楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

私が今まで書いてきた文章の書き出しは「ひらめき」だったような気がする

2018-02-15 11:16:01 | Weblog

上記タイトルで書いたように文章を熟慮して書き出してきたものでもない。最初なんとなく閃いたもの、そこから書けるのではないかという形でパソコンのキイを叩いてきた。それが今までの私の文章なのかもしれない。
 
 今回書こうとしていることもやはりそのようだ。ただし閃きとはほんの小さな原点でありそれが本当の文章になるのかということはゼロに近い、今回の閃きもやはりそのようなものだと思う、ただしその閃きは重大な意味を持つ、大袈裟に言えばこの人間社会を根本から変えてしまうことになるかもしれない。

 今の社会にも時代をさかのぼっていくと平等な社会があった、例えていうならば日本の縄文時代をあげることができる、そして時代が進むにつれその平等性が崩れてきた、そして今の社会がかたや巨万の富を持つ人々がいるかたわら明日の食事、否、今日の食事も満足に食べられない人達もいる。その中には生きるために高利のサラ金等に金を借り命をつないでいる人たちもいる・・・・  どこかが狂っている。しかも世界中にである。

 ではこの社会を変えれば良いということになるが、どのように変えればよいのかということになると暴力を使って革命を起こすのか、変革を考えている代表を国会に送って民主的に社会を変えるという方法なのか。

 この二通りの方法があったとしても・・・では最終目的の人間社会はどうなるのかという答えは誰も出せないでいる。

そこでまず考え方をゼロから出発させたとして、不平等の最初の出だしはどうなのかということを考えていきたい 、それを考える上において考古学的な 見地から日本の縄文時代が重要なヒントになると私は考えている。その社会には社会の構成員を纏めることでは指導者としてのリーダーが存在していた。そして呪術者(マジナイ師)も社会を纏めるために必要とされていた。ただそれを階級制が発生した社会としてみることには問題があるかと思われる。

幸い私は貨幣の研究をしてきた。そこから貨幣を通して不平等社会の発生を考えてみることにしていきたい。ただ縄文時代には貨幣はまだ存在していなかったが。