楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

嬉しかったこと

2010-12-26 07:44:43 | Weblog


 このところ暫く書いていませんでした。それは別の場所に移動していたためパソコンから離れざるをえない事情があったからです。

 私が住んでいる場所は埼玉県ですが、別の場所というのは茨城県の鹿島灘の海岸近くです。私がまだ油の乗っていた時期、ある事業で土地を買いました。その土地の管理に行かなくてはならないからです。雑草が生え放題になった土地に、夫婦で高速を使わず一般道を片道トイレタイム入れて6時間かけて出かけます。その結果少なくても5,6日は先方に泊まることになります。帰ってくると一気に疲れが出てきます。そんなことでパソコンに向かう力が涌いてきませんし、また書くべき内容が消えています。

 そこで今日は経済から離れて、最近の出来事を書いてみます。

 私の現在住んでいるところは、前にもこのブログで書きましたが近くに小学校があります。一昨日校庭の前の通りを用事があって歩いていたときのことです。
いつも子供たちが勉強している姿、また校庭で運動している姿を、私もほんの少しかかわっていることから元気な様子を楽しく拝見しています。

 用事を済ませ帰り道を歩いていたとき、校庭のほうから「おじさん今日わー」という声がかかりました。近くには歩いているのは私だけでしたので、振り返ってみたところ5,6人の子供たちがジャングルジムの上からこちらを見ていました。そして「やっぱりそうだ」という声と共に子供たちが手を振りながら口々に「こんにちわー」という声がかかってきました。私も笑いかけながら手を振り「こんにちわ」を返しました。

 なぜ子供たちが声をかけてくれたのかがすぐ解りました。それは多分10月の読み聞かせで6年生の担当になったときの生徒たちだったのでしょう。

 小学校高学年の読み聞かせは何を読むかということで色々考え、私なりの独自な方法を考えていました。その幾つかの選択肢(紙芝居・絵本・朗読のみ)の中で絵本を選びました。

 6年生の子供たちに絵本を読み聞かせる?、もし家族に6年生の子がいるとして、父・母及びおじいさん、おばーさんが絵本を読んでやるかと考えたとき子供が反発してしまうのではないかと案じてしまう。では紙芝居はどうかといえば道徳的なものしかなく、単なる朗読ではたとえ15分といえども集中力を維持できるかということになります。

 私が今まで読み聞かせボランティアをやって気がついたことは、先生が15分という時間ボランティアの方々に迷惑にならないように、生徒たちに集中力を持って聞く様に説得していたと感じることがありました。

 つまり生徒たちの忍耐の場でもあるようだったのではないのでしょうか。それを感じていましたので私なりに子供たちの集中力を引き出すように手を買え品を買え、その15分を有効に使いたいという気持ちから、自分なりに考え興味を引き、また勉学のためになるものをと、担当の学年が替わるたびに低学年では紙芝居。中学年の3年生には少し難しい紙芝居。4年生にはこれからの人生の中で出会うような意味のある紙芝居。そして高学年の5年生と6年生にはできるだけ集中力を引き出せる絵本なり写真を使った紙芝居をと私なりに考えてやってきたつもりでした。ただ自分なりの考えで今まで来ましたが、その結果のことは知る由もありませんでした。

 ジャングルジムからの「こんにちは」の声、10月の読み聞かせのときの6年生からの声でした。今までどのように集中力を引き出せたかの回答の声でもありました。私がその時選んだのは「宮沢賢治の銀河鉄道の夜」という絵本でした。この題の絵本は幾つかの作者のものがありまたが「影絵と文・藤代清治」作という大型本です。全体の文を読むには25分ぐらいかかりますので、私なりに最初の文章は短い解説にし、途中から原文に戻るというやり方です。そして文章を読みながら絵を見せるのではなく、文章は最初から下書きをしたものを机の上で読み、右手で生徒が絵をよく見えるように広げるということでした。

