楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

これからどのように書いて(展開)いくのかを思索中です

2010-04-30 08:14:37 | Weblog
 今日は大腸の内視鏡検査です。
昨晩は検査前日で午後8時にマグコロールを水に溶かして飲みました。その結果夜通し排便があり眠れませんでした。

 多くの人が内視鏡検査は何とか我慢できるが、マグコロールを飲むのには抵抗があるようです。ただニフレックよりはいいようです。

 そんなこんなでここ2,3日投稿を休んでいました。またブログに貨幣論をどのように進めてていけば理解してもらえるのかがはっきり言って分からないところです。

 もし書くとしたなら、貨幣は最初は物々交換の中から自然発生的に出てきたものであり、理論はまだ無いというのが現状だと言えます。
 
 そこのところを追求していけばいいのかと。また現在の経済論は貨幣がすでに存在しているということからの出発であり、そのことでは『人間社会の経済論」ではなく金融論だと私は捉えています。

  連休は休みますので、構想を練っておきます。

貨幣とは何かを知ることでしかないと考えますが

2010-04-27 05:38:14 | Weblog
 昨日投稿した後朝刊を広げてみたところ、その記事の中で私自身の参考になった記事がありましたので紹介いたします。

 日本経済新聞 第一面 『世界二極化 協調に壁』副題では「景気過熱の新興国」「回復遅れる先進国」のタイトルでG20後の世界経済を書いていました。
 
 それによると世界経済は金融危機から立ちなおつてはいるが、中国、インドなどの新興国が高成長する中、日米欧の回復は緩やかであり、二極化の様相を呈してきたこと。その中でG20では全体的な強調は確認できたが、先進国と新興国の方向性が異なるため今後の政策協調は簡単ではないという結論になっている。

 ここまではさほど問題となる記事ではないが。私の知りたかった文書がこの後に続いている。 下段は記事の引用から。

 『(G7)から新興国も交えたG20に舞台を移したが、二極化する世界での強調には難しさもある。「7%は大げさだ」ブラジルマンテガ財務相は16日、大手米銀による今年の成長率予想に「高すぎる」という異例の注文をつけた。高い成長と金利を目当てに日米欧から投資資金の流入が衰えず、過剰な通貨高や資産バブルを招く恐れがあるからだ

 景気が本調子ではない日米欧の中央銀行は当面は低金利政策を続けざるを得ないが、その政策が新興国の経済に新たなリスクをもたらす。米住宅バブルのように脹らんで、それがはじければ先進国も含め世界への悪影響は計り知れない。
中略
 輸出を支えに米欧の企業収益は回復してきたが、雇用の伸びは鈍く、借金を抱える家計の消費にも勢いは無い。

『外される日本』
中略 「アジア・ファンドの投資対象から日本は除いてくれと投資家から頼まれた」とロンドンの金融関係者は打ち明ける。

楢篠 上記新聞記事からの説明と引用を載せましたが。現在の経済政策が多数の庶民を犠牲にした金融論を主体にした経済論でしかないことはお解かりいただけたと思います。

 外される日本では、日本人の預金がヘッジ・ファンドを通して新興国に利益を求めて流れていくだけであり。ヘッジ・ファンドの投資家たちも日本は投資対象ではないと宣言している。

 前の文章でもA~Eの関係で書いてきたように貨幣の流れが途切れれば経済は活性化できない。それは現政権の責任ではなく、世界経済の中で人々の貨幣に対する今の知識では乗り切ることはできないという証左でしか無いと言えます。




経済の原理原則

2010-04-26 05:48:31 | Weblog
 前の文章では>先進国の経済が活性化できるのか<それはまやかしではないのかと書きましたが、その理由は何かということを私なりに説明していきます。

その前に以前縄文ビトのハンドルネームで書いた「経済の原理原則」を書いておりますのでよろしかったら参照してください。

経済の原理原則
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/253.html 

 経済とは、それは貨幣の動きが重要な要素だと考えているからです。
例えを出してみます。

Aが自己の労働を1枚の貨幣(カネ)に換え、Bが作り出した商品と交換します。そこにはAが持っていたカネがBに渡ります。BはそのカネでCの持っている商品と交換します(つまりCの商品を買うという行為です)Aの所有していたカネがBを通してCに渡ったわけです。CはDの持っている商品を買います。DはEの持っている商品を買います。そしてEはAが持っている商品を買います。

