楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

維新八策を読む

2012-03-27 06:34:36 | Weblog
今回の橋下徹大阪市長が塾長を務める維新塾その中で発表されたレジメなるものを読み私なりの感想を書いてみたい。
 八策ということから八つの項目があるが。それ等は現在の日本という国が置かれている現状を如何に打開していかなければならないという論点の展開から来ているものと言える。
 
 そこから政治評論家である浅川博忠死はこう見るという文面があった。

 〉不可侵ともいえる憲法9条に踏み込んだ橋下市長、この「維新八策」はどういった意味を持つのか。政治評論家の浅川博忠氏はこう見る。
「国のリーダーを国民ひとりひとりが決めるというのは、本来、民主主義社会では当たり前のことなんです。現在の議院内閣制は極めてわかりにくいものになっている。よい例が今の野田首相です。選挙で信任を受けることもなしに、いつの間にか総理大臣に収まりマニフェストにない消費税増税をやろうとしている。国民からすれば、頼んだわけでもないのになぜ?という疑問は拭えないでしょう。その点、公選制なら首相の執行権限、責任、任期が明確になり、行政の執行もスピーディになります」
(8)憲法改正
・憲法改正に必要な衆参両院の賛同を3分の2から2分の1に緩和
・首相公選制
・参院廃止を視野に入れた抜本改革  

 以上八策から一部を引用

 ここでは八つの項目があったが(8)の憲法改正から始まる、首相公選制、参院廃止を入れた抜本改革等の項目だけであとの七項目はさほど必要ないものと感じる。なぜならこの中の首相公選制が国民の意思で強力な権限を持った首相の誕生となれば後から全てが可能になる項目だと感じるからだ。

そこで首相公選制が持つ意味を考えてみたい。

 最初の発案した首相の公選制の中では天皇制については彼自身の考えとしてだろうか天皇は元首となっていた。
 つまり首相は国民が選ぶ形の民主主義をとるが、天皇の立場は最初から元首という形になるという。
 ここから考えられることは二つの危惧が考えられる。一つは国民が選ぶ首相は最大の権力を与えられたことになり、政策決定に於いても国民と直接対話が可能となりそこから日本の政治を動かせることになる。そして元首は天皇である。
 
 かっての第二次世界大戦時に於いての政権と天皇の立場を思い出して欲しい。そこでは天皇の名のもとに国民は戦争に駆り出され「天皇陛下バンザイ」と叫び死に向かっていく教育がなされていた。私は戦前の人間として、また戦後の読み物から如何に無謀な戦いに天皇の名が軍部に利用されてきたのかを知る一人の人間である。天皇が最初から元首と決めてしまう橋下氏の考え方は過去の戦争の再現としてやがては国民はそのように教育されてしまう。

 その中には国民が国民を監視していく秘密警察制度も含まれることになるはずだ。大阪の教育制度の中で国家斉唱時に起立しなかった教師は裁かれたというだけではなく、規律はしたが口を動かさなかった、つまり国歌を歌わなかった教師を他のものが監視をして、そのことで罰せられた。ここでは人が人を監視する、かっての軍国主義日本であり、ソビエト時代のロシアであり、ナチス時代のヒトラーであり、現在では北朝鮮がやはりそのように国民を監視している。
 
 そしてもう一つの危惧は首相が国民から選ばれ、その首相を天皇が承認する。そこからもし天皇制反対の首相が国民から選ばれたとしたら、その時も天皇が承認するのであろうか。天皇制反対の彼が国民の意思の現れだとして天皇制を無くすことを公約にしていたとしたらそこには天皇制を支持する側と否定する側の戦いになるのではないか。
 
 現在でも君が代を好ましくない国歌、日の丸をも好ましくないという人が日本にいるということを忘れないで欲しい。世界中で国民が進んで国歌・国旗を尊重しない国民性が日本にはある。それは第二次世界大戦で多くの人が犠牲となって無駄な死に方をしたという記憶が残っているからにちがいない。そのような記憶がまだ忘れられないものとして染み付いている日本人。また先進国で日本の国歌、国旗がなぜ強制力を持たせなければ使われない国として日本があるのかをもう一度考える時期に来ているのではないだろうか。

