ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「明日の桜」を当てにしない

2022年03月11日 11時46分15秒 | owarai

明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは

桜は明日も咲いているから、
今日はやめて明日見に行こう
と思っていると、夜中に春の

嵐が吹いて、散ってしまうか
もしれない。自分も明日を当
てにせず、今できることは
今しておきたい、という意味。

元々は、親鸞上人が得度の折
りに、周りの人が、「今日は
夜も遅い、明日になさいませ」
と言ったときに詠んだ歌です。

誰にも怠け癖があり、ついつい
生き方に甘くなりがちです。
今やろうと思えばすぐにでき
ることでも、

何かと理由をつけて明日に
延ばそうとしがちです。
そして、明日という日は
永遠にあります。

それでは、何事も成就しません。

「いまというときいまはなし、
まの字きたればいの字すぎゆく」
という古歌があります。

「いま」の「ま」を発音したと
きは、「い」の字はもうすぎて
しまって帰ってこない。

それほど時は貴重なもので
あり、すべての機会は「あっ」
という間に通りすぎていく。
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「初心」

2022年03月11日 11時43分36秒 | owarai

 

 

ぜひ初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
世阿弥/能楽師1363-1443

「秘すれば花」でも有名な、
能楽のスーパープロデュー
が遺した言葉。

日本人なら誰でも一度は耳に
したことがあるだろう。
しかし、「最初の志を忘れて
はいけない」という人生訓
的な捉え方は間違い。

ここでいう「初心」とは、
人生において直面する新しい
局面をいかに乗り越えていく
かという意味であり、

その上で、人生において
三つの「初心」に出会うと
世阿弥は言っているのだ。

何となく「ああ、トシとった
な」と感じてしまった瞬間も
また「初心」である。

そこから「老い」との初対決
が始まる。


「愛の痛み」 ― 心を酔わせるものー

2022年03月11日 11時42分10秒 | owarai

 

うつろいやすい男と女の
関係というものには、
始まりがあれば別れは必
ずやってくるものだし、


二十代よりは三十代の方
が、三十代よりは四十代
が、その充実した期間は
短いものだと・・・。


両方が同じように愛が冷
めていけばまだまだいい
が、どちらかが未練た
っぷりという場合は、

別れはひどい痛みとなる。


しかしその痛みに耐える
覚悟がなければ、最初から
男と女の関係に飛び
込むべきではないと思う。



人生が、ラヴストーリでありますように。 校正後

2022年03月11日 08時57分13秒 | owarai

 

私は、「その人」との約束を
破った。
生まれて初めて愛した異性。
生まれて初めてバレンタイ
ンデーに、

チョコレートを贈った相手。
完璧な人生の先輩。
愛妻の存在は知っていた
けど、私は本気だった。
なのに、だんだん欠点が
見え始めた。

大切な時に、仕事。束縛。
年下の私をいつまでも
子供あつかいすることに
も我慢できなくなった。

会話が途切れた。
長い年月・・・。
そして大学を出た私には、
他に好きな人が。

どこか「その人」に似ていた。
結婚を決意。
「その人」は黙っているだけ
だった。

式は、2月14日。
新しい恋人に私が愛を告白
した日。

その朝、「その人」と二人きり
で会い、
お別れのチョコレートを贈った。
「約束を破ってごめんね」という
言葉に、「その人」と数年ぶり
の笑顔をかわした。

バージンロードへ向かう私は、
守れなかった「約束」を心
の中で繰り返していた。
「大きくなったらパパの
お嫁さんになるの」

 

https://www.youtube.com/watch?v=re3PzspwEWo

 


「孤独との出逢い」

2022年03月11日 08時36分19秒 | owarai
 
 
私たちはつい、今のあるがまま
のすべてが、ずっと未来まで続
くような錯覚を持ってしまいま
す。

でも一寸先はわからないのです。

二百年も眠りつづけていた島原
の普賢岳が、ある日、突然火を
噴くように、七十年も続いた
ソビエトの共産主義が、突如と
して崩壊したように、

明日何が起こるかわからない
のです。一寸先は闇です。

常に、世の中のすべては移り
変わっています。私たちが
生まれた瞬間から、老いと
死に向って毎日変わっていく
ように。

それを仏教では「無常」という
言葉であらわしています。

この世に起こるすべてのことは
移り変わる、一時も同じ状態
はないということです。

心もまた無常です。

人と人との関わり、交わり、愛
もまた無常です。

結婚式で、日本古来の神式であれ、
お寺での仏式であれ、キリスト
教のチャペルの式であれ、

どの場合も、神や仏の前で、
新郎新婦は夫婦の愛の永遠に
変わらぬことを誓います。

それでも、夫婦の愛が決して
永遠でないことを、年々、世
界的に増加していく離婚の数
が示しています。

結婚式での誓いは
「変わりません」というより、

「変わりやすい私たちの愛だ
からこそ、どうか、神や仏に
よって、守り、育て、つづけ
させてください」

と祈るべきだと思います。

愛しあっている時は、いつか
自分が裏切られるなど、人は
思いません。

まして自分がこんなに今愛して
いる相手に飽きがきたり、情熱
を感じなくなったりする日が
来るなど想像もつきません。

ところが気がついた時、相手に
別な愛人が出来ていたり、
自分が今の恋人や夫以上に心
惹かれる人が出来ていたり
するのです。

それほど人間の心は不確か
なものなのです。

だからこそ人は愛に誓約や
契約を求め、その証人をつくり
たがります。

それで結婚式や神父や僧侶や
神主に立ち会ってもらい、た
くさんの友人に参列してもら
って証人になってもらうので
す。

でも、そんなことがいかに
虚しいか私たちはもうさんざ
ん愛の破局を見たり経験した
り知っています。

愛もまた無常ということも、
孤独と同じくらいに知って
いましょう。