楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

未来社会はどうあるべきか 5 市場経済

2009-05-29 09:45:26 | Weblog
 現実のこの社会を変えるにはどのような方法があるのだろうか、もはや労働者を中心とした革命という手段は、資本主義の対極にあった社会主義社会が崩壊してしまった現在、考えられないことになってしまった。

 それとも日本共産党のように社会を変えようという理念が先走り、現実からかけ離れてしまったかのような、少数の人しかついていくことができない党になってしまった現状、知識人と称する人さえも、現在の資本主義の末期症状を呈している社会を、どのように変えていくのか回答を出すことの難しさを感じているのではないだろうか。

 その中で無い知恵を絞り、今までとは違う方向から社会が変えられるのではないかと手探りしているのが現在の私である。そして辿り着いたのが、人間が偶然から生み出した貨幣を知ることによって、社会変革の犠牲を伴わないかたちの、社会を現出できるのではないかと幾ばくかの希望を持ってこれを書いている。

 貨幣を知ることによって、貨幣が持つ蓄蔵機能(保存機能)を人間の知恵をもって制御できれば、全ての人が人生をエンジョイできるのではないかと考えている。

 蓄蔵機能を制御する。当然そこには株式会社の形態を持つ資本主義の牙城も崩れることになる。つまり株式に投資をする貨幣所持も無くなり当然のこと先物取引、金融派生商品というかたちの取引も無くなる。
 ただこのようなかたちを1国だけがとったとしても無理がある。そこでより貨幣を世界中の人が理論から理解する必要があると考えている。

 ある人からお前の考えていることは社会主義ではないかと言われたことがあるが、今までの社会主義というものは計画経済であったような気がする。何せ計画経済という言葉さえ現在では死語かしているのではないだろうか。ただ当然のこと蓄蔵機能を制限すればその社会は社会主義に似てくることになる。だがそこには貨幣の持つ交換機能が重視された社会になることは確かだ。

 交換機能が充足している社会であれば、その社会は自由な交換が保障される市場経済のかたちをとることになる。投資ということが個人から社会に移り、個人としては蓄蔵することが制限され、当然のこと蓄蔵の延長線上にある投資ということもできなくなる。ただ個人として貨幣を通した交換が自由に行われる社会であるということになる。

 このような社会を描き出したとして、どのような人が貨幣が持つ交換機能重視の社会に反対を唱えることができるのか、反対するとすれば多分蓄蔵が制限された人であろう。しかし自由の名の下に社会が困窮している状態を、ほんの少数の人の欲望、利益のために多くの人間が我慢しなくてはならないという論理を作ることができるのか。多分できないであろう。
     
       ウィキペディア 市場経済参照

未来社会はどうあるべきか 4 競争社会とは

2009-05-28 15:04:10 | Weblog
  競争社会とは何なのか、それは如何に労働を安く提供できるかという一点に絞られる。競争社会は貨幣を通した労働の交換を阻害していることでしかない。たとえば100人の人間が、100の貨幣量がある社会で、一人が二通りの交換ができるとする、全体としては100の貨幣で200通りの交換が成り立つことになる。だが競争社会ということから、如何に労働から作られた製品を安くするかということの争いとなると、そこには当然の結果として今まで200通りの交換が成り立っていた社会が消えうせ、貨幣を通した労働の交換も減少していくことになる。

 100の貨幣量で200通りあった交換が労働の安売りという結果から1割欠けたことによって。100の貨幣量がありながら180通りの交換しか成り立たない市場へと変化してしまう。欠けた20通りの交換は20人の人間が今までの生活を半分に落とすか、10人の人間が交換からはずされてしまい、つまり生きていくために必要な労働する機会も得られず、他者が作り出した労働の産物である製品も得ることができず、現代流に言えば失業というかたちの、社会から取り残された状態へと追い込まれていく。

