平成23年5月に日光街道を踏破し、翌6月に宇都宮宿を出発し旧奥州街道歩きを開始し、3日間かけて芦野宿に到着しました。
その後、東日本大震災の被災地に近づいていくので、暫く中止し平成25年春から街道歩きを再開しました。
街道歩きは、春と秋のベストシーズンに各1回連続して5~6泊して歩いていますので、これまで延べ6年(実質31日間)をかけ、平成29年春に青森県三戸宿に辿り着きました。
引き続き、平成29年秋に今回の行程を計画していましたが、初日から悪天候が続く予報となったため出発前日に急きょ街道歩きを中止しました。
この時、計画を立てるにあたり以下の課題があり、かなり試行錯誤しました。
1点目は、初日の三戸宿を11時頃出発し、峠越えの歩行予定距離19km程を完歩できるか?
2点目は、三戸宿から野辺地宿間は電車利用が出来ないので、この間は全ての荷物を持って歩かなければいけない事
3点目は、各宿場毎に宿泊施設がないため1日で歩く距離にばらつきがでてしまう事
4点目は、毎度の事ですが70歳に近づく夫婦二人旅ある事
今回は、昨秋計画した行程(青森県の三戸宿から青森宿までの約100km)を4月20日~26日まで6泊7日で歩く事に、そして課題の1点目は三戸宿に前泊する事でリスク回避しました。
4月20日15時過ぎ青い森鉄道線の三戸駅に到着、駅前にある「清水屋旅館」にチェックイン、荷物を置いて駅周辺や道の駅「さんのへ」までブラッとしました。
馬淵川にかかる住谷橋からの桜はとても綺麗です。
アップルドーム「ほのぼの館」には、「11匹ねこ」シリーズの絵本の作者「馬場のぼる」さんの展示コーナーがあるので立ち寄りました。
また、清水屋旅館さんの向かいには、国登録有形文化財に指定された「村井家住宅母屋」があります。大正2年秋に竣工、大正モダニズム時代の和洋折衷の優れた住宅として紹介されていますが、残念ながら見学することは出来ません。
今日は、早めの夕食とし、ゆっくり体を休み、明日からの街道歩きに備えました。
4月21日(土)、街道歩き一日目は晴れです。
朝食を6時30分に採り、7時30分には前回到着している街道筋に立ちました。
しばらく歩くと左手に小さな神社があります。その日最初に出会った寺社で旅の安全祈願をする事が街道歩きのルーチンとなっています。
こちらは馬暦(ばれき)神社、ご祭神は保食神(うけもちのかみ)です。
境内には日本最古のペルシャ馬の供養碑「唐馬の碑」もあります。こちらの狛犬の目には黄色の何かが付いていますが、何かの風習なのでしょうか?
暫く進むと国道4号線を潜りますが、その辺りの桜も満開で綺麗です。なだらかな坂道を登って行くとリンゴ畑でしょうか? 可愛い花がいっぱい咲いています。
歩き始めて1時間弱、目標としている三光寺さんに到着しました。
境内には、国指定重要文化財建造物「南部利康霊屋」(南部27代利直の四男)をはじめ、南部利直霊屋、南部26代信直夫妻の墓石もあります。
この辺は、国指定史跡「聖寿寺館跡」で、三戸南部氏の室町時代から戦国時代にかけての居城だった場所です。
昨年、「聖寿寺館跡」を紹介する案内所がオープンしたようですが、残念ながら開所時間が9時からなので立ち寄る事が出来ませんでした。
三光寺さんを過ぎてから山道となります。
大きく「奥州街道」と書かれた案内板や「伝木戸口跡」と書かれた標柱等を発見しながら進むと県道233号線に出ます。暫く舗装道を歩くと右手に旧街道への分岐案内があり峠道に分け入ります。
山道に入ると「キクザキイチゲ」や「エンレイソウ」が所々に咲いています。山道には似合わないコンクリートの残骸の左下に「庚申塔 甲州街道←」の標識を見付け道を左にとります。
まだ雑草などが成長する前なので街道筋は判り易い状態です。地元の方が、もう少し経つと街道の草刈りに出ると話されていましたが、草刈りして頂かないと歩きは厳しそうです。
久々に一里塚の標柱を見付けました。日本橋から数え162番目の高山一里塚を示している標柱と思われます。続いて「十和田山碑」と書かれた標柱を見付けました。ここから十和田山を遥拝したのでしょうか?
