「kikulog」(※1)というブログで、次のようなエントリがあがっています。
「七田式幼児教育は、やっぱりまずいので」
コメント欄にも多くの書き込みがあり、たいへん示唆に富む内容になっています。(※2)
さてさて、今回はその中のコメントの一つについての感想ですが、幼児教育や七田式とはまったく関係のない部分でちょいと気になりまして。
七田式の教室に軽度の発達障害のお子さんを通わせているという書き込みに対してついたコメントなんですが、これが、まあ、何と言いますか、障害に理解があると思っている方がやっちまいがちな一つの典型だと思いましたんでね。以下に引用します。
#165のコメント
私には、この方の背景や状況がわかりません。身内の方の障害がどのようなものか、「言い続けている」というのがどの程度か、あるいは、本当に身内の方が「恥じて」いるのかもね。
(だから、このコメントはネタのダシに使っている程度に思ってくださるとありがたいです。)
しかし、もし、私が、まだおチビを授かったばかりのときに身内からこのようなことを言われ続けたらちょっとキツいです。今後もお付き合いがあるだろうから口には出しませんが内心で「じゃあ、てめえが育てろよ」ぐらいのことは毒づいてます(笑)
ま、冗談はこのへんにしておきますが、これが善意からの言動だというのはわかります。
「たいしたことない」とは、何とか前向きになってもらいたいという身内の方への励ましなのでしょう。
偏見に負けず障害児を育てているように見える親に比べて、自分の子どもを「恥じて」いるように見える身内の方が歯がゆいのでしょう。
でも、これ、本当に「励まし」になっているんでしょうか?
考えていただきたいんですよ。
子どもの障害を告知されたその時の、親の精神状態がどういうものか。(※3)
そりゃあ、青天の霹靂ですよ。想定外ですよ。
そういう点では、事故にあった時の精神状態とかなり似ているのではないかと思っています。
そこで例え話ですが、あなたが交通事故に合いました。一命を取り留めたが一生障害が残ると告知されました。
あなたは、そこですぐに前向きになれますか?
交通事故は誰にでも起こりうるのだ、たいしたことじゃない、障害を隠さずどんどん表に出て行こう、と思えますか?
動揺したり、不安や絶望感にかられてしまうのではないですか?
もちろん知識としては、交通事故に遭遇する可能性は誰にでもあると私たちは知っています。
それでも、自分がそういう状況におかれたらショックを受けるものでしょう。
子どもの障害を告知された親も同じです。
そりゃあ、混乱しますよ。すぐに前向きになんかなれやしませんよ。
そして、これが肝心なんですけれど、割とすぐショックから立ち直る人もいれば、とても長い時間を要する人がいる。
それは、障害の重い軽いに関係なく、また、受け入れられない親だからといって、特別強い偏見を持っているわけでもないんですよ。
そういう長い情緒的混乱のトンネルにいる人に、「たいしたことない」と励ましたところで心に響くわけがない。
悩んでいる当人にとっては充分に「たいしたこと」なんだから。
それどころか、前向きになれない自分を否定されたように感じて、よけい頑になる場合もあるんじゃないですかね。
ただでさえ、障害児の親は自己否定の感情を持ちやすいんですから。
励ましのつもりが、逆に追いつめている可能性もあるんです。
じゃあ、こういう場合、どう励ませばいいんでしょうか?