 最初に6年生の教室に入るとき、担任の先生が挨拶をしながら、また笑いかけながら「手ごわいですよ」という声で迎えてくれました。つまりうまく生徒に受け入れられれば、1回の顔合わせでも覚えてくれますが、逆に手ごわい相手でもあるようです。ちなみにこの小学校の読み聞かせボランティアは私一人だけが男性です。時間のある定年退職をした年金者の方も挑戦してはいかがですか。

 子供たちは大人と違って素直に返ってくると感じました。またここから元気がもらえると感じた一日でした。




未来の人間社会はどうあるべきか 

2010-12-18 05:49:09 | Weblog
今までブログでも、また阿修羅という掲示板に書き込んで自分の考え(貨幣の扱い方で社会を変えられる)を書いてきたが方向性が私なりに解ってきた気がする。
 これまで書いてきたことは小さな一歩かも知れないが、その考えを如何にこれから社会に向かって発信していくか、それが今後の課題として掴んできたことは大きな成果といえる。

 最終的には如何に社会に訴えるかという方法をどのように持っていくか。例えば賛同者を動員してデモをすることも一つの方法になると考える。その時の訴える文面はどのように描き出すか。その前に『貨幣とは何か』『貨幣の扱い方で社会は変えられる』それらの問題点を考察し書いていくことがこれからの課題になると私自身の核心に近いものになってきた。

 金融機関への預金も国債と同様に証券として渡し市場で売り買いする  http://blog.goo.ne.jp/kyonmiku2000 
貨幣が持つ保存機能は銀行を通して行われるのが主流ではないだろうか。たとえヘッジファンドが投資家から集めた資金だとしても現金で持っているわけではないと考える。

 証券会社を通して個人が株を買ったとしても、値上がりしていく金を買ったとしても、先物で資金を動かしたとしても、人から人の手を渡り証券なり何らかの証書と引き換えに人の間で貨幣と商品の交換が行われていく。

 決して貨幣は減価していくわけではない。むしろその間利益というかたち、利子というかたちで増えていくことになる。ヘッジファンドなどはそれ等を目的としてカネにカネを生ませる行為のために、本来の貨幣の労働と労働の交換機能の枠を超えた数字上の貨幣を増やしていく。だがそれは本来の貨幣の役割である物を買う、労働を買うという役割から外れたものであり、その彼らの行為のため、市中の貨幣は偏った方向へと流れていく。

 もしそれ等を規制できたなら。市中の貨幣は偏った所有を無くし、市中に貨幣不足という状態を起こさずに済むことになる。

 また新たな国債を発行して市中の不足した貨幣の穴埋めをすることも無いと考えるが。

 そこで私の提案となる。交換機能と保存機能を分離させる方法として、銀行に預金されたマネーは国債と同じように証券として渡す。当然その証券(預金証書)は国債と同じように幾ばくかの金利をつけて市場において取引される。買いたい者と売りたい者がマッチしたとき保存機能から物(労働)と交換できる貨幣になることができる。

 それがいやならタンス預金なりして現金を保管していく方法しかないだろうが、そこには大量の資金なら銀行と同じような保管庫(金庫)が必要になる。

 なぜ先人は国債という(注1)交換機能と保存機能を分離させときながら銀行に預けられた預金には交換機能を連動させてしまったのだろう。

 もう一歩踏み込めば人間社会は幸福になれたのにと思うが。

注1 交換機能と保存機能の連動=金融機関に預金したマネーは、現金なみに使うことができる。預金があれば物を買ったときカードで支払うこともできる。小さな取引であればさほど問題はないのだが、ヘッジファンドのような大きな取引もできてしまう。つまり銀行に多額のマネーを預金しておけば連動して交換に回せる現金になる。そこから保存機能(預金)と交換機能を分離をしておけば多額の現金が必要になったとしても、国債と同じように市場での売却によってしか現金を手にすることができない。
 また多額の預金されたマネーを即現金化させようとしても買い手が現れなければ現金化することができない。

 ここに貨幣の交換機能と保存機能の分離という考えに行き着いた次第です。
まだまだ考えることが多くありますが、偏った貨幣所持を無くす方法としてこれを最初の一歩として考えた次第です。