 貨幣は全てを握っている、神にもなれば悪魔にもなる。単なる気まぐれのように貨幣をもて遊べば貨幣のしっぺ返しを食らうことになる。
 
 100の貨幣量は200通りの交換を生むこともできれば300通りの交換をも可能にする。ただ使い方を誤れば100の貨幣量がありながら80しか交換が成り立たない社会をも作り出してしまう。

 そこには貨幣はあくまでも人間の労働と労働の交換財でしかないということを理解すれば解ることであるが、現在の社会は100以上の貨幣がありながら80の交換しか成り立たない社会になってしまっている。





未来社会はどうあるべきか 3

2009-05-27 15:01:09 | Weblog
 未来社会はどうあるべきかを先の文章で書いたが、論点を纏めて見ると以下の四点になる。

1 未来社会においては第二のパイを否定する社会でなくてはならない。ただし人間社会に有益であるという投資は社会全体がそれを行うことが必要である。

2 第二のパイを作らない方法として、預金においては手数料としてマイナス金利という考え方があり、未来社会において人々が考えなくてはならないことは、第二のパイを膨らませないことしかありえない。

3 その中で需要と供給のバランスが崩れたとき、労働力の増減によって調整することができる。供給が多ければそれを失業増につなげることではなく、労働時間の短縮というかたちで人生を楽しむことにつなげる。 

4 貨幣の持つ蓄蔵(保存機能)を禁止したことだけで、現在の資本主義社会から人間が理想とする社会にできるなら、革命もなく平和裏のうちに人々が幸福に暮らせる社会へと移行することができる。 

 ここで最大の問題となるのは4番であろう。今まで言われてきた貨幣の機能として三点あるが、1の交換機能、2の比較機能、3の保存機能となるが、私の書いた「新・貨幣論」の中では比較機能は貨幣にあるのではなく物自体、つまり労働自体が比較の対象となっているのであり、貨幣はその比較を代替しているにしかすぎない。つまり他の二点の機能(交換と保存は社会にとって重要な意味を持っている)に対し比較機能はそれほど重要とする意味を持たない。

 ただ貨幣が細分化できるという特徴を持っていることから、つまり1円という硬貨から5円、10円、50円、100円、500円という硬貨があり、そして紙幣として千円があり、二千円、五千円、一万円とある。それらは交換において850円の商品であるならば千円札を出すことによって150円のお釣りを貰う。つまり貨幣が細分化されていることは850円という他人の労働と交換していることになる。(このことは新・貨幣論の中で説明済み)つまり貨幣には労働を細分化する機能を持つということになる。このことが人間社会の中でより分業を促進させる元となっている。

 問題がそれてしまったが限度を超えた蓄蔵(カネにカネを生ませる事)を禁止したことによって社会がどのように変わるのかを考えてみたい。

 資本主義社会の中で、搾取という行為(他社の労働の私有化)が現実社会では貨幣を通して行われている。賃金というかたちで必要労働分を超えた、余剰労働の部分を利潤というかたちで資本を提供した者に取られてしまうが、その社会体制を変えなくて、カネにカネを生ませる行為を禁止しただけで、少なくても平等といえる社会にもっていけるのだろうかが大きな問題となる。

 続きは次回

未来社会はどうあるべきか 2

2009-05-25 16:31:32 | Weblog
 前の文章で「未来社会はどうあるべきか」を書いたが、ただ貨幣の使用方法を変えただけで、社会を変えることができるのだろうかを少し考えてみたい。

 もし貨幣の持つ蓄蔵(保存機能)を禁止したことだけで、現在の資本主義社会から人間が理想とする社会にできるなら、革命もなく平和裏のうちに人々が幸福に暮らせる社会へと移行することができる。

 今回の一部の人間が犯した、カネを膨らませるマジック(金融危機)から、世界中の人々がなぜこんな結果になってしまったのかという疑問の中で、不況という状況に喘いでいる。もう二度とこんなことのない社会にして欲しいというのが多数の人々の願望ではないだろうか。

