今まで書いてきた文章それは交換機能だけに光を当ててきたが、では私が考える人間社会にとって『悪』となる現象、現代流に言えば蓄蔵機能だが。物々交換の時代から徐々に交換を仲介する物質を間に入れ(例えばタカラガイ等)余剰生産物を交易等を通じてその当時の社会に貢献してきた。やがて単なる物の余剰分を通した交易から幾多の時代を経た中で、交易にとって質・量とも安定してきた金属貨幣へと進んできた。だが金銀等の高価な貨幣は保存されてしまう。その結果流通される貨幣量の不足から、経済が不安定化し、やがていくらでも印刷すれば流通量を増やすことができる、紙幣社会へと進化してきた。しかし人は紙幣には十全の信頼感を持ってはいない、そこから持てる者は金等の希少金属に替え保存してしまう。その一方で紙幣を金融機関に預金してしまいいつでも物(商品)に回せる準備をしている。通貨が金本位制の方法から脱却し法の裏づけを持った紙幣が金融という社会に君臨しているのが現代の姿だ。
例えば余談としてだが、絶対にあり得ない政策として現代の社会に紙幣の裏づけとして金との兌換ができる金本位制という金融政策を取ったらどうなるのか、①に金価格を固定価格にしなくてはならない。②に今までの紙幣を大量に発行しすぎていることから蓄蔵し交換に使うことのない預金された紙幣を、価格が固定された金に変えてしまう。金融政策の最終局面にきたゼロ金利から、持てる者は身を守る方向へと入り価格が固定化された金に変えてしまう。その結果兌換が可能な金本位制は時間を待たず崩壊してしまうだろう。
それ等のことを考えると100パーセントといって良いほど金が流通通貨の代わりとなる時代は過去の遺物になってしまった。それだけ現代は紙幣を大量に印刷されてしまったということだろう。 金本位制の停止参照
またまた余談だが最近のニュースとしてゼロ金利政策の落とし子というべき現象から一般家庭に金庫が売れているという。金融機関に預けていても利息も付かない。やがてこれから進んでいく段階で手数料という方法で金融機関に預けたお宝(紙幣)が目減りしてしまうという恐れがある。そこから家でタンス預金という方法で蓄蔵しておこうという現象が起こっている。しかし今の世の中、世界を見渡したとき紙幣を刷り過ぎてしまっている。いつの日か何らかのはずみで大量に蓄蔵された紙幣を物に変えてしまおうという考えが大衆の心理状態を呼び起こしてしまうとき、需要と供給の関係からインフレという状態に突き進んでしまうのではないかという怖れの一方。自動化が進み大量生産で商品が作れる時代ではインフレになるほど商品は不足しないということも考えられる。ただある国の通貨に対し別の国の通貨が安くなるという変動相場制の下ではインフレは避けられない。原因は紙幣を増刷した結果あまりにも貨幣の蓄蔵量が増大しすぎたためだとみている。
余談はさておきA・Eという関係を進めていきたい。簡単なことだがA・Eという社会の中のある人物が、例えばBという生産者であり消費者が自分の所に回ってきた紙幣を次の消費に使わず蓄蔵してしまったら、たった1枚しかない紙幣はBで止まってしまい以後の人には回らなくなりそれ以降の消費はストップしてしまう。当然売れない以上生産もできなくなってしまう。
このとき貨幣の蓄蔵がこの小さなA・Eという社会の中での生産と消費をストップさせてしまうことになる。
これが我々の生活している現代という社会に当てはめたとき、貨幣の交換機能と蓄蔵機能が分離されることなく両立しているとき、一部の人間が回ってきた貨幣を蓄蔵に回せばその分社会は交換機能としての貨幣不足を起こし経済が停滞してしまう。
A・Eの関係に戻してみるとBが蓄蔵してしまった一枚の貨幣を他の4人がBに頭を下げ、幾ばくかの利息を付け借り入れを起こし前の通りA・Eの関係を復活させることができた。だがBを除いたA・Eの人達はBが自分の金を貯めたということに何の不自然さも感じずやむおえないことと感じていた。そしてBから借りたことを忘れ以前のように生産と消費を繰り返していく。それどころかお金を貸してくれたBに対し借金をしているということで頭が上がらなくなってしまう。さらにその後またA.Eの中の別の者が蓄蔵してしまったことにより経済が回転しなくなった時、やはり金利を付け蓄蔵した貨幣を借りることになる。このとき蓄蔵が原因で経済が回転しなくなるということに気が付かず利息分を入れた借金を重ねていくことになる。
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