 下記の文章は阿修羅の経済版で書き込んだ上記文章にコメントを頂いたものです。使わせていただきました。

01. 2010年12月14日 14:37:53: QXVaulDOhs
“貨幣の交換機能と保存機能の分離”はいいアイディアだと思います。
貧乏人にとっては分離されていません。入って来た貨幣を保存できるだけの余裕がないからです。わずかに預貯金したとしても、家を建てたり、失業したり病気になったりしたら使ってしましますから、とても“価値の保存”とまではいきません。また貧乏人は金が入ったら多くの夢が叶います。だから貧乏人に金が行き渡ると消費が活発になります。
ところが富豪に金が入っても、乱痴気騒ぎに金が使われたり、豪邸や自家用ジェットに若干は浪費するでしょうが、入ってくる金は莫大なものですからとても使い切れません。それが投資に回され、さらに利益を生み莫大な富が蓄積されます。富は金塊とか土地とかもあるでしょうが多くは貨幣、それも預金貨幣つまりコンピューターの中の数値です。
これは莫大なもので、富豪達が本気で地球上の実物資産を買漁ったら、地球上の全ての資産の何倍も買い取れるでしょう。ちょうど地球を何回も壊滅させる量の核兵器が蓄積されているようなものです。
現在の信用通貨は誰かの負債を裏付けに発行されますから、返す当のない借金に対して発行されたことになります。借金を返すためには金が必要ですが、その金を作るためには更に借金で金を作らなければなりません。個人的にこのような状態になれば多重債務者ですが、資本主義ではシステムとしてこのようなことが行われているのです。結局誰かの借金で個々の借金が返済されることになります。
景気の良い時は借金してもそれ以上の利益が出るので、通貨が膨張してもそれの裏付けとなっている借金の膨張にはあまり注意が払われません。景気が悪くなれば新規の借金が出来なくなるどころか、既存の借金の返済も迫られます。そこで国家が借金をすることで民間相互でなにがしかの返済がなされることになります。
そうやっていくうちに社会全体が多重債務体質ですから破綻することになります。恐慌とかハイパーインフレとかが起こり、借金のデフォルトが色々な形で起こることになります。通貨資産を沢山持っている富豪は大きな“損害”を被ることでしょう。しかし富豪の通貨資産は数字が膨らんだ結果に過ぎません。ただ膨らんだ数値が少し縮小するだけです。自家用ジェットの費用など資産の数値からしたら僅かなものですから実生活には何の影響もありません。
通貨資産の数値を失うとしても唯では失いません。失うものは数値ですが、得るものは住宅とか農地とか、具体物の担保物件です。このようにして新たな支配関係が確立して社会が再出発することになります。アセンションが起こると言われている2012年はこんなことが起こるのかもしれません。

下記写真は11月に旅行した八重山諸島めぐりの中のある島からの風景です


 

金融機関への預金も国債と同様に預かり証券として渡し市場で売り買いする

2010-12-14 06:56:05 | Weblog
 貨幣が持つ保存機能の分離として下記文章をブログに書いたのですが、自分でも飛躍しすぎかとも考えたので、ご意見を伺いたく阿修羅に載せます。

 以下の文章は重複になりますが、手探りで進むということから阿修羅という掲示板にも載せました。 

貨幣が持つ保存機能は銀行を通して行われるのが主流ではないだろうか。たとえヘッジファンドが投資家から集めた資金だとしても現金で持っているわけではないと考える。

 証券会社を通して個人が株を買ったとしても、値上がりしていく金を買ったとしても、先物で資金を動かしたとしても、人から人の手を渡り証券なり何らかの証書と引き換えに人の間で貨幣と商品の交換が行われていく。

 決して貨幣は減価していくわけではない。むしろその間利益というかたち、利子というかたちで増えていくことになる。ヘッジファンドなどはそれ等を目的としてカネにカネを生ませる行為のために、本来の貨幣の労働と労働の交換機能の枠を超えた数字上の貨幣を増やしていく。だがそれは本来の貨幣の役割である物を買う、労働を買うという役割から外れたものであり、その彼らの行為のため、市中の貨幣は偏った方向へと流れていく。

