見ても心が和むのです。
【コラム】
家庭は幸福で、経済的にも充足して
おり、天気も晴朗(せいろう)で、
小鳥もさえずっている。
何一つ不自由がないのに、突然死
ぬ気になる――という、事物の
充足や価値の代替では避けられな
い不条理な死、というのが自殺な
のであり、
その意味で三島由紀夫は、もっと
も見事に自殺を遂げたことになる。
『生まれたときから死ぬまで
ずっと』
今でも神社のご神木などに、根
が一つなのに幹が二つに分かれ
だ古木を見かけることがあります。
「夫婦松」などの名前がついて
いることもあるのでしょう。
そういった育ち方をした木の
ことを「相生」と呼ぼます。
もともとはともに生まれ育つ
という意味の「相生」でした。
後に、そのことが転じて、夫婦
がともに長く生きることも
「相生」というようになりました。
「相老い」に通じるということ
かもしれません。夫婦などの人生
のパートナーとは、一見別の人生
を歩んでいるようでも、
根っこのように深いところでは、
一つになっている。こんな関係
が理想的なのかもしれません。
あなたを想わないときなんて
一瞬だってないんだけど
夕暮れが近づくと 高鳴るこの胸
もうどうしょうようもなくなって
しまう
YouTube
SEKAI NO OWARI「サザンカ」
輝くように、
私も輝きたいと心から思い
ました。
とくにあなたの前では、 ね。
あなたに会ってから、
私は自分の中にもう一人の
自分がいたと知りました。
こんな自分に、
自分でドッキリしています。