 つまりここでは簡単な例ですが最初にAが持っていた1枚のカネがB、C、D、Eを通してAに戻ってきて一巡したわけです。そしてお互いに作り出した商品が売れたということになります。
さらにまたAがBの商品を買い、その関係がEまで続きAの元へ戻ってきたとします。そこにはAからEまで2回商品を製造しなくてはなりません。
たった1枚の貨幣が2回の商品製造をさせたことになります。この関係がさらにAからEを通してAまで戻ってきたとき1枚の金が3回の商品を各自に作り出させたわけです。

 これが経済の基本です。もし誰かがAの最初に製品と換えたカネを途中で止めてしまったら経済は動かなくなり不況ということになります。

また逆に1枚のカネであったとしても何回かの商品との交換を繰り返すならば経済は活況を呈したことになります。

そこで問題となるのが前の文章で書いた、「G20」で出された経済回復という意味が本当なのかということです。先進国では経済を活性化させるために国債を大量増刷し、何とか供給過剰経済に対し需要を増やし、最終的には雇用を安定化させようとしているわけです。

ただしここでいえることは現在の先進国経済とBRICS(ブリックス)ブラジル・ロシア・インド・中国等の経済とは違うということです。

現在これ等4カ国は前の例えで書きましたがAからEの貨幣と労働の交換が活発に行われます。それまで自己の労働を貨幣に換えることができなかったため、商品を買えなかった人たちが、貨幣を持ったことから商品に対する購買意欲が旺盛になり、商品が売れる。

そのことがまた商品を製造させ、結果労働との交換で貨幣を手にすることができます。さらにそれまで持つことができなかった商品を購入する。

 この関係がブリックス等の国々では、まだまだ続くと予想できます。

 ただ土地等の投資によるバブルを作り出さなければという前提になりますが。
 またキン(金)だけの投資であるならばいくら上がろうとそれほど大衆には問題ないと考えます。(キンは誰かが売り始め、買う人が少なくなったとき、ほんの少しの商品が動いたことで、これまで上がってきた全体的な価格がどんどん下がるのは目に見えているからです)

 そこで現在の先進国では市中に多くのカネを投入したとして、AからEまでの労働と貨幣の交換による経済の活性化が起きるのかと言うことになります。

 

楢篠 賢司の人間とはのブログ再会

2010-04-25 07:43:19 | Weblog
 私の拙いブログに訪問してくださる方がいるということでは感謝しております。また書いていくことに励みにもなります。

 私がなぜ書くのかと言うと、二十代のときから、あるイメージをきっかけに「人間とは何か」を自分なりに考えてきたこと、そしてかれこれ半世紀ほどになりますが現在ではより深く考察ができるということからブログに発表しているしだいです。

 私なりに現在の私を入れた人々の生き方を見てみますと、日々の人間の行動が、今まで歩んできた人間の歴史と、未来にはこのように変化をしていくという、ちょうど中間点に立っていると感じるからです。ただし未来の人間の生き方はこのようにならなければならないと誰かが叫んでいかなければ現状を大きく変えることはできないと考えています。

 これまでの自民党政権で良かったのかが、昨年の政権交代で政治を変えることによって、自分たちの生き方も変わってくると予想できたはずでした。ただマスメディアへの規制の無さが、興味本位に政治を取り上げてしまったことから、今日の政治不信を招き、政党乱立という状態を作り出してきたといえます。

 マスメディアに携わる人たちの一人一人が「人間社会の未来はどうあるべきか」を根底に思想として持っていたなら、民主党総理と米国大統領の10分間の非公式協議ということで、あたかも米国に肩を持つような形での報道はしなかったはずです。このことは将来にわたりマスメディアの汚点として日本の歴史に残るはずです。

 「ローマは一日にして成らず」これは政治に対する大きな忠告の意味を持っています。現在のマスメディアは根底に思想(人間社会はどうあるべきか)を持っていないため、興味本位に政治を取り上げ、大衆をどのような方向にでも引っ張っていけると自負しているのではないでしょうか。そのとき彼らは騙されて付いてくる大衆に責任があるのだと責任転嫁をするのでしょう。

 話が変わりますが。昨日(4月24日)の新聞にG20閉幕「経済回復『予想以上』朝日夕刊」という記事が出ていました。そして今後は出口戦略を重視と書いていますが。その考え方は経済不況に苦しむ先進国では、国債を発行してでも経済回復を図ること。経済が動き出したときには出口戦略として、今までの借金の穴埋めとして増税をしていく。さしずめ日本では消費税を上げるということでしょう。

 そこでそのような絵に描いた餅、机上の空論で先進国の経済が活性化できるのかということをこれから取り上げていきます。それは貨幣というものをあまりにも理解していないということからくる、まやかしだと考えるからです。