何をやってもダメな時ってあるでしょ。
うまくいかない時、
そんな時はさ、
神様がくれた休暇だと思って、
無理して走らない。
頑張らない。
自然に身を任せる。
そうしたら?
そのうちよくなる。
もの言わぬ男の肩の
大きくて叩きやすくて
ときおり叩く
言葉にするにはもどかしい
ような、「慕わしさ」
「頼もしさ」「懐かしさ」を、
少女のような少し甘えた口調が、
聞こえてきそうだ。
好きだからいっしょにいる。
それが始まりで終わりなの
かもしれない、と思った。
そのシンプルさがうれしか
った。そのストレートさが
強さだった。
目を開けると、窓の外には、く
すんだ大阪の空が広がっていた
けれど、彼に抱かれて目を閉じ
れば、わたしは容易に「原色
の世界」に飛び込んでゆくこと
ができた。
けれども、旅には始まりと、終
わりがある。
恋も同じだ。
情事はもちろんのこと。
そう、つまるところ、人生も
同じなのだ。
それは始まって、必ず終わる。
例外はない。
https://www.youtube.com/watch?v=dbuHk6sfrXY
心如水。こころみずのごとし。
はたちそこそこの若さで没した
非運の将軍、十四代徳川家茂が
好んでこの言葉を書にしたため
た。
ソバ屋でよりよく憩うための
極意は、この心如水にある。
駅ソバだろうと名店の絶品だろう
と、きちんと味わう。これこそが、
客にとっての極楽であり、
同時に、店の雰囲気をうるおす
空気になって、それがめぐって
店への恩返しとなる。
小諸駅構内には、そんな景色が
昔あった。
ソバの薫りは繊細だ。そば屋で
は、きつく匂う話題は避けたい。
なま臭い色恋の修羅話、うさん
臭い商談、キナ臭い口論は、禁煙
席より徹底して廃すべきだ。
店に行ったら、つとめて自然体
で背景に溶け込む。そこから、
じわじわ憩いが醸し出される。
憩うとは、結局、シンクロナイズ
である。ソバ屋は、個々のバイオ
リズムにぴったり対応できるほど、
充分な数があり多彩だ。
持ち駒は多ければ多いほど、町ぐら
しのフットワークは軽やかになる。
ソバ屋は、すこぶる頼れるピットイン
になる。
恋の谷間、そこにひそむのは
気まぐれな悪魔か天使か
あるいは天使の目が離れた
時か
裏切りに 軽い重いはないはず
で
恋が続くにせよ 心のひずみに
なってくる
ただ 完璧な恋などないだろうし
そう思うと つらくなる
ふたりとも
決定的ではなくとも 心のブランク
取り戻せるか 戻せないか 傷は傷
季節のはざま 恋のはざま
不安定に揺れて
壊れはしないが 傾いて 暴れる
グラスの中の嵐 ためいき落として
人は
相手の自分に似ているとこ
ろ 好きなところを
選択的に見て近づき
似てないところ 嫌いなとこ
ろを
選択的に見て 離れていく
どちらの時も相手は同じだ
ったのに
好きになるために自分をだまし
嫌いになるために自分をだまし
ている
恋をしないように努めることも
できるし
恋をするように自分をしむける
こともできる
そのことがわかっていて
どうして