 もしそれ等を規制できたなら。市中の貨幣は偏った所有を無くし、市中に貨幣不足という状態を起こさずに済むことになる。

 また新たな国債を発行して市中の不足した貨幣の穴埋めをすることも無いと考えるが。

 そこで私の提案となる。交換機能と保存機能を分離させる方法として、銀行に預金されたマネーは国債と同じように証券として渡す。当然その証券(預金証書)は国債と同じように幾ばくかの金利をつけて市場において取引される。買いたい者と売りたい者がマッチしたとき保存機能から物(労働)と交換できる貨幣になることができる。

 それがいやならタンス預金なりして現金を保管していく方法しかないだろうが、そこには大量の資金なら銀行と同じような保管庫(金庫)が必要になる。

 なぜ先人は国債という(注1)交換機能と保存機能を分離させときながら銀行に預けられた預金には交換機能を連動させてしまったのだろう。

 もう一歩踏み込めば人間社会は幸福になれたのにと思うが。

注1 交換機能と保存機能の連動=金融機関に預金したマネーは、現金なみに使うことができる。預金があれば物を買ったときカードで支払うこともできる。小さな取引であればさほど問題はないのだが、ヘッジファンドのような大きな取引もできてしまう。つまり銀行に多額のマネーを預金しておけば連動して交換に回せる現金になる。そこから保存機能(預金)と交換機能を分離をしておけば多額の現金が必要になったとしても、国債と同じように市場での売却によってしか現金を手にすることができない。
 また多額の預金されたマネーを即現金化させようとしても買い手が現れなければ現金化することができない。

 ここに貨幣の交換機能と保存機能の分離という考えに行き着いた次第です。
まだまだ考えることが多くありますが、偏った貨幣所持を無くす方法としてこれを最初の一歩として考えた次第です。



多分ベトナム旅行での写真かと思います。


貨幣が持つ保存機能の分離

2010-12-12 06:29:30 | Weblog
 貨幣が持つ保存機能は銀行を通して行われるのが主流ではないだろうか。たとえヘッジファンドが投資家から集めた資金だとしても現金で持っているわけではないと考える。

 証券会社を通して個人が株を買ったとしても、値上がりしていく金を買ったとしても、先物で資金を動かしたとしても、人から人の手を渡り証券なり何らかの証明書と引き換えに人の間で貨幣と商品の交換が行われていく。

 決して貨幣は減価していくわけではない。むしろその間利益というかたち、利子というかたちで増えていくことになる。ヘッジファンドなどはそれ等を目的としてカネにカネを生ませる行為のために、本来の貨幣の労働と労働の交換機能の枠を超えた数字上の貨幣を増やしていく。だがそれは本来の貨幣の役割である物を買う、労働を買うという役割から外れたものであり、その彼らの行為のため、市中の貨幣は偏った方向へと流れていく。

 もしそれ等を規制できたなら。市中の貨幣は偏った所有を無くし、市中に貨幣不足という状態を起こさずに済むことになる。

 また新たな国債を発行して市中の不足した貨幣の穴埋めをすることも無いと考えるが。

 そこで私の提案となる。交換機能と保存機能を分離させる方法として、銀行に預金されたマネーは国債と同じように証券として渡す。当然その証券(預金証書)は国債と同じように幾ばくかの金利をつけて市場において取引される。買いたい者と売りたい者がマッチしたとき保存機能から物(労働)と交換できる貨幣になることができる。

 それがいやならタンス預金なりして現金を保管していく方法しかないだろうが、そこには大量の資金なら銀行と同じような保管庫(金庫)が必要になる。

 なぜ先人は国債という交換機能と保存機能を分離させときながら銀行に預けられた預金には交換機能を連動させてしまったのだろう。

 もう一歩踏み込めば人間社会は幸福になれたのにと思うが。

 
 11月に石垣島、西表島へと旅行に出かけてきました。
その時、由布島観光で島へ渡る水牛車に乗ってきました。



本日は画像を取り込む勉強です

2010-12-11 06:56:54 | Weblog
 半世紀以上前、私は写真を趣味にしていましたが。現在のカメラではどうしても2メガを越えてしまう画像になってしまいます。結果文章中に画像を取り込めない。

