朝日新聞の「窓」欄に、『演技の
無理』と題して次のような記事
があった。
「ある中学校の先生が、『いじめられ
る子といじめる子の間に大きな
違いはない。ほとんどの子が、
どっちの立場にもなり得る。
いじめられる側にまわるので
はないかと、多くの子が内心、
おびえている』とテレビで
語っていた。
おまえは変だと仲間から
言われていじめられる側に
まわらないために、皆が見る
テレビや漫画を見、ゲームを
して話を合わせる。
別の誰かがいじめられている
間は、自分が免れられるから、
見て見ぬふりをする。
一人が皆の犠牲になることに
よって、暗黙のうちに多数の
利益が一致する。
いったん犠牲者の役まわりを
押しつけられると、容易にそこ
から抜け出せない仕組みができ
上がる・・・・」
日本では、一人が個性を発揮
すると、「平等」の名のもとに
皆が横並びを主張します。
人は一人ひとりが違って
当たり前です。そこに存在
価値があり、仕事の価値、
創造の価値があるのに、
「みんなが同じでなければ
ならない」という考え方が
強い。
横並び商品やカラオケにゴ
ルフ、献金など皆同じ根です。
もっと自分の責任で判断し、
行動することです。