この辺が三戸町と五戸町の境のようです。昨秋、街道歩きに備え熊出没情報を確認したところ、この辺りから五戸町の市街地に出るまでの旧奥州街道沿いに出没情報が有り気になっていました。
県道から分岐して山道に入った時から、鈴を鳴らし、ラジオをつけて歩いていますが、道際に熊笹が増えると雰囲気に負けそうになります。
次の大きな目標地とした「高山峠」には10時少し前に到着しました。
ここは、明治天皇が明治9年東北御巡幸の際、この場所で四方の景色をご覧になり、ご休息された場所です。
峠を過ぎると下りに入ります。途中で「水無坂」の標柱を見て、さらに下って行くと伐採現場を通り、明治天皇が奥州街道巡幸の際に小休止した場所と言われる「水梨清水」を見付けました。
伐採現場には重機も入っているので、熊への不安は少し解消されました。
県道233号線が通る97番目の浅水宿に向け進みます。途中、奥州街道の名残りとなる「並木の松」を見て、佐野坂を下って行くと浅水宿となります。
県道233号線にぶつかる角に奥州街道の案内板があります。これまでの行程を確認し、寶福寺さんを参拝し休憩と昼食を採りました。
この先で県道233号線と別れ、「地蔵坂」と書かれた標柱がある坂を上り、進んで行くと「十峰庵」と書かれた東屋が右手に見えてきます。
この時期は雑草が未だ蔓延っていないので助かります。
「鞍越坂」を越えて暫く進むと「鳥内清水」の案内板があり、その下にきれいな水が湧いています。
この辺りで視界はグッと広がりますが、この先に分岐点がありどちらに進むべきか迷いました。
やっと奥州街道の標識を見付け進行方向を確認、鳥内坂を上って行くと一里塚の標柱を見付けました。
これは、164番目鳥内坂一里塚跡と思われます。
暫く進むと前方に何か居ると妻が言うので、一瞬熊かと思い遠目に観察するとニホンカモシカのようです。
さらに進むと左手に「明治天皇御小休止所跡」の碑があります。明治9年明治天皇東北巡幸の際にここで休憩され、その時八戸村は通らないとのことで、旧八戸藩士大沢多門や野崎和治らが中心となって作られた八戸の風景や活気ある八戸港の大パノラマを、ここでご覧になったそうです。
槍沢(うつぎさわ)への分岐を直進し進みます。二本柳で国道4号線五戸バイパスの跨道橋を渡り、少し進んだ所で左に折れ坂道を下って行くと五戸宿の中心街に入ります。
途中の専念寺さんでトイレ休憩、今回の行程もトイレには困りました。
専念寺さんとお隣にある高雲寺さんの屋根にかかる彫刻には、その細かさに素晴らしいものを感じました。
高雲寺さん
そして本日の打ち止めとする「五戸町歴史みらいパーク」に14時頃到着しました。
こちらも満開の桜が待っていてくれました。しかし、パーク内に再現されている五戸代官所は、残念ながら修復中で見学できませんでした。
その後、ここから15分程歩き、本日の宿泊場所の旅館「さ・くら屋」さんに向かいました。
本日の予定歩行距離19.1km、歩数計は36,829歩を示していました。
その後、東日本大震災の被災地に近づいていくので、暫く中止し平成25年春から街道歩きを再開しました。
街道歩きは、春と秋のベストシーズンに各1回連続して5~6泊して歩いていますので、これまで延べ6年(実質31日間)をかけ、平成29年春に青森県三戸宿に辿り着きました。
引き続き、平成29年秋に今回の行程を計画していましたが、初日から悪天候が続く予報となったため出発前日に急きょ街道歩きを中止しました。
この時、計画を立てるにあたり以下の課題があり、かなり試行錯誤しました。
1点目は、初日の三戸宿を11時頃出発し、峠越えの歩行予定距離19km程を完歩できるか?
2点目は、三戸宿から野辺地宿間は電車利用が出来ないので、この間は全ての荷物を持って歩かなければいけない事
3点目は、各宿場毎に宿泊施設がないため1日で歩く距離にばらつきがでてしまう事
4点目は、毎度の事ですが70歳に近づく夫婦二人旅ある事
今回は、昨秋計画した行程(青森県の三戸宿から青森宿までの約100km)を4月20日~26日まで6泊7日で歩く事に、そして課題の1点目は三戸宿に前泊する事でリスク回避しました。
4月20日15時過ぎ青い森鉄道線の三戸駅に到着、駅前にある「清水屋旅館」にチェックイン、荷物を置いて駅周辺や道の駅「さんのへ」までブラッとしました。
馬淵川にかかる住谷橋からの桜はとても綺麗です。
アップルドーム「ほのぼの館」には、「11匹ねこ」シリーズの絵本の作者「馬場のぼる」さんの展示コーナーがあるので立ち寄りました。
また、清水屋旅館さんの向かいには、国登録有形文化財に指定された「村井家住宅母屋」があります。大正2年秋に竣工、大正モダニズム時代の和洋折衷の優れた住宅として紹介されていますが、残念ながら見学することは出来ません。
今日は、早めの夕食とし、ゆっくり体を休み、明日からの街道歩きに備えました。
4月21日(土)、街道歩き一日目は晴れです。
朝食を6時30分に採り、7時30分には前回到着している街道筋に立ちました。
しばらく歩くと左手に小さな神社があります。その日最初に出会った寺社で旅の安全祈願をする事が街道歩きのルーチンとなっています。
こちらは馬暦(ばれき)神社、ご祭神は保食神(うけもちのかみ)です。
境内には日本最古のペルシャ馬の供養碑「唐馬の碑」もあります。こちらの狛犬の目には黄色の何かが付いていますが、何かの風習なのでしょうか?