 だがいまだかって正確な原因究明と対処方法がないまま、早く何とかしなければという焦りの中で、公的資金注入しか方法がないと判断し、後から税金でまかなえば良いと、イチかバチかの勝負よろしく国債を発行し手当てをしていく。

 はたしてこのような方法で万事うまくいくのだろうか。いやむしろうまくいくかどうかという判断もしていないのが現状ではないだろうか。

 本来は経済学者が原因と対処方法を考え出し、私のような素人がこのような問題に口出しすべきではないと考える。また口出しをしたとしても果たしてそのことによって社会が変わってくれるのかと考えると、パソコンに向かい、打ち込むのさえばかばかしくなってしまう。

 だが今回の不況の嵐は私どもの足元にも及んでいる。急激な売り上げの減少。ある程度予想したことであったが、私自身40年ほどの期間、小さな経営であったが今回の不況は今までにないものであると感じる。何が原因かを私なりに理解していることから、欲望のままに今回の不況の原因を作り出した者に大きな怒りを感じている。

 ただ怒りだけでは収まるものではない、今回の多くの人々が苦しんでいるさなかにおいて、有り余った貨幣を利用し儲けようとしている輩がいる。それに対しなんら規制が働かない社会。つまりヘッジファンドが世界のどこかで景気が出てくると判断したとき、まず、最初に原油が狙われてしまう。原油が上がるぞ。原油が上がるぞ。原油が上がるぞ。何回この言葉を叫んだとしても彼らたちの動きを止めることはできない。またこの動きに対し政治が介入しようともしないのが現在の世界のあり方である。

 今世界で多くの人が職を失い、明日への希望を無くしている。若者も学校を卒業したとしても雇用が継続される職場も少なく、非正規雇用の契約社員か、派遣社員では人間的な生き方を求めることもできない。

 人間的な生き方とは毎日の贅沢を言わないまでも充足した食を得るための職のあり方である。そこから全てが出発し、やがて若者として希望に燃えた結婚を通し、家庭を築き子供を生み育てる。それができない社会、そんなものは人間の社会ではないと叫ぶことができるが、ただ手を拱いているだけでしかない自分の不甲斐なさにやりきれない気持ちを抱く。未来社会はこう在るべきだと書いたとしても読む人もなく、ただ書きつづっているしか能もない自分にバカバカしさを感じるが。

 こんな文章を書くのを止めて、庭に枯山水でも新しく造っていた方が今の自分には趣味に生きる道がある。その方がよっぽど生き甲斐を感じるが…

 ただ未来社会はどうあるべきかを書いた以上、それを分析していかなくてはならないという責任も感じる。

未来社会はどうあるべきか

2009-05-20 16:47:57 | Weblog
 不況の原因が人為的なものであるという結論を出したとき、未来社会はどうあるべきかを考えなくてはならない。

 それには貨幣が持つ意味を完全に理解しなくてはならない。何度も言うようであるが貨幣は労働と労働の交換財である。もしここで貨幣を物と物の交換財として考えてしまうと、物(商品)を作らない労働の仕方もあるというとき。たとえば人間社会の分業の結果として物を作らない労働のあり方が、物を作る労働以上に現在は裾野が広がっている。小学校・中学校・高校・大学・消防士・警察官・国会議員・その他の公務員・等々、その人達は生活するために自己の労働を提供し、変わりにその対価として貨幣を得ている。その貨幣が他の人の労働によって作られたもの、もしくは漁師が海から得てきた魚類等と貨幣を通じて交換することになる。ここから貨幣を通して労働と労働の交換財という意味になる。
 
 そこから現在の貨幣を十分に理解しているとは言えない時代の中で、貨幣が持つ他の機能、蓄蔵という問題にぶつかる。だが単なる蓄蔵であればまとまった物を買うために預金をしているという行為もあるが、ここで取り上げる蓄蔵とはカネにカネを生ませる行為、今まで書いてきた文章の中で取り上げているが、第一のパイの中で現金を使いカネにカネを生ませる現在の資本主義のあり方を根本から見直さなくてはならない。