 さらに憲法改正を現行の三分の二から二分の一にするという案、これでは憲法改正反対派と賛成派が二つの派に分かれ、国を分断し最終的には賛成派と反対派の武力解決に発展してしまう可能性が考えられる。そのことからやはり憲法を改正するなら国を二分する形ではなく国民の三分の二というある意味国民を説得することができるものが必要だと考える。

格差はやがて経済を崩壊に導く 最終回

2012-03-25 18:37:07 | Weblog

 次回からの続き。
 そして格差は経済を崩壊に導くということは、国債等を除いた市中に出ている交換に使われる現金、いわゆる流動性の中の預金通貨を除いた紙幣(現金通貨)は本来その通貨で事足りていくはずだが、やがて金に金を生ませる人種のため市中に流通している交換用の現金が保存されてしまうため、不足してしまう。そこで不足したことから来る、デフレ状態を無くすため新たに現金を投入しなくてはならなくなる。
 
 そこから保存されてしまった金。金に金を膨らませてきた人達が持っている金。預金通貨等を金利を付けて借りてくることになる。いわば国家の借金である国債の登場となる、そして現金化された通貨が市中に再投入され、交換財不足として落ち込んできた経済の立て直しとして、国債金利に、プラスの金利を付け民間に貸し出される。その通貨が企業の借り入れ資金、個人では住宅ローン・自動車購入ローンとして住宅製造・自動車製造・企業では従業員への支払い、もしくは設備資金へと使われ、通貨は循環していく。そこで「AEの関係」で描いたように、交換財だけの限定として回ればこの循環は永遠に続くわけであるが、その途中で交換機能を阻害させる何らかの形の保存機能が動いてしまう。

 その保存機能の中には税金として支払った通貨、それらの通貨は一時的に市中での交換財から外された後、保存されることなく市中に還流される。だが交換財から外れ保存されたままの通貨。ここでは既に貨幣所持が偏ってしまっていることになる。

 保存されてしまった通貨、つまり交換財から離れてしまった通貨は金に金を生ませる道具として投資先を探している。またそれ等に携わっているの人たちは何かないかと血眼になっている。それが現在では不足していくであろうことを予測した商品に向かう。結果100の元手が110となる行為に労働が使われていく。ただその労働は経済(人々が安心して住める状態での経済活動)からかけ離れていくための労働と言える。

 世界全体を考えた中においても労働と労働の交換(AEの関係)では限られた貨幣で世界経済は巡回して行くのだが、悪しき保存機能があるために一部の人間の掌中に金が集められていく。

 このままの状態を放置していけばどのような手を打ったとしても格差は広がっていくはずである。つまり何度も言うようだが現在の状態は偏った貨幣所持から来る財政不足(実際は世界的に現金通貨、預金通貨を入れてオーバーフローの状態である)と世界的な国債残高が膨らみ切っている状況。それ等は貨幣が持つ保存機能から来る偏った貨幣所持を何とかしない限り、世界的な財政不足から来る不況を早晩招いてしまうことになると言える。

 財政不足をカバーしようとして税金対策にたどり着くが、先進国では大体の人々が生活をするのに必要な商品が揃っている現状では新たな消費意欲を刺激することができない。結果よりデフレ状態に落ち込んでいくことになってしまう。市中での通貨不足からさらなる国債発行をして、持てる者から金を借りても、持てる者の財産を増やすだけであり、また財政不足を補うため税収を上げても、高度に深化させてしまった保存機能から来る貨幣所持の偏りはどのようにしても解決はできないであろう。やがて税率を上げた税金はまた偏った貨幣所持者の懐へと入り消えていくことになる。

 片や偏った貨幣所持者といえども今回のギリシャ経済危機の問題のように世界的な助けをはずしてしまえば完全な債務不払い、デフォルトになり経済危機が世界中で大問題となることは確実だった。結果纏められたギリシャ救済策が、既にご存知のようにギリシャ財務省は9日、同国の債務交換への参加者が85.8%となったと発表した。これでギリシャ国際に於いては民間債権者は実質最大70%以上の債権放棄したことになった。

 このようなことからより多くの貨幣所持者といえども国債投資は下手をすればやがては債権放棄、デフォルトは免れないと云う危機を抱くのではないだろうか。もしこのような債権放棄が債務国として当たり前のようになれば、誰も国債に投資しなくなると考える。このような当たり前の疑問が素人でも判断できれば、今後各国の発行する国債において売れ行きが悪くなるはずだが、あえてこのような形で収束させてしまう裏には投資家に対し別の救済策があったような報道をちらっと読んだ気がする。

