どこまでも飛べる翼を
あなたに もらう
言葉を友人に持ちたいと思う
ことがある。
それは、旅路の途中でじぶん
がたった一人だと気がついた
ときにである。
たしかに言葉の肩をたたくこと
はできないし、言葉と握手をす
ることもできない。
だが、言葉にも言いようのない、
旧友のなつかしさがあるもので
ある。
言葉は凶器になることがある。
ジャックナイフのように
ひらめかせて、人の胸の中を
一突きするぐらいは朝めし前
だ。だからネット世界は怖い。
だが、同時に言葉は薬にもな
る。さまざまな心の痛手を癒
すための薬に。
時には、言葉は思い出にすぎ
ない。だが、ときには言葉は
全世界全部の重さと釣合うこ
ともあるだろう
そして、そんな言葉こそが
「名言」ということになる
のである。
だが、本当はいま必要なのは
名言などではない。
むしろ、平凡な一行、一言で
ある。
まさに、ブレヒトの「英雄論」
をなぞれば
名言のない時代は不幸だが、
名言を必要とする時代は、
もっと不幸だ」からである。
そして、今こそ
そんな時代なのである。
・ ・ ・ ・ ・ ・
『あれほど多くの苦しみにさ
いなまれながら、それでもなお
かれの顔が幸福であるように
見えるのはどういうわけだろう』
アルベール・カミュ「手帖」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「初めに言葉があった。言葉は
神とともにあった」、とは聖書
のあまりにも有名な一節です。
もし、これを信じるとしたら、
地球が誕生する前に、この宇宙
空間は聖なる言葉で満たされ、
神の愛とともに美しいハーモニ
ーを奏でていたことになります。
言葉は私たち人間にとって、大
事なコミニュケーションの手段
ですが、もしかすると、それ以
上の意味があるかも知れません。
私たちは言葉によって愛を語り
ます。また励まし合います。
そして、自己表現をします。
でも、それは単に口を動かして、
意思を伝え合うということだけ
ではなく、相寄る魂がバイブレ
ーションを重ね合わせて、
深い レベルで、心を通わせる
ための
ものだという気がします。
『万葉集の愛の歌より』
“わが背子に または逢はじかと
思へばか
今朝の別れの すべなかりつる“
/高田女王(おおきみ)
今朝のあなた 別れの気配
この胸を凍らせる
哀しい予感
きっとさよならね
もう終わりなのね
◇背子(せこ)→女が恋人である
男を親しんで呼ぶ語。
◇また→再び
◇すべなかりつる→どうしようもなく
切なかった。
作者が今城王(いまさきのおおきみ)
に贈った六首のうちの一種。作者の
心にはもう諦めの色がかなり濃く
滲んでいる。
千二百年前から恋の情感は
変わらないのですね・・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=kFquezNCnRk