 第一のパイの中で日々の生活をしていく以上に、より多くの貨幣を得た者が、その余りある貨幣を使い商品先物・株等へ投資という形で証券と交換していく、それら証券は日々使われる紙幣とは違った形の紙に印刷された金額として、ある意味貨幣と同じような意味を持つが第二のパイの中で少数の人々の取引によって金額を上げていく。第一のパイの現金は交換を最大限に繰り返したとしても総額を上げてはいかないが。第二のパイの中での架空の金額は、第一のパイの中で証券との交換で少数の人々がそれにかかわるだけで総額を上げていく。例えば09年5月時点での原油先物取引。世界的に経済が回復していくと判断されれば、公的資金注入によって、第一のパイの中で膨らんだ現金が全体に行き渡らず、一部の人々の手に握られてしまい、やがては利益を生んでいくぞと判断されたとき、より多くの交換が第一のパイの中での現金と、第二のパイの中での証券とで、少数の人々の手によって繰り返されるとき現物取引では上がるはずのない値動きとなってガソリン価格が上がっていく。現在のところそれらを規制する動きはみられない。

 そこから未来社会においては第二のパイを否定する社会でなくてはならないと考える。ただし人間社会に有益であるという投資は社会全体がそれを行うことが必要である。

 第一のパイ、つまり市中での貨幣が少ないときに少ない貨幣を集めることが必要になったとき、金利を上げていかざるを得ないが、いつでも集めることができる状態になったとき、金利は上がることはない。現在の状況は有り余った貨幣量によって金利を上げなくてもカネを集めることがたやすくなっている状況といえる。それがヘッジファンド等の資金集めがたやすくできることから、先物等を通じて第二のパイを膨らませることになる。

 このように考えてくると第二のパイを作らない方法として、預金においては手数料としてマイナス金利という考え方があり、未来社会において人々が考えなくてはならないことは、第二のパイを膨らませないことしかありえない。第一のパイの中を貨幣が労働と労働の交換財として使われていくことにのみ、貨幣が人々の間をとめどなく行き来し、経済が活性化されたと人は気づくはずである。

 その中で需要と供給のバランスが崩れたとき、労働力の増減によって調整することができる。供給が多ければそれを失業増につなげることではなく、労働時間の短縮というかたちで人生を楽しむことにつなげることができる。

 また考えが浮かんだとき書き込みをいれます。

人間の経済活動の中でなぜ不況が来るのか? 15 今までの纏めとして             

2009-05-16 10:39:37 | Weblog
 前回14で「次回はバブル崩壊から不況の原因になる株式を取り上げてみたい」とこのように書いたが今迄1から14まで書いた文章の中に既にあることから、改めて書くほどのものはないようだ、が、そこで今迄書いてきた文章から株式(証券)像を追ってみたい。

まずバブルを作りだしていく要素を書き出してみたい。

1 最初のバブルはご存知のように1637年にオランダで起こったチューリップバブル。需要と供給の関係からではなく、完全に人為的な要素を持っていたといえる。以下はウイキからの抜粋した引用を再度使用。

>バブルの進展は三段階に分けて説明できる。需給の不均衡による高値がついた第一段階、投機家が参入してきた第二段階、そして元手をもたない庶民をまきこんだ第三段階である。この第三段階に至ってバブルの様相を呈し、暴落と混乱を招いた。

第一段階=チューリップ球根の取引は現物取引であった。

第二段階=チューリップ取引は現物であるがため、売買期間が冬だけに限られている。この段階では取引が貨幣であることから貨幣を媒介とした取引は市中(第一のパイ)での取引のため頻繁には行われない。そこからチューリップ取引を年間を通して行われる仕組みを模索しだした。(現物ではなく信用を担保とした手形)この段階では小さなバブルの段階で留まっていた。

