今回の文章を書いてきて感じたこと、貨幣の保存機能が人間として生きているこの社会での、悪の面を持っていたということが私なりの結論になってしまった。そしてその出発点を振り返ってみると人間社会になぜ貧富の差があったのかという一言に尽きてしまう。
そこで考えてみたのが「人間とは何か」という疑問の中で過去の歴史の中から思想の基礎としての考え方が、貧富の差から出発しそれなりの理論を組み立てた人が誰かを考えてみると、私の浅い知識ではあるが人間社会の「貧富の差」からの出発点として最初に考えられるのは・・・
『富者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通るほうが易しい』確かキリストの言葉だと思うがその考え方の出発点は『貧富の差』の戒めを説いたものだと考えられる。
そして次に考えられるのは「労働者団結せよ」と貧富の差が労働の搾取からきていると考えたのが他ならぬカール・マルクスであった。
キリストは宗教のもとに貧富の差をなくそうと考えたが、やがてその考え方は宗教性を政治に取り入れれば人々を支配できると逆に人の支配に利用されたのが「王権神授説」となった。
以下はウイキキペディアより引用
「王権神授説(おうけんしんじゅせつ)とは、「王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」とする政治思想のことである。
ヨーロッパの絶対王政期において、長らく「神の代理人」とされてきたローマ教会の権威・権力からの王権の独立と、国民に対する絶対的支配の理論的根拠となった。」
そしてマルクスでは宗教性からの脱皮として共産主義社会という人間社会の建設が貧富の差からの脱却であると説いた。
しかし現在その主義のもと国家を建設した国々にはその夢が崩れてしまっている。
この次は次回とします。