 今日は5時起きでブログの文章も忘れ、写真を取り入れることに挑戦しましたが、時間が来てしまいここで止める事にしました。

 時間があったとき再度挑戦し経済以外のことも書いていきたいと思っています。

 ベトナムへ行ったときの写真もありますので、ベトナム兵がなぜアメリカ兵を彼らの国から追い出したのか。森の中でのゲリラ戦の、彼らは如何に戦ったのかという画像もありますので。

 経済関係では現在当たり前のように使われているお金の使われ方を、一度白紙に戻し、新たなお金の使われ方を考察していく。

 ある意味読む人によっては資本主義の擁護になってしまう文章かと思われてしまうので、その辺を注意して書いていくと言うことです。

今日は少しくだけて

2010-12-10 06:15:35 | Weblog
 今日は今年最後の小学校の読み聞かせになります。
担当の生徒は4年生です。今まで1年生から6年生まで
7回の読み聞かせをさせてもらいました。

 それが私のブログでの経済を書いていく活力になり、元気の元なのかもしれません。
ボランティアスタッフは私だけが男性で、他の方は女性です。

 これからは少しブログでの方針を変えて写真を貼り付けたり
くだけた文章も書いていきたいと考えています。

 

 私の家で家族の一員となっているミクという名の犬種でワイヤーのメスです。
私がほとんど面倒をみていますので私の言うことは絶対服従します。

 今日はうまくいくかどうかの試験的投稿です。

貨幣がもつ保存機能を最小限にし、交換機能を主体とするアイデア

2010-12-09 06:46:21 | Weblog
 これからの文章は今まで書いてきたことの纏めとして、どのように貨幣が使われていくことが最善なのかを考えていきたい。 

 現今の貨幣の使われ方は資本主義を前提とした貨幣の使われ方であり、そこには現在の社会で既存権利という枠組みの中で、社会を存続させるための多くの非人間的な知恵が使われてしまったといえる。それは貨幣で貨幣から利益を生み出そうとすることまで自由に行わせる社会に変質させてしまったことからもうかがえる。

 なぜこのようなことが行われていても人々は黙っているのかが不思議である。

 これらの問題を踏まえどのように貨幣が使われていくべきかを考察していきたい。ただそこには私だけの未熟なアイデアであり、充分な考察はされてはいないということが前提となる。

 少しずつ歩を進めていくしかない。

中国バブルは崩壊するのか

2010-12-08 07:15:44 | Weblog
昨日は中国のバブルについて書きましたが、なぜバブルになり,そしてバブルが崩壊するのか、それを避けることはできないのかに触れてみます。
大分前にバブルとは何かをこのブログで書きましたが、探すのが大変なので思い出し再度書いてみます。

それは、100人もしくは1000人の人がある会社の株を持っているとします。背景となるのは金余り、好況という経済活動です。そのような状態では資産として、また利益を生み出すものとして、その株を売る人が少なくなり、買いたいという人が複数あるとします。その中でほんの一部の人が、つまり一人の人がその株を売るという行動にでます。買いたい人がその一人の持っている株に集中します。そして売買が成立したとき、その株は高値で取引されたことになります。つまりここでは一人の株の売買が1000人なら1000人の人の株の価値を高めてしまうわけです。

 もっと砕けて書きますと1000人が持っている株が全体で1億円(一人当たり10万円)だとします。ここで一人の売買成立で10万円の株が1割上がったとします。一人当たりの持ち株は11万円になったわけです。全体では1億1000万円という、売買に参加しない人の分までも入れて、全体が一人の売買で引き上げられてしまうわけです。そして結果的には、そこでは株を買うということではカネは動きますが、人から人に渡っただけですので市中のカネは株が上がっているにもかかわらず、金は人から人の手に渡っただけで減少はしません。