状況や性格もあるでしょうから、はっきり「これだ!」っていう答えはないんですけれど、無理に励ます必要はないと私は思っています。
それよりも、本当に親身に心配しているならば、まずは黙って話を聞いてくれる方がありがたいですね。
他人の愚痴を聞くのは結構しんどいし、歯がゆい気持ちにもなるでしょう。
でも、そこをグッと押さえてですね、とにかく気持ちを吐き出させてほしいです。
「話す」というのは結構侮れないものでして。
経験を言葉に置き換える作業には、必ず経験の整理や感情の整理が伴います。
他人に伝える作業を通じて、今の自分がはまり込んでいる視点とは別の視点があることに気づくかも知れません。
初めは混乱していても、どんなに辛いことだと思っていても、時間が経てば、必ず「日常」は戻ってきます。
子どもの笑顔が「かわいい」と思えたり、道で同じような障害を持つ人が目に入ってきたり。
葛藤はありながらも、障害のある風景が当たり前になってくる。
遠い未来はわからなくても、少し先の見通しは立つようになってくる。
そうして、初めて「たいしたことじゃない」と思えるようになるのですよ。
だから、あせらずに、ゆっくりと自分の感情に向き合う時間を与えてほしいんです。
励ますのであれば、今かけている言葉が本当に「励まし」になっているのか、自分の意見の押しつけにすぎないのか自問する必要があるでしょう(これは障害に関係なく、悩みを持つ人に接する時は共通ですよね)。
(※1)昨年、NHKの「視点・論点」に「まん延するニセ科学」というタイトルで出演されていたことで話題になっていた、大阪大学教授の菊池氏のブログです。
その時の放送はyoutubeにもあがっているが、こちらのブログが文章に起こしてくれています。
http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20061221/shiten
(※2)幼児教育に感心のある方は、こちらのエントリも合わせて目を通してみると面白いですよ。すんごく長いんですけれど。
「七田式と波動速読法」
「七田眞はなぜ幼児教育の専門家と思われているのか」
(※3)保護者の心理についてはこちらのページに詳しい。
「保護者の心理(サイト名「特別支援教育のおもちゃ箱」)」
「七田式幼児教育は、やっぱりまずいので」
コメント欄にも多くの書き込みがあり、たいへん示唆に富む内容になっています。(※2)
さてさて、今回はその中のコメントの一つについての感想ですが、幼児教育や七田式とはまったく関係のない部分でちょいと気になりまして。
七田式の教室に軽度の発達障害のお子さんを通わせているという書き込みに対してついたコメントなんですが、これが、まあ、何と言いますか、障害に理解があると思っている方がやっちまいがちな一つの典型だと思いましたんでね。以下に引用します。
#165のコメント
横レスごめんなさい。身内にhandy cappedが一人います。
その子の親には、「たいしたことじゃない、どんどん表に出せ、出会いを
作らせろ」といい言い続けてきました。 でもその親は、その子を「恥じて」
なるべく引っ込めておきましたね。
なおこさん、あなたはえらい。 「したり顔の他人」が何かを言えるはずは無い。(以下略)
私には、この方の背景や状況がわかりません。身内の方の障害がどのようなものか、「言い続けている」というのがどの程度か、あるいは、本当に身内の方が「恥じて」いるのかもね。
(だから、このコメントはネタのダシに使っている程度に思ってくださるとありがたいです。)
しかし、もし、私が、まだおチビを授かったばかりのときに身内からこのようなことを言われ続けたらちょっとキツいです。今後もお付き合いがあるだろうから口には出しませんが内心で「じゃあ、てめえが育てろよ」ぐらいのことは毒づいてます(笑)
ま、冗談はこのへんにしておきますが、これが善意からの言動だというのはわかります。
「たいしたことない」とは、何とか前向きになってもらいたいという身内の方への励ましなのでしょう。
偏見に負けず障害児を育てているように見える親に比べて、自分の子どもを「恥じて」いるように見える身内の方が歯がゆいのでしょう。
でも、これ、本当に「励まし」になっているんでしょうか?
考えていただきたいんですよ。
子どもの障害を告知されたその時の、親の精神状態がどういうものか。(※3)
そりゃあ、青天の霹靂ですよ。想定外ですよ。
そういう点では、事故にあった時の精神状態とかなり似ているのではないかと思っています。
そこで例え話ですが、あなたが交通事故に合いました。一命を取り留めたが一生障害が残ると告知されました。
あなたは、そこですぐに前向きになれますか?
交通事故は誰にでも起こりうるのだ、たいしたことじゃない、障害を隠さずどんどん表に出て行こう、と思えますか?
動揺したり、不安や絶望感にかられてしまうのではないですか?
もちろん知識としては、交通事故に遭遇する可能性は誰にでもあると私たちは知っています。
それでも、自分がそういう状況におかれたらショックを受けるものでしょう。
子どもの障害を告知された親も同じです。
そりゃあ、混乱しますよ。すぐに前向きになんかなれやしませんよ。
そして、これが肝心なんですけれど、割とすぐショックから立ち直る人もいれば、とても長い時間を要する人がいる。
それは、障害の重い軽いに関係なく、また、受け入れられない親だからといって、特別強い偏見を持っているわけでもないんですよ。
そういう長い情緒的混乱のトンネルにいる人に、「たいしたことない」と励ましたところで心に響くわけがない。
悩んでいる当人にとっては充分に「たいしたこと」なんだから。
それどころか、前向きになれない自分を否定されたように感じて、よけい頑になる場合もあるんじゃないですかね。
ただでさえ、障害児の親は自己否定の感情を持ちやすいんですから。
励ましのつもりが、逆に追いつめている可能性もあるんです。
じゃあ、こういう場合、どう励ませばいいんでしょうか?
