ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「幸福行き」へのパスポート

2023年09月01日 13時10分59秒 | owarai

”天国”とは死後にゆくあの
世のことではなく、「心の天
国」のこと。

ー 天国(幸福)は手もとに、
あるのに、なぜそれに気が
つかないのか、

心のもち方、考え方をさえ
改めたら、そのことが容易
にわかるのに・・・・・・。

「自分が幸福であることを
発見できる人が、幸福な人」

つまり「幸福を感じる心根」を
磨く。

ただ、欲や不平や羡望
などで心眼が曇っているため
に、また、

いたづらに他人との比較をし
すぎるためにものの価値が
見えなくなってしまう。

いやずらに幸福を「外に求め
る」ようになる。誰もがこうな
りやすいのだが、

これこそが「不幸への出発
点」であるにちがいない。

そうならないためにも、
今日を精一杯生きよう。


 

「心の置きどころ」

2023年09月01日 13時09分31秒 | owarai
“まずこちらから声をかけてみる”
Aさんは、自分は、会社でに
白眼視されていると訴える。
なぜなのだろうか?

私たちは、自分ほど可愛い物
はない。

ですから、人が自分に会った
とき、心地よい微笑みや優し
い言葉をかけてくれないと、
私たちの心に不満が
生じ、あの人は冷たい、あの
人は私を無視している・・・
と思いがちである。

結局、自分に甘えているのです。

自分に会ったら、人は笑顔や親
切な言葉をかけてくれるものだ
と、決めてかかっているのです。

しかし、こちらだけが微笑みや
親切な言葉を期待しているので
はなく、相手も微笑みや親切な
言葉を期待しているのです。

人が自分に悪感情を持っている
と感じるとき、たいていの場合
は自分に原因があります。

思い切って、こちらから「お元
気ですか」と先に声をかけるこ
とです。

誰もがそれを望んでいるのです。
こちらが心を開けば、相手もき
っと心を開いてくれるはずです。

有名な言葉に、「人にしてほしい
ことを、人にもしてあげなさい」
とあります。

自分中心に物事を考えずに、まず
相手思考をすることが楽しく過ご
すコツです。
 

自分で自分を救う

2023年09月01日 13時08分45秒 | owarai
不安になると、
「心の拠り所が欲しい」
と願う。

他力本願が通用しないと
思うと、「自分で自分を救う」
という自力本願に目が向く。

戦国時代、「自分の心の拠
り所として懸命になって取り
入れたのが「禅」。

禅のひとつの特性は、「あの
世の存在よりも、この世に
おける自己努力を重視する」
ということだ。

つまり、
「自分で自分を救う」ということ。
そのためには、キビシイ心身の
錬磨を必要とする。

極限まで行えば、一種のマゾヒ
ズムに到達する。
これによって、

「危機の克服と新しい状況の
突破口「を得た。

死ぬか生きるかの瀬戸際
今の時代に通じるのでは
ないか。
 

美肌が命

2023年09月01日 11時47分15秒 | owarai
「美人は疲れるからニガ
テ」という男は存在しても、
肌の綺麗な女をキライな
男はいない。

多少デッサンが崩れてて
も、キメの細かいつるっつ
るの肌をしていれば、

目くらましになるどころか、
充分魅力のおつりがくる
と思う。

男は、タイプを問わず、濃い
メークは好きじゃない。
特殊メーク技術を磨くのも結
構だが、それって女の自己
満足!?

裸の付き合いになったら大変。

男をトリコにしたいなら、天然
の美肌づくりにお金と時間を
さくべきでは・・・・・・。
 

手のしぐさ

2023年09月01日 11時46分04秒 | owarai
フランスでは「手の動きに
よって、その家の躾(しつけ)
が分かる」というぐらい、

手の表情、手のしぐさを大切
にします。実際ディナーの時
など、手のしぐさが美し方に
は、思わず見とれてしまします。

昔から「目は口ほどに物を言
う」と言って、まなざしの表
情には比較的意識的な多い日
本ですが、美しい手のしぐさ
を雄弁に自分の想いを表現で
きる、最高のアクセサリー。

ぜひ、フランスの方の美しい
手の表情、身につけてみませ
んか。

まず絶対に避けたいのが、口
に手をあてたり、手を無駄に
顔のところに持ってくること。
因みに、天皇家では強風でも
髪を手でおさえるのはタブー
です。

「口元に手を持っていっては
いけない」「食事の時に髪の毛
を手で触れてはいけない」と
いうのは、厳然としてある常
識的マナーです。

輝き

2023年09月01日 11時44分22秒 | owarai
“落としたるガラス器床に砕け散り
失いしものの輝きを見す“

砕け散ったガラスは、もう役に立つ
「器」ではない。しかしその破片の、
キラキラと、なんと美しいことか。

器であった時に見えなかった輝き。

それは、内側に秘められていた
輝きなのか、あるいは、壊れた
からこそ感じられる輝きなのか。

人間は、生きていく途中で、何度
も何度も大切な器を落として、割
ってしまう。

友情の器、恋愛の器、信頼の器・・
・・・・。失ってしまってから
気づいても、もうとり返しのつ
かない輝きは、

私たちの胸をせつなく痛ませる。
まるでガラスの破片が、突き刺
さるように。