ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

一点に動かざるごと回りゐる独楽(こま)の内なる激しさを見つ

2023年09月06日 12時57分09秒 | owarai
どんなに友達が大勢い
ても、価値観や考え方が
同じ人ばかりが集まって
いたのでは、交友関係が
広いといえません。
新陳代謝が起こらないか
ら、頭がどんどん固くなっ
ていきます。
いろんな違った考え方が
刺激となって入ってくるこ
とによって、人は若返るの
です。

就職試験の面接で苦労す
るのは、違う価値観の人と
出会って話すべき言葉を
自分が持っていないからで
す。
言いにくいことを言ってくれ
る人、考え方を提示してくれ
る人がそばにいない人は、
無人島にいるのと同じです。
そこからは新しいものは
生まれないのです。
ただ慰めたり、自己確認を
しているだけです。



今度こそ。本当にさよなら。

2023年09月06日 12時54分32秒 | owarai
行き先を運転手に告げたあと、
うしろを振り返って、遠ざかっ
ていく夜の街の中に、彼の
姿を探した。
彼は通りに立ったまま、わた
しの乗った車を見送っていた。

傘も差さないで、路上に立ち
尽くしていた。雨に濡れた
ガラス窓を通して、
滲んで見えるその姿が、小
さく小さくなって、すっかり
見えなくなってしまった時、

わたしの両目から、大粒の
涙がこぼて落ちた。

ヘットフォンの裡(うち)なる界をさまよえる少女の瞳のかすかに淫ら

2023年09月06日 11時57分29秒 | owarai

かっこよく見られたいと思うう
ちは、かっこ悪い。 かっこ悪く
てもいいと思う人が かっこいい。
ルックスさえよくなれば、幸せに
なれるでしょうか?
ハンサムであるとか、美人である
とかいうことは、表面的な形を表
す「貌(かお)」でしかありません。
大事なのは、体全体からにじみ出
てくる「顔」のことです。
「貌」はルックスだとしたら、「顔」
はオーラです。
「顔」のオーラは、自信から生まれ
ます。かっこよく見せようとしてい
るうちは、自信のある「顔」にはな
りません。

かっこよく見られたいと思えば思う
ほど、自信は消えていきます。
かっこ悪くても、
これは自分の顔なんだと力が抜けた
時に、初めて、人は自信のある顔に
なるのです。



少女の意識は「ヘッドフォンの
裡なる界をさまよ」っている。
物理的に言えば、耳と違って
瞳のほうは、外界と接して
いる。が、とりあえずそれ
は、外界を「映している」と
いう程度で、「見ている」と
はいえない状態なのだろう。

近眼の人の目は色っぽい、
とはよく言われることだ。
焦点の定まらない少女の瞳
にも何かしら淫靡(いんび)
な雰囲気が感じる。おそら
く見られていることにも気
づいていない無防備さも、
「淫ら」の一因なのだろう。

 


『指の間から伝えあってる』

2023年09月06日 11時48分36秒 | owarai
書き終えた手紙を丁寧に四つに
畳んで、封筒に入れた。
封をしたあと、そこに口づけた。
口づけながら、思い出していた。

自分のことを、人前で、あなたは
わたしからどう呼ばれたい?

結婚して、アメリカに来たばかり
の頃、彼にそう尋ねたことがあった。
彼はわたしの夫となったのに「ハズ
バンド」と呼ばれるのを嫌がった。

「それなら、恋人がいいの?ボーイ
フレンド」と呼ばれるのを嫌がった。
「それなら、恋人がいいの?ボーイ
フレンドって言いましょうか?」
アメリカでは、結婚はしていないけ
れど一緒に暮らしている恋人のこと
を、ボーイフレンド、ガールフレン
ドと呼ぶ。

「それも、いやだな」
「じゃあ、なんて?」
「ラバーがいいな。キミにもずっと、
僕のラバーでいて欲しいから」
ラバーというのは日本語に訳すなら
愛人、いや、情人のほうが、もっと
近いかもしれない。

愛し合ってはいるのだけれど、それ
は日陰の愛、というイメージがある。
向日葵とたんぽぽと、真夏の空と真
っ白な雲を、全部足してもまだ、
「それよりももっと明るい」と言える
ほどの明かるい性格をした人を、
わたしはそれでも「ラバー」と呼んで
いる。

わたしもまた、「妻」には到底ならな
い。すべてにおいて不器用だし、
妻としての役割とか責任とか、そういう
のを果たすのは苦手だから。

たとえば彼が光なら、わたしは一生、
彼の日陰でありたい。
たとえば彼が楽園であるなら、わたし
はその記憶でありたい。

彼のそばにいる時、わたしは性来の
わたしでいられる。生成りの女。シン
プルな女。でもとても熱い東洋のパッ
ションを秘めた―――。

彼の「愛人」でいたかったから、彼と
結婚した。結婚して九年が過ぎたいう
のに、彼はいまだわたしの「可愛い
人」。

目に入れても痛くないほど大好きな、
素敵な「夫」の手に、この手紙が
届きますように。思いを込めて、
切手を貼った。
わたしも封筒に貼り付いて、彼の
もとまで飛んで行けたらいいなと
思った。