暫く進むと国道4号線を潜りますが、その辺りの桜も満開で綺麗です。なだらかな坂道を登って行くとリンゴ畑でしょうか? 可愛い花がいっぱい咲いています。
歩き始めて1時間弱、目標としている三光寺さんに到着しました。
境内には、国指定重要文化財建造物「南部利康霊屋」(南部27代利直の四男)をはじめ、南部利直霊屋、南部26代信直夫妻の墓石もあります。
この辺は、国指定史跡「聖寿寺館跡」で、三戸南部氏の室町時代から戦国時代にかけての居城だった場所です。
昨年、「聖寿寺館跡」を紹介する案内所がオープンしたようですが、残念ながら開所時間が9時からなので立ち寄る事が出来ませんでした。
三光寺さんを過ぎてから山道となります。
大きく「奥州街道」と書かれた案内板や「伝木戸口跡」と書かれた標柱等を発見しながら進むと県道233号線に出ます。暫く舗装道を歩くと右手に旧街道への分岐案内があり峠道に分け入ります。
山道に入ると「キクザキイチゲ」や「エンレイソウ」が所々に咲いています。山道には似合わないコンクリートの残骸の左下に「庚申塔 甲州街道←」の標識を見付け道を左にとります。
まだ雑草などが成長する前なので街道筋は判り易い状態です。地元の方が、もう少し経つと街道の草刈りに出ると話されていましたが、草刈りして頂かないと歩きは厳しそうです。
久々に一里塚の標柱を見付けました。日本橋から数え162番目の高山一里塚を示している標柱と思われます。続いて「十和田山碑」と書かれた標柱を見付けました。ここから十和田山を遥拝したのでしょうか?
この辺が三戸町と五戸町の境のようです。昨秋、街道歩きに備え熊出没情報を確認したところ、この辺りから五戸町の市街地に出るまでの旧奥州街道沿いに出没情報が有り気になっていました。
県道から分岐して山道に入った時から、鈴を鳴らし、ラジオをつけて歩いていますが、道際に熊笹が増えると雰囲気に負けそうになります。
次の大きな目標地とした「高山峠」には10時少し前に到着しました。
ここは、明治天皇が明治9年東北御巡幸の際、この場所で四方の景色をご覧になり、ご休息された場所です。
峠を過ぎると下りに入ります。途中で「水無坂」の標柱を見て、さらに下って行くと伐採現場を通り、明治天皇が奥州街道巡幸の際に小休止した場所と言われる「水梨清水」を見付けました。
伐採現場には重機も入っているので、熊への不安は少し解消されました。
県道233号線が通る97番目の浅水宿に向け進みます。途中、奥州街道の名残りとなる「並木の松」を見て、佐野坂を下って行くと浅水宿となります。
県道233号線にぶつかる角に奥州街道の案内板があります。これまでの行程を確認し、寶福寺さんを参拝し休憩と昼食を採りました。
この先で県道233号線と別れ、「地蔵坂」と書かれた標柱がある坂を上り、進んで行くと「十峰庵」と書かれた東屋が右手に見えてきます。
この時期は雑草が未だ蔓延っていないので助かります。
「鞍越坂」を越えて暫く進むと「鳥内清水」の案内板があり、その下にきれいな水が湧いています。
この辺りで視界はグッと広がりますが、この先に分岐点がありどちらに進むべきか迷いました。
やっと奥州街道の標識を見付け進行方向を確認、鳥内坂を上って行くと一里塚の標柱を見付けました。
これは、164番目鳥内坂一里塚跡と思われます。
暫く進むと前方に何か居ると妻が言うので、一瞬熊かと思い遠目に観察するとニホンカモシカのようです。
さらに進むと左手に「明治天皇御小休止所跡」の碑があります。明治9年明治天皇東北巡幸の際にここで休憩され、その時八戸村は通らないとのことで、旧八戸藩士大沢多門や野崎和治らが中心となって作られた八戸の風景や活気ある八戸港の大パノラマを、ここでご覧になったそうです。
槍沢(うつぎさわ)への分岐を直進し進みます。二本柳で国道4号線五戸バイパスの跨道橋を渡り、少し進んだ所で左に折れ坂道を下って行くと五戸宿の中心街に入ります。
途中の専念寺さんでトイレ休憩、今回の行程もトイレには困りました。
専念寺さんとお隣にある高雲寺さんの屋根にかかる彫刻には、その細かさに素晴らしいものを感じました。
高雲寺さん
そして本日の打ち止めとする「五戸町歴史みらいパーク」に14時頃到着しました。
こちらも満開の桜が待っていてくれました。しかし、パーク内に再現されている五戸代官所は、残念ながら修復中で見学できませんでした。
その後、ここから15分程歩き、本日の宿泊場所の旅館「さ・くら屋」さんに向かいました。
本日の予定歩行距離19.1km、歩数計は36,829歩を示していました。