状況や性格もあるでしょうから、はっきり「これだ!」っていう答えはないんですけれど、無理に励ます必要はないと私は思っています。
それよりも、本当に親身に心配しているならば、まずは黙って話を聞いてくれる方がありがたいですね。
他人の愚痴を聞くのは結構しんどいし、歯がゆい気持ちにもなるでしょう。
でも、そこをグッと押さえてですね、とにかく気持ちを吐き出させてほしいです。
「話す」というのは結構侮れないものでして。
経験を言葉に置き換える作業には、必ず経験の整理や感情の整理が伴います。
他人に伝える作業を通じて、今の自分がはまり込んでいる視点とは別の視点があることに気づくかも知れません。
初めは混乱していても、どんなに辛いことだと思っていても、時間が経てば、必ず「日常」は戻ってきます。
子どもの笑顔が「かわいい」と思えたり、道で同じような障害を持つ人が目に入ってきたり。
葛藤はありながらも、障害のある風景が当たり前になってくる。
遠い未来はわからなくても、少し先の見通しは立つようになってくる。
そうして、初めて「たいしたことじゃない」と思えるようになるのですよ。
だから、あせらずに、ゆっくりと自分の感情に向き合う時間を与えてほしいんです。
励ますのであれば、今かけている言葉が本当に「励まし」になっているのか、自分の意見の押しつけにすぎないのか自問する必要があるでしょう(これは障害に関係なく、悩みを持つ人に接する時は共通ですよね)。
(※1)昨年、NHKの「視点・論点」に「まん延するニセ科学」というタイトルで出演されていたことで話題になっていた、大阪大学教授の菊池氏のブログです。
その時の放送はyoutubeにもあがっているが、こちらのブログが文章に起こしてくれています。
http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20061221/shiten
(※2)幼児教育に感心のある方は、こちらのエントリも合わせて目を通してみると面白いですよ。すんごく長いんですけれど。
「七田式と波動速読法」
「七田眞はなぜ幼児教育の専門家と思われているのか」
(※3)保護者の心理についてはこちらのページに詳しい。
「保護者の心理(サイト名「特別支援教育のおもちゃ箱」)」
実際、その親に問題があるように見えるのは確かだろうしね。
だけどこの場合、目指すべきは、親が子どもを恥じなくてすむように自己変革を促すことでしょう。子どもを愛せるように持っていくことでしょう。
頭ごなしに親の態度を否定したところで、本人の自尊心を満足させる以外、何の解決にもなっていないんだよね。
(実際、非難することは快感を伴うのよ。自分はその親(または子ども)に何かしてやっているという気持ちにもなるし、自分は障害に理解があるのだと自尊心も満足できる。)
結局、育てるのは誰でもない親自身なんだからさ。
子どもの障害を受け入れられないのであれば、まず、そこからスタートしなきゃダメなんだよね。
まず、そういうネガティブな感情を持ってしまうこと自体は当たり前なのだと認めなくちゃ。
感情の揺れ自体は誰にでもあることだと認めて、初めてそこから一歩抜け出すことが出来るのだと思うよ。
自己否定ではなく、自己を肯定できて初めて他人にも優しくなれるのだからね。
でも、話を聞くなんて「甘やかすこと」だとしか思ってくれなかったりする人もいるんだよな~。
>あとは前進あるのみ!だな♪
いやいや、別にいつも前進じゃなくてもいいんじゃね(笑)
辛いときはひきこもったっていいし、助けを求めてもいい。
人間は弱いものだって言う前提に立っていた方が間違いが少ないような気がするよ。
「ほどほど」が人生には結構大切だと思う、今日この頃。
「励ますつもりが一方的な意見の押し付けになっている」・・・これって以前の私はよくやっていた失敗だな。
目の前にある現実を受け入れ、それを消化するのはかな~~~りきつい作業だ。
私が小悪魔の障がいをDrからハッキリ知らされたとき、引きこもり状態というか鬱状態が1年近くあったもんな。そんな中、親友の1人は黙って私の話を聞いてくれた。それこそ「黙って」だったな。
そして、一緒に泣いてくれたんだ。「○○(私の名前ね)よく私に話してくれたね」って。
それだけだったけど、それがとっても嬉しくてね。
「共感」の大切さを初めて知った瞬間だった。
時間って、かかるんだ。
いっぱい苦しんで、泣いて、考えて、絶望して。。。そんな時間の後に、前を向いて歩いていこうという気持ちが生まれてくるんだ。
そして、前を向けるようになったら、あとは前進あるのみ!だな♪