阿修羅のコメントからいただきました
〉聞いた天才宇宙学者ホーキングの予言、「地球のように文石原慎太郎氏が、めずらしく良いことを言っている。>私が四十年前東京での講演で明の進んだ惑星は宿命として自然の循環が狂い、この地球もまた宇宙時間からすれば瞬間的に、地球時間からすればおよそ百年ほどでその生命体は消滅するだろう」という言葉が恐ろしい余韻で思いおこされる。<
宇宙時間と空間時間、本来は空間時間ではないかと思う。無限の空間のなかに宇宙という150億光年ぐらいの球体になっているのが宇宙であり、その周りは全てどこまでも続く暗黒の空間であるはずだ、そこにはやはり時間だけは流れている。永遠にである。
我々の生存時間はその時間に照らし合わせれば一瞬という意味はわかる。ただ生命体が消滅するのは100年ほどという意味の理解はできない。それは100年後か1000年後かわんらないからだ。
他の生物では真似のできない人間人間独特の道具をつくり、その道具から自然を自らの支配下に置いた(ようにも思える)それは生命を維持するために必要な食料から始まった。
最初は農耕という食料生産であり、そして野生の動物を飼い慣らし牧畜という方法でいつでも生きたまま肉類を保存する方法を作り出した。それがやがて高度な技術を活かし漁業にも取り入れ養殖といういう道にも進んだ。
生物の掟ともいえるものが生命を維持させ、子孫を残すことを命題とすれば、それは他の生物を捕食するということだといえる。捕食する側と捕食される側そこから生物の進化が始まったと前にも書いたが、人間は道具を造り出したことから完全に、捕食する側という生物の頂点に立つことができた。
では人間はこれで万全だと言えるのだろうか。そこで言えることは人間は道具を作り出しその道具が医療という面でも発揮し、病気にも打ち勝ってきた。本来自然環境化では生きられない寿命も薬・手術をれた治療という面からも、そして政治・経済(福祉で老人の寿命を延ばす)という面からも全て自然に打ち勝ってきた。
だが生きていくということに於いては他人との関係のなかでストレスなる不安が発生すことが稀に起こる。それは愛する人との永遠の別れ(死)は最大の出来事になる。その他にも就職・結婚・・経済的に恵まれない者には経済的な重み。
人はそのストレス(不安)から逃れるために「神」なるものにすがる道を考え出した。
だがそこにも今の社会では生命を維持、子孫を残すためにも捕食しなければならないという食物を得るための方法を求めなくてはならない。原始時代であれば誰のものでもなかった自然界から、わずかな道具が使えるものであれば魚を取ることもできたであろうが、今では貨幣で買うという方法しか残されていない。貨幣を得る方法が人生の最大の生き方となってしまった。それは単なる不安ではない。捕食することができない不安。生物として最大の不安。捕食できなければ当然子孫も残せない。もし人間全体がそのような事態になれば人間の遺伝子を残せない状態となるが、現在では貨幣所持が最大の捕食を得る道として人間が作り出したルールとなっている。
そのような社会で貨幣を得る最大の道は自己の労働を売ることしかない。現在の社会ではその方法は企業に就職という道しか与えられていない。つまり労働ができなければ自己の生命すら維持できないという社会。
しかしその社会から逃げる道を最後に考えついた。それは不安からの脱却でもある。人間をやめること。悲しみを通り越してそこには大昔、誰かが最初考え出した「神」というあの世とこの世を支配できる、支配者に救いを求めることしかないのである。あの世にはなんの苦労もない世界が待っている。そのような逃げ道、しかし彼は逃げ道とは考えない。
最初「神」なるものを考えついたのは人間の救いという面からのはずである。という気持ちしか思いつかないはずである。
〉聞いた天才宇宙学者ホーキングの予言、「地球のように文石原慎太郎氏が、めずらしく良いことを言っている。>私が四十年前東京での講演で明の進んだ惑星は宿命として自然の循環が狂い、この地球もまた宇宙時間からすれば瞬間的に、地球時間からすればおよそ百年ほどでその生命体は消滅するだろう」という言葉が恐ろしい余韻で思いおこされる。<
宇宙時間と空間時間、本来は空間時間ではないかと思う。無限の空間のなかに宇宙という150億光年ぐらいの球体になっているのが宇宙であり、その周りは全てどこまでも続く暗黒の空間であるはずだ、そこにはやはり時間だけは流れている。永遠にである。
我々の生存時間はその時間に照らし合わせれば一瞬という意味はわかる。ただ生命体が消滅するのは100年ほどという意味の理解はできない。それは100年後か1000年後かわんらないからだ。
他の生物では真似のできない人間人間独特の道具をつくり、その道具から自然を自らの支配下に置いた(ようにも思える)それは生命を維持するために必要な食料から始まった。
最初は農耕という食料生産であり、そして野生の動物を飼い慣らし牧畜という方法でいつでも生きたまま肉類を保存する方法を作り出した。それがやがて高度な技術を活かし漁業にも取り入れ養殖といういう道にも進んだ。
生物の掟ともいえるものが生命を維持させ、子孫を残すことを命題とすれば、それは他の生物を捕食するということだといえる。捕食する側と捕食される側そこから生物の進化が始まったと前にも書いたが、人間は道具を造り出したことから完全に、捕食する側という生物の頂点に立つことができた。
では人間はこれで万全だと言えるのだろうか。そこで言えることは人間は道具を作り出しその道具が医療という面でも発揮し、病気にも打ち勝ってきた。本来自然環境化では生きられない寿命も薬・手術をれた治療という面からも、そして政治・経済(福祉で老人の寿命を延ばす)という面からも全て自然に打ち勝ってきた。
だが生きていくということに於いては他人との関係のなかでストレスなる不安が発生すことが稀に起こる。それは愛する人との永遠の別れ(死)は最大の出来事になる。その他にも就職・結婚・・経済的に恵まれない者には経済的な重み。
人はそのストレス(不安)から逃れるために「神」なるものにすがる道を考え出した。
だがそこにも今の社会では生命を維持、子孫を残すためにも捕食しなければならないという食物を得るための方法を求めなくてはならない。原始時代であれば誰のものでもなかった自然界から、わずかな道具が使えるものであれば魚を取ることもできたであろうが、今では貨幣で買うという方法しか残されていない。貨幣を得る方法が人生の最大の生き方となってしまった。それは単なる不安ではない。捕食することができない不安。生物として最大の不安。捕食できなければ当然子孫も残せない。もし人間全体がそのような事態になれば人間の遺伝子を残せない状態となるが、現在では貨幣所持が最大の捕食を得る道として人間が作り出したルールとなっている。
そのような社会で貨幣を得る最大の道は自己の労働を売ることしかない。現在の社会ではその方法は企業に就職という道しか与えられていない。つまり労働ができなければ自己の生命すら維持できないという社会。
しかしその社会から逃げる道を最後に考えついた。それは不安からの脱却でもある。人間をやめること。悲しみを通り越してそこには大昔、誰かが最初考え出した「神」というあの世とこの世を支配できる、支配者に救いを求めることしかないのである。あの世にはなんの苦労もない世界が待っている。そのような逃げ道、しかし彼は逃げ道とは考えない。
最初「神」なるものを考えついたのは人間の救いという面からのはずである。という気持ちしか思いつかないはずである。