 またその結果,株の値上がりを見ている人たちは、買い方にまわり、売りの少なくなった株に集中します。買えば上がる、上がるから買う。いくらでも少数の売買が値を吊り上げていくという結果になります。全体で1億円の株がやがては少数の売買で2億円になり3億円になるということです。これがバブルの正体です。このことは金価格にもいえることであり、資源の高騰にも言えることです。

 ただこのようなことは全てについてインフレという判断ができますが、一般の生活に影響の範囲が及ばなければ、金融政策というかたちの引き締めが行われませんが、一般物価に跳ね返ってくれば、政治的判断でカネの流通を絞っていくということになります。それは預金準備率の引き上げ、預金金利の上昇、また銀行への貸し出し規制等インフレを抑える形の介入を行います。

 ある時間経過後、株であれば値下がりをしていくわけです。それが何かの事情で売りが強くなれば、つまり複数の売り方があるのに買い方が一人だとしますと、一人の売買で売り買いが成立します。その時、1割方下がっていれば全体が持っている株自体も売り買いに参加しなくても1割下がってしまうわけです。
 当然、資産の減少が起こればみなが売り方に周り結果としてふくらんでいた株価格はしぼんでいくことになります。これがバブルの崩壊です。

 このことは金価格にもいえます。アメリカは相当数の金を持っているといわれています。そのことでアメリカが金持ちだと錯覚したら大間違いです。金持ちになるのは手持ちの金を裏づけとした金の兌換紙幣(金本位制)を発行すれば大金持ちになれますが、金の売買では大金持ちにはなれません。なぜなら大量に金を売ればどこまでも金価格は値下がりしてしまうからです。

 それらは全てのものに共通してしまうということです。
中国のバブルが、はじければ世界全体が消費に対し守りの姿勢になるかもしれません。デフレでは貨幣価値が上がるわけですから、カネが全てになるかもしれません。

 上記文章は既にわかっていることかもしれませんが、一応は書いてみたわけです。


中国のバブルについて

2010-12-07 07:07:21 | Weblog
今日は少し脇道にそれ最近の中国事情を。
このところ中国の金融引き締めのニュースが紙面をにぎわす。
いよいよ中国もバブル崩壊の秒読み段階へ入ってきたものか。
12月4日の朝日新聞朝刊から。

 前部分を省略して。「中国では今夏以降、食品を中心に品物の値上がりが続いている。住宅など不動産は、融資や購入を制限しているにもかかわらず、取引は旺盛で、価格は高止まりしたままだ。
 このため、人民銀が銀行から強制的に資金を預かる比率を引き上げて市場にでる資金を吸い上げるなど、物価や不動産価格を抑制する金融政策をとっている。備蓄品を放出し、値上がりを待つ買いだめや価格の吊り上げ行為を取り締まる政策も打ち出している。

 それでも消費者物価指数は10月に前年同月比4.4パーセント上昇、約2年ぶりの高い伸び率を記録した。11月も前年同月より4%以上伸びることは確実で、政府が通年の目標とする3㌫を上回る状態が続く、油の値段や、電気などの料金も国際価格の上昇を受けて上がり気味だ。物価の上昇率を預金金利が下回る「マイナス金利」が長く、預金者の不満はたまっている。(中略) 1日発表された製造業の景況感を示す「製造業購買担当者景気指数」は4ヶ月続けて改善するなど企業の生産活動は活発だ。高い成長力から、米国など世界的な金融緩和でだぶついた資金が中国市場に流入している。
 中国は輸出競争力を維持するため人民元相場を低く抑えようと、元を売ってドルを買う市場介入を続けている。このため、市中に流通する資金は常に過剰気味で、物価の押し上げ圧力になっている。

 この記事から見えるものは、輸出で稼いだドル通貨は自国通貨を低く抑えるためにドル買いの資金となり人民元を市中にばら撒く結果となっている。
 この結果民間が輸出で手に入れた人民元は値上がりするものを購入する資金に回すか、もしくは銀行に預金するかのどちらかだといえる。
 