第三段階=「ウイキより引用」チューリップで短期間に莫大な富を得られるという噂が職人や農民などに広がると、かれらが徐々に市場に参入してきた。元手をもたない彼らはまず自分でも買える程度の球根から始めた。その程度の品種でも値は上がり、転売で利益を得る者が続出した。それに伴い、市場に大きな変化が起きた。『通年取引とそれに伴う先物取引制度の導入である』

 こうした取引は、正規の証券取引所ではなく居酒屋で行われた。取引において現金や現物の球根は必要なかった。「来年の4月に支払う」「その時に球根を渡す」という手形ですませることができ、わずかな内金で売買できた。内金といっても現金とは限らず、家畜や家具など換金できそうなものなら何でも通用した。その手形が取引をくりかえすうちに幾人かを経由していき、債権者や債務者がどこの誰だかわからないという状況になりつつあった。この先物取引システムによって元手がない者も投機に参加できた。パン屋や農民までチューリップ市場に参加し、それによって需要がふくらみ、安価な品種でさえ急騰した。しかし価格の上昇に伴って、本来の買い手である植物愛好家が買わなくなっていった。特に民衆が取引していた安価な球根は愛好家に見向きもされなかった。 そして急落

それ等を整理してみると。

1 現物取引をしているときではバブルは発生していない。

2 通年取引とそれに伴う先物取引制度の導入。居酒屋が舞台となった。投機家がそれ等を先導した。

3 一般庶民を巻き込んだかたちで手形決済及び小額の内金で取引が行われた。家畜や家具などを現金化して、この先値上がりしていくことを予想して証券を買い込んでいった。

4 振り出した手形が複数の人を経由していき債権者・債務者が誰だか解らなくなっていった。

5 バブルの崩壊。以下はウイキより引用>1637年2月3日、突然の暴落が起こった。価格が下がったというよりもむしろ買い手がまったく見つからない状態だった。手形は不渡りとなり、支払いきれない債務を負った者は3000人ともいわれる。

また別の文章から
第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは大戦への輸出によって発展した重工業の投資、帰還兵による消費の拡張、自動車工業の躍進、ヨーロッパ地域への輸出の増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況を手に入れた。1920年代前半に既に農作物を中心に余剰が生まれていたが…
 
農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず投機熱があおられ、アメリカの株式市場は1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって投機熱は高まり、ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰。1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという最高価格を記録した。市場はこの時から調整局面を迎え、続く1ヶ月間で17%下落した、次の1週間で下落分の半分強ほど持ち直し、その直後にまた上昇分が下落するという神経質な動きを見せた。それでも投機熱は収まらず、
 
そのような状況の下1929年10月24日10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。
 
更に10月29日、一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた計算になったが、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。

第二のパイの中では先物・株を除いてはパイを膨らませる要素は金利だけだが、先物・株においては前の文章に書いたように小数の人々の取引によって総金額がいつでも増減している。人々が株の買いに集中すれば株の総金額が上がったことによって第二のパイがより大きく膨らむ、この現象がバブルと言われるものである。当然先物取引によって少数の人の買いが、原油に集中すればこのパイを大きく膨らませる元になり、穀物・金属等に買いが集中すれば、やはり第二のパイは大きく膨らむ。

 今回はこれらに加え証券化商品というかたちでパイを膨らませたことになる。本来住宅ローン、自動車ローンにしても、単なるローン債権であれば金融機関が第一のパイで庶民に貸し付けたローン債権がそのまま第二のパイに入り、金利分だけがパイを膨らませることで済んだが、それを証券に加工し高い金利をつけ金融機関・一般投資家に際限なく売ったことがより第二のパイを膨らませたことになる。
文章が長くなるので「人間の経済活動の中でなぜ不況が来るのか?Ⅹ」を参照してほしい。