 救済策は税金で穴埋め、税で足りなければ国債を発行して穴埋め。どの道持てる者を救済するために、持てざる者が公平に分担させられる。そのように進めなければ待てるものから国債という国の借金を借入することができなくなってしまう。

 このように考えたときやがては経済に行き詰まりが来ることは目に見えているこ。国の支出を押さえれば国民の生活に影響を与える。支出に相当する財政から税金という形で徴収すれば、やがて回りまわった金は格差を拡大するだけの力しかなく経済は落ち込んでしまう。

 結論とするならば経済を破綻させたくないならば、貨幣が持つ保存機能の制限しかなく。つまり貨幣所持の偏りを解消することしかないはずだと考えるが。

 格差は経済をやがて崩壊させてしまうということになる。

 次回は今までの経済学者は貨幣の根本(貨幣の交換機能)からの問題提起ではなく、貨幣が持つ保存機能を如何に利用するかという提言でしかなかったのではないだろうか。この辺を今後私の課題としていきたいと考えている。



格差はやがて経済を崩壊に導く 21

2012-03-21 06:16:56 | Weblog
ここ暫くブログから遠ざかっていた。理由は,違う興味を引くものが現れたということになる。それはタブレット端末、つまりブック型の簡易パソコンということになる。なかなか覚え切れない頭を駆使して使い方に挑戦していく。そして現在はなんとか使いこなせるようになってきたと言える。ただpocket wifiwを通じてのやり取りでは、セキュリティでのパスワード設定の壁にぶっかっている。そんなこんなで長い間更新をしていなかった。

 現在落ち着いた環境に来ているので、朝早くから起きて更新しようと書き始めた。ここ数日の過去のニュースを振り返ってみるとギリシャの金融危機問題後の教訓としてからか金融、つまりお金についてのテレビ・新聞での取り上げが増えてきたのを感じているのは私だけではないと感じるが。NHKの夜の番組でも外国人講師が若い人達を相手に討論をしている。私は少し見ていたが何か空々しい感じがしてしまい途中で見るのを断念し、買ってきたばかりの長寿梅という鉢植えの育て方等をインターネットで調べてしまう。その植木は梅という名がついているがボケの木であるということであった。しかしネットで調べたところでは人気のある盆栽ということであり、大洗の第1・第3日曜日に開かれるフリーマーケットでの買い物であったがお得な買い物をしたと喜んでいる。

 話は元に戻して、最近の金融関係の番組の多さには、私個人の感じだが資本主義の今の体制を何とか維持しようと言葉を尽くしているようにしか見えないと感じてしまう。つまり貨幣の根本は私が何回も書いているように「AEの関係」
 http://blog.goo.ne.jp/kyonmiku2000/e/436e216e62c31dba138a15689da57928 
と云う貨幣が持つ交換機能が最重要でありまた本質であると考えている。そして現在、その本質的なものを経済を論じている人は、わざと無視をしているように見えてしまう、もしできれば反論・もしくは議論をしてもらいたい。

 やがては時間が経つ中で人々は気がついて来ると思うが。それが何十年後になるか何百年後になるかは知らないが、このまま資本主義が永続できるわけはないと確信している。

 貨幣が持つ交換機能以外の悪となり得る『保存機能」、そこからすべての金融という言葉が生まれてきた。株であり、先物であり、金融派生商品と言う名の金で金を膨らます方法、そして現在の原油の買い占め。穀物の買い占め。悪であると知りながら何ら制限さえ加えない社会、その社会は一部の保存機能を膨らませることができる人たちが牛耳っている社会だからできることであり、片や彼らの利益になるために金利が付いたローンを組ませられ家や車を買っている庶民。現実には家なり車なりが現在の労働によって存在(所有)しているにもかかわらず長いローン(未来の労働の先売り)で手にしている。(ここのところは言葉で説明しきれていないと感じている)

 そのことを考えるとしたなら経済を動かしている人たちは金融で稼いでいる人たちでなく、ものを消費している人たちが経済を動かしているのだが、現在の社会、過去の社会もそうであつたが主客逆転している社会であると言える。経済を動かしているのは消費をする人たちだということが忘れられている。

 やがて人は気がついてくる、金に金を生ませる人種と、未来の労働を担保としている人種が二通り存在していることを、それを格差ということだと。