 前者であればより物価高騰を招く結果となる。また後者を考えるなら銀行は預けられた預金をそのままにしておくわけにはいかず、運用益を稼ぐためできるだけ貸し出しをしたい。預金金利が高くなればなるほどそのまま手元に置いとくわけにはいかず、貸し出しに走ることになる。

 かつての日本がそうだった。預かった金利が高いため「借り手くれ、借り手くれ」を繰り返し結果的にインフレが終息したと同時に不良債権の山を築いてしまった。

 預金金利が低ければ貸し出しをしないで、国債でも買っておけば一番安全だと考えて銀行は貸し出しをしない。逆にインフレ感から預金金利が上がっていけば、運用益を稼がなくてはならないから無理に貸し出しをする。

 現在の中国は後者の段階だと見える。また今までは日本人個人が中国に預金はできなかったが最近は「人民元預金特別キャンペーン」なるものをロンドンに本部を置く世界最大級の銀行グループ、(そのような広告)『HSBC』という銀行が世界から資金を集めている。最初に出た広告では1000万円以上の預金であったが、最近の広告では500万円からに下がってきた。

 この動きは何なのであろうか。だぶついた金を政府が預金準備率という名目で市中からカネを吸い上げる。その逆に民間は今まで外国からの預金を受付けなかったのに金を外国から集めている。

 預金準備率を引き上げたから分母となる資金を拡大させていく。ここにはまだ貸し出しをストップさせないぞという銀行側の気持ちがあるような気がする。

 つまり結論はよりバブルを警戒するあまり、逆にバブルを膨らませるという結果になっているように見える。かつての日本もそうであった。

 だがバブルは何時かは崩壊する。



貨幣が持つ保存機能の制限

2010-12-04 05:39:24 | Weblog

 いかに貨幣から保存機能を分離させていくかということになる。
つまり通常貨幣(お金)を物の購入と自己の労働の対価(ここには税金の使い道として公の仕事に従事する人件費も含む)として受け取る。
お金にはこれだけでも充分社会が機能することができるが、また今までの地域通貨としての考え方はここにあるといえる。

 ではどのように保存機能に制限を加えることができるかということになる。
預金の利息、株式の配当、投資に対するリターン、

 11月27日の朝日新聞9面に3分の2の紙面を使いカラー刷り、池上彰氏解説による株式についてという広告が載っていた。

 株式とは
 まずは株式というものから考えていきましょう。
新しい仕事を始めたいと思っている人がいるとします。だけど自分だけのお金では足りない。どうしよう。
その時に他人からお金を出してもらって新しい仕事をしようと考えたとします。お金を出してくれた人に、出してくれた証拠として渡すものが、株式です。
(中略) 

 株式会社は集まったお金を使って一生懸命仕事をし、利益を出そうとします。そして利益が出ればその一部をお金を出してくれた株主に分け前として渡します。これを配当といいます。

 後は株式市場で売り買いをするという趣旨が書かれている。

 これらを考えたとき、二つの方法が思いつく。一つは会社というかたちで投資家から資金を集め商品を作り出し販売していく方法。そしてもう一つは株式を発行するという形ではなく国有化という方法。後者は社会主義ということになる。このどちらかを選ばなくてはならないとしたら、人が労働をする場(企業)を国有化するのが良いのか、株式を発行して多くの人から資金を集め企業を運営していく方法が良いのか。

 ただ国有化の失敗はかっての社会主義国での失敗から数多く見ている。そこから人々は企業の国有化にはアレルギーがあるのではないだろうか。
他に道がないとしたら、現在の株式という方法で資金を集め会社経営をしていくという方法が良いのではないかと考える。

 ただし、そこには資金の出し手は社会のためということでボランティア精神を求められることになる。つまり金銭欲から出発したリターンを求めない。あくまでも自分を入れた社会のために資金を供給するということになる。

 池上彰氏が広告で書かれていたことは人間の欲望に訴え所得格差を助長する文面、つまり現在の資本主義立場を明快にしたものといえる。