今回これらのバブルの沈静は政府が金融政策によって収束したものではなく、米国のサブプライム危機が突然ヨーロッパに飛び火した結果。07年8月9日、フランスの大手BNPパリバ銀行が、その傘下にあった3つのファンドの取り付け騒ぎが起こったことへの対抗措置として、そのファンドの解約を凍結する措置をとったことから世界的な金融危機の引き金を引いた。結果として市中から現金が消えてしまったことになる。「人間の経済活動の中でなぜ不況が来るのか?7」を参照

人間の経済活動の中でなぜ不況が来るのか? Ⅴ
2009-02-19 15:10:54 | Weblog
 
第二のパイが膨らむ理由は限りなくある。その原因となっている資金は第一のパイの中の流動性が元になるが。ここに、より経済活動を高めようとすれば可処分所得を多く取れる者が現れることが必要になる。彼らは投資という形で第二のパイに貯めていた金銭を引き出し第一のパイの中で現金として使う。経済活動が活発になり株価が上昇局面になればすかさず株の購入に金をつぎ込むし、資源・穀物等の先物等に金に金を生ませるやり方で資金をつぎこみ、第二のパイを大きく膨らましていく。

ここに阿修羅という掲示板で議論した内容を掲載してみよう。縄文ビトのハンドルネームは楢篠です。

1年間で250兆円の資産の消失とは、何のことかえ?

http://www.asyura2.com/08/idletalk34/msg/156.html
投稿者 藪素人 日時 2008 年 10 月 25 日 15:14:25: BhHpEHNtX5sU2
 
 NHKニュースだと、昨日だけで日本の株資産は8兆円消えたんだと。日本列島を大火や大津波、地震が襲って財物を毀損したわけでもねえ。疫病で多くの人口が激減したわけでもねえ。列島の財物はそのまんまだべえ。外国の誰かの持ち物になるちゅうことかのー。それなら分からねえでもねえが、なしてそうなるんだか。世界中で資産消失しているから、どこかの国が儲けているとは思えねえ。日本の資産が米国のブラックホールに吸い込まれたんか? この消えた資産はどこかえ忽然と消えてしまったのかえ。それとも巧みに立ち回ったあれこれの個人のふところに転がり込んだのかえ?
 
 拙者、一株も拝んだことがねえんで、ピンをこねえのが正直なところ。分かったつもりになっているが、実は分かっていねえところがある。イヤイヤ端的に言って、みんなで株遊びしているうちに、株価を下げてしまったんなら、みんなで示し合わしてまた株をどんどん買っていけば、上がっていくんでねべか。そしたらまた資産がどんどん増えてくる。フシギなバーチャルリアリチィーの世界だ。実物(実体)と関係なく、資産が増えたり減ったりする。資産ちゅうのはまるで風船玉みてえなもんだ。
 
 下の記事じゃ「バブルの崩壊とは、実体経済と金融経済とのギャップ」ちゅうところにポイントがある気がするが、今ひとつ釈然としねえ。もぢろん記事の責任でねくて、拙者のオツムの問題だがのー。どなたさんか10行ぐれえで、スパッと説明できるかえ?
 
 Re: 1年間で250兆円の資産の消失とは、何のことかえ?(ここから縄文ビト)
http://www.asyura2.com/08/idletalk34/msg/171.html
投稿者 縄文ビト 日時 2008 年 10 月 25 日 20:45:24: egUyw5BLxswRI

 私も素人な者であまりよく説明できませんが。
例えとして一つ書いてみます。

 たとえば100人の投資家がある会社の株を一株100円で100株ずつ持っているとします。このときの会社の株の総額は100×100×100で計100万円になります。そして投資家全員がこの会社は発展すると考えて株を手放そうとしません。

 そこに一人の投資家がお金の必要に迫られ100株を証券市場に売りに出します。この100株の値段が200円で売れたとします。当然この投資家は投資した金額の二倍のお金を手にしますが、売らなかった99人の投資家は持っていた株が二倍になったわけです。
そのときの会社の株の総額は99人×200円×100株で計198万円になっています。たった一人の投資家の売りが全体の株の総額を引き上げたわけです。
そのとき動いたカネは最初の100円×100株の計1万円でした。後の99人の株は二倍になったわけですが、その増えた分のカネは単なる架空に創造されたカネであり数字上だけのカネです。

