ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

“知恵の時代”の有効資本

2023年09月02日 12時57分52秒 | owarai
「人を使うに、我が心の如く
せんと思わねば廻らないもの
なり。

叱れば道理と思いながらも
恨み僻み、厳しく使えば目
を盗み、

緩過ぎれば怠け、あまき
言葉に乗る。

仕末に困るもの故に、人を
使うは身を使うなりという
述懐も起るなり」

「それ人を使うには、我が身
を顧るを要す。慈悲を本とし、
少しの過ちは見すごし、

大切なることは少しも赦さず、
言葉を慎み、行正しく、法に
過ぎて使わず、使うべきには
必ず使う。

かくして依怙なければ、情に
感じて心服するものなり」
(常盤貞尚『民家分量記』

人間の弱さ、ずるさを十分に
理解した上で、人を使うには、
まず我が身を正すことだと
力説している。

リストラという名のもとに
様々な中高年齢者いびりが
見うけられるが、そうした

経営者を見る社員や社会の
目は厳しく、その裏で本当に
大切なものを見失っている
ことに気がついていない。

これからの知恵の時代を勝ち
残っていくには、人材こそが
勝負である。

そんな企業に、優秀な人材が
集まるとは考えられない。
 

“心の身じたく”はできているか

2023年09月02日 12時56分42秒 | owarai
四十六歳になる婦人が乳がんと
診断され、しかも手遅れで、あ
と数か月の命と宣告された。

婦人は、父親の故郷である山口
に旅し、旅から戻ると、大学生
と中学生の二人の息子に向けて

自分の生い立ちや生き方などを
書き綴った。そして、母親がい
なくなっても困らないようにと、
息子たちに料理を教えた。

「交通事故で突然死ぬことを考え
れば、むしろありがたい、やるべ
きことはすませられるだから」と、

気丈に自宅で闘病生活を送った。
最期の一か月は、美しい母親と
しての思い出を残したいから
日々衰える姿を見せたくないと、

息子たちの病室への入室を禁止
した。

やがて婦人は亡くなり、地元紙
の広告欄には、訃報とともに

「この度、私は病気により急ぎ
旅立つことになりました。・・・
皆様に、心からお礼を申し上げ
お別れをしたいと思います」
という自筆のお別れの言葉が
掲載された。

誰にも死は訪れます。取り乱して
いたずらに時を過ごすのではなく、
死をきちっと見据え、

自分はこれだけのことをしたと胸
を張れるように、今をしっかりと
生きたいものです。
 

替り目

2023年09月02日 12時55分33秒 | owarai
落語家のなりそこないの私は
今でも落語があきらめきれず、
夢で高座に上がっている。

亡き、志ん生さんは無類の納
豆好き。昔、納豆売りに失敗
したとき、やんなるほど
食べただろうに。

志ん生さんが演る『替り目』
の噺ん中にも、出てくるんで
す、納豆が。

『替り目』というのは、―――
飲んだくれた亭主がいつもの
ように酔っ払って帰ってきて、
まだお酒を飲むと駄々をこね
る。

だけど、肴がないってんで、おか
みさんにおでんを買いにいかせる
です。その後、今までさんざん威
張ってた亭主が、独り言で

「ウチの女房ほどいい女はいな
い。苦労させてすまねぇと思って
るんだ」って、日頃言えない本音
を吐くんです。

ところが、おかみさんはまだ出掛け
てなくて、後に立っていた―――
って、いうような人情噺で、志ん生
さんの十八番(おはこ)の一つ。

倒れた後に初めて上がった高座でも
演った。

この『替り目』ん中に、夫婦の
こんなやりとりがあるんです。

「今朝、食べた納豆の残りが十三
ばかりあったろう、あれ、出して
くれ」

「ああ、それ食べちゃった」
「おなえは何でも食べちゃうな」
これなんかも、志ん生師匠が納豆
好きから出てきた台詞だと思うん
です。

ここのお嬢さんがエライ、弟が生
まれて忙しくなったからと麻布の
貯金局を辞めてしまった。

弟の志ん朝さんを、このお姉さんの
美津子さんが面倒を見た。

だが、志ん朝師匠に、大人になって
からも感謝されたことはなかったと
いう。

志ん生師匠とお母さまのりんさんが
亡くなった後、お姉さんの美津子さ
んが一人っきりになったときから、

志ん朝師匠は、黙って仕送りを美津子
さんにしていた。お正月にはお年玉
をあげたり。

志ん朝師匠が家を建て替えたとき、
わざわざ美津子さんの部屋を造って
いた。それが志ん朝さんの
「姉ちゃん、ありがとね」って、
言葉の代わりだったんですね。

お後がよろしいようで・・・。

忘れな草の水色を滲ませ。

2023年09月02日 11時52分32秒 | owarai
「同棲なんですね」
シャープなナイフで、何か
を切り取るような言い方、
でもそれは、決して人を
不愉快にはさせな言い方
でもあった。

「はい」
と、澄み切った声で、わたし
も返事をした。わたしにと
っては「結婚」よりも「同棲」
の方が、何倍も好きな言葉
だった。


ためわらず「愛」という語を

口にするバニラのにおい

ほのかにさせて


覚悟 『嫌われ者になる覚悟は できているか』

2023年09月02日 11時51分20秒 | owarai
優等生でいようとするから
疲れるのだ。他人が何と言
おうがかまわない。

嫌われてもいい。自分はこれ
がやりたいんだ、と考えれば
楽になる。心配しなくても、
好かれる嫌われるかは、気配
りの多い少ないではないのだ。

いくら気配りしても嫌われる
人は嫌われるし、気配りなん
かしなくても、好かれる人は
好かれるのだ。

嫌われないようにしようとす
る努力すること自体、人間
関係に不自然な力が作用する
ことになる。

一度嫌われ者になってごらん。
こんなに気持ちのいいことは
ないのだから。
この記事についてブログを書く
 

昼と夜の狭間

2023年09月02日 11時49分05秒 | owarai
黄昏どきはなぜ人を淋しく
させるのでしょう。

昼と夜が溶けあう微妙な時
間。夕焼け空がやがて青い
闇に覆われていく様子を見
ていると、忘れていた想い出
がよみがえったり、

今、ここにひとりでいるこ
とが心に迫ってくるもので
す。誰かと一緒ではないと
いう所在なさに、途方に暮
れてしまうのかもしれませ
ん。

不思議なもので、黄昏どき
というのは恋人がいてもい
なくても、人をうら淋しい
気持にさせるものです。

そう、ずいぶんと昔の話。
秋になり日が短くなる頃、
何かは淋しさを呼びお越
し、せつなさの琴線を弾
きました。

黄昏ていく世界の中で、
自分はいったい何なのだ
ろう・・・・。

愛する人と自分うを重ね
合わせながら、長い夜を
連れてくる黄昏の紫いろ
に包まれたものでした。

そんな気持ちになるのは、
誰かを思っているからな
のです。