幸せって、
それを探すこと自体が
幸せになれる
ことなんだよね。
https://blog.goo.ne.jp/kurisutaru0163/e/1d6587fb1ab9c2eac792897ec2201471
幸せって、
それを探すこと自体が
幸せになれる
ことなんだよね。
https://blog.goo.ne.jp/kurisutaru0163/e/1d6587fb1ab9c2eac792897ec2201471
きょうまで、私たちの密かな
航海はつづいている。
二十代だった頃、体と体でしか
交わせなかった情熱を、今は
優しい心と心で交じあわせて
いる。
私も、おそらく正人も、そう
確信している。
一回、一回、必ず終わってし
まう読み切りの物語であるの
だが、期待しないで待ってい
れば必ず、次の物語がもたら
される。
穏やかな波のようにくり返さ
れる、終わりのない長編小説
のような日々。
正人に守られている、と私は
感じている。
私も守ってあげられる。
それは、恋人同士だった時に
決して得られなかった安らぎ
であり、
結婚生活の中に見出すことの
できなかった安定感だった。
夕暮れミナトの潮風が
胸元を通っていく
好きだと言っても言われても
飛んでいきそうな人だった
意地をはったら それっきり
終わりそうでこわかった
「寂しいよ」
っと、言った。
でも、本当は、ちっとも寂しく
なんてなかった。
初めから、覚悟を決めて、飛んで
きたのだ。
この旅が終われば、この恋も終わる。
終わりにしなくてはならい。これ
は遊びの恋。真剣な、火遊び。
それをいとおしみ、味わい尽くす
権利は、大人だけにある。
わたしは、離婚歴も不倫歴もある
二十九歳。自分を、大人の女だと
思い込んでいた。
分別も常識もある大人の女。
信念を持っていた。大人の恋とは、
ただ楽しむためにあり、そこに
決して、生活とか将来とかを持ち
込んではならないのだと。
人は自然から生まれて
自然に帰ります。
こんな簡単なことを、私たち
はなぜ、こうも忘れがちなの
でしょうか。
便利な都会の生活の方が、
田舎に引き込んでいる生活
よりも便利で楽しいに決まっ
ている。
本当にそうでしょうか?
あなたが週末、緑を見たく
なるのは、自然に癒されたい
から、
誰かを思って泣くのは、その
問いかけの形ではないで
しょうか。
【気軽に「極楽」に行ける方法】
あの人とは、どうにも価値観が
合わない。それだけで、その人
に会いたくなくなる。
他人の価値観と、自分の価値観
を、口をとんがらせて激論して
も、得るものはひとつもない。
それなのに、どうして、価値観
などという実態のない化けもの
を、気にするのか。
「喫茶法」。禅語で「お茶を飲ん
でいらっしゃい」という意味。
人生にとって、人の価値観とか
主義の主張は、争いのもとにな
るだけだ。
わたしたちが、もっと気にかけ、
大事に思わなくてはいけないの
は、お茶を飲んだり、コーヒー
を飲んで、「ああ、おいしい」と、
その美味がわかるときなのだ、
体いっぱいで「おいしい」と
味わったとき、一切の悩みが
吹き飛んでしまうという点に、
禅の抜苦の工夫がある。
「おいしい」とほほえむ一瞬が、
楽しい極楽である。