 この逆が1年間で250兆円が消失した架空に創られた資産になります。
これは原油・穀物・金(キン)等の先物で売買されている実体のない商品の動きから創られていくわけです。
ただ投資家が株価が上がったときは含み益として手持ちにしていれば、また下がったときも含み損として手持ちにしていれば何の利益にも、また含み損としていれば何の損害もないのですが。上がり調子のとき買ってしまった人は、買った金額からやむをえず売った金額の差が損失ということになります。

 現在の金融危機はやむを得ず売ってしまわなくてはならない人が投げ打っている姿です。

>内金といっても現金とは限らず、家畜や家具など換金できそうなものなら何でも通用した。チューリップ事件より。この段階で買いを入れた者は一部の投機家の宣伝に乗って高い価格で買いを入れた事により下がった局面での損害が大きくなる。ただし損失として計上された総金額は第二のパイの架空の金ということになる。

 ここでは架空の金の損失額といえども返済するときには第一のパイでの貨幣、現金ということになる。そして個人として返済できないときは債務不履行となり、金融機関の不良債権として計上される。金融機関自体が第二のパイの中で膨らんだ部分の資金の手当てができず、一歩間違えれば現金が足りないことから取り付け騒ぎに発展する可能性を持つ。

 この状態を国自体が恐れるため国民の税金等から公的資金注入として金融機関に現金を流す。この資金は架空に膨らました部分の手当てではあるが、第一のパイでの物と物(労働と労働)の交換に必要な貨幣の量をはるかに超えてしまう資金を注入することになる。この量を超えた貨幣は第一のパイの中で偏った所持として一部の人間に、金に金を生ませるやり方でより偏ったかたちで富める者の富として所持されていく。

 片方では第一のパイの中で貨幣を得ることが困難な者が出現してくる。いわゆる失業者ということになる。当然このような状態の時は第一のパイには本来労働と労働の交換に必要以上の貨幣はあるが、先行きの不況という状況を恐れ労働と労働の交換をセイブ(物が売れない)してしまうためより不況色を強めてしまう。

 現在の状況は労働と労働の交換が不十分な状態から来る不況と言うことができる。交換が充分に行われているときは好況時ということになり、また行き過ぎた労働と労働の交換は第二のパイをより膨らませることになりバブルを作り出すか、消費される側の労働不足からインフレということになる。

 最後に貨幣は労働と労働の交換財でしかない。いくら人々が買い物にお金を使ったとしても第一のパイの中では同じ量の金がぐるぐる周りをしているだけであり。決して減ることはない。

 ただ第一のパイの中で金に金を生ませるやり方で偏った所持をすれば、富める者はより富めることになり、対極にいる者の手には貨幣は回ってこないことになる。




現代社会は貨幣を中心とした経済であるとして纏めていきたい

2009-05-13 16:50:21 | Weblog
 先月(4月14日)に手術して約1ヶ月、経過は順調だが年齢的なことがあるのかなかなか気力ともども元通りには回復しない。減った体重が元に戻るのかが今の自分の最大の関心事になっている。63キロあった体重が現在は多分48キロ止まりではないかとズボンのバンドの位置からそう考える。せめて53キロまで戻したいというのが現在の心境だ。

 前回「人間の経済活動の中でなぜ不況が来るのか?14」として書いたが、その後身体の変調から未完となってしまっているが、何とかこれから少しずつでも纏めていきたい。
 
 前回14の最後の文章のところで
「次回はバブル崩壊から不況の原因になる株式を取り上げてみたい」と締めてしまったが、後から考えてみると既に書いてある文章と重なってしまうためそれらを簡単に纏めて次に進んでいきたいと考えている。またしばらく休んでしまったため頭の中のイメージが消えてしまっているので、徐々に集中力を高めてこれから書いていきたい。