書くべきか書かざるべきか、今心が揺れ動いています。それは今書こうとしている私のこの文章です。それは私の愚痴ですから。
現在フェイスブックに関心があり、パソコンを開くとついメールを確認し書いてしまうということになります。書いていれば当然のこと一日の大半の時間(これは私だけではないと思う)をとられ他の勉強が疎かになっていく。暫く返信をしないでこのブログを書くことに専念しなくてはならないという両方の心の葛藤です。フェイスブックでのやり取りは、たわいの無い(失礼)会話であり気が楽であり、ある意味皆さんの会話を聞いているだけでも楽しいのですが、いつの間にか時間が経ってしまう。そしてやがてこれでいいのかという心の叫びが聞こえてきます。
まだ書かなくてはならないこと、どのような過程で経済が崩壊するのか(もう世界では崩壊しかかっている)の原因を書いていくこと。そしてできればケインズが考えた経済のあり方。結果的には失敗に終わっているが、なぜ失敗したのかを、そしてどこに失敗の原因とその結果(世界的な国債の発行)掘り下げれば掘り下げるほど色々なことが見えてきます。そこで安易な道、気楽な道としてのフェイスブックにはまるか、そちらを控えて苦しい道(頭を使う)に進めるか。それが現在の悩みです。たぶんここで心境を書いたということはこのブログを大事にしていくという決心がついたからでしょう。
もうひとつ書かせてもらえば最近の政治の動きとしての大阪市長の橋下さんのこと、現在は皆さん黙っていますがある意味良識のある方でしたらそこに何かを感じているのではないでしょうか。現在の混沌とした日本の政治情勢、その中で橋下さんのような方が出てもおかしくない状況ですが、私はそこに大きな危惧を感じています。それはある意味教育者同士の中で密告者を育てている。反体制者を密告をさせ消していこうとしている。これが大きな政治の世界に持ち込まれたら、日本は中国・朝鮮にも劣る社会になるのではないかということです。私は家内とツアーで中国旅行で天安門広場に行ったときです、一人の老人に近い男が自転車で私たちのところへ来て何か手渡そうとしました。それは1枚のビラでした。それを受け取ろうとしたとき、これも自転車で来た公安らしき人がビラとともに手渡そうとした老人を取り押さえ連れて行きました。つまり表現の自由・言論の自由が無い社会だとそのとき身近に感じました。
もし私がその時の写真を撮っていたなら、無事で帰れなかったでしょう。一枚のビラを貰っていたらそのビラを取り上げられただけで返されたのでしょうか。後で調べてみると公安がその老人を監視していた。その老人がビラを配るであろう事を察知していた。そこには住民同士の監視体制が出来上がっている。体制側のスパイがそこら中にいる社会だと痛感させられた瞬間でした。
日本もたとえどのようなことがあってもそのような密告者を育てる社会にはなってほしくないと感じます。あなたの隣にスパイがいる社会。政治的な発言が自由にできない社会がそこにはある。そのような社会にはしたくないものです。
それからもう一つ気になることは橋下市長さんの首相公選制のことですが。公選ということは国民が選挙で首相を選ぶことです。確かに選挙で首相を選べば、今の首相よりも権限が強く世界でも、すぐ変わってしまう日本の政治家よりは、日本を世界にアッピールできるわけです。ですがそこに問題があります。首相が国民に選挙で選ばれたとき、天皇の立場はどうなるのでしょうか、世襲性の中で象徴としての天皇制、方や国民の大合唱の中で選ばれた首相。首相公選が当たり前になり時間が経過した状態で天皇制はどうなるのでしょうか、橋下さんはこのことを深く考えて発言しているのでしょうか。それとも維新の会としての打ち上げで言っているだけで、やがては小泉さんのように萎んでしまうことを想定しているのでしょうか。
現在フェイスブックに関心があり、パソコンを開くとついメールを確認し書いてしまうということになります。書いていれば当然のこと一日の大半の時間(これは私だけではないと思う)をとられ他の勉強が疎かになっていく。暫く返信をしないでこのブログを書くことに専念しなくてはならないという両方の心の葛藤です。フェイスブックでのやり取りは、たわいの無い(失礼)会話であり気が楽であり、ある意味皆さんの会話を聞いているだけでも楽しいのですが、いつの間にか時間が経ってしまう。そしてやがてこれでいいのかという心の叫びが聞こえてきます。
まだ書かなくてはならないこと、どのような過程で経済が崩壊するのか(もう世界では崩壊しかかっている)の原因を書いていくこと。そしてできればケインズが考えた経済のあり方。結果的には失敗に終わっているが、なぜ失敗したのかを、そしてどこに失敗の原因とその結果(世界的な国債の発行)掘り下げれば掘り下げるほど色々なことが見えてきます。そこで安易な道、気楽な道としてのフェイスブックにはまるか、そちらを控えて苦しい道(頭を使う)に進めるか。それが現在の悩みです。たぶんここで心境を書いたということはこのブログを大事にしていくという決心がついたからでしょう。
もうひとつ書かせてもらえば最近の政治の動きとしての大阪市長の橋下さんのこと、現在は皆さん黙っていますがある意味良識のある方でしたらそこに何かを感じているのではないでしょうか。現在の混沌とした日本の政治情勢、その中で橋下さんのような方が出てもおかしくない状況ですが、私はそこに大きな危惧を感じています。それはある意味教育者同士の中で密告者を育てている。反体制者を密告をさせ消していこうとしている。これが大きな政治の世界に持ち込まれたら、日本は中国・朝鮮にも劣る社会になるのではないかということです。私は家内とツアーで中国旅行で天安門広場に行ったときです、一人の老人に近い男が自転車で私たちのところへ来て何か手渡そうとしました。それは1枚のビラでした。それを受け取ろうとしたとき、これも自転車で来た公安らしき人がビラとともに手渡そうとした老人を取り押さえ連れて行きました。つまり表現の自由・言論の自由が無い社会だとそのとき身近に感じました。
もし私がその時の写真を撮っていたなら、無事で帰れなかったでしょう。一枚のビラを貰っていたらそのビラを取り上げられただけで返されたのでしょうか。後で調べてみると公安がその老人を監視していた。その老人がビラを配るであろう事を察知していた。そこには住民同士の監視体制が出来上がっている。体制側のスパイがそこら中にいる社会だと痛感させられた瞬間でした。
日本もたとえどのようなことがあってもそのような密告者を育てる社会にはなってほしくないと感じます。あなたの隣にスパイがいる社会。政治的な発言が自由にできない社会がそこにはある。そのような社会にはしたくないものです。
それからもう一つ気になることは橋下市長さんの首相公選制のことですが。公選ということは国民が選挙で首相を選ぶことです。確かに選挙で首相を選べば、今の首相よりも権限が強く世界でも、すぐ変わってしまう日本の政治家よりは、日本を世界にアッピールできるわけです。ですがそこに問題があります。首相が国民に選挙で選ばれたとき、天皇の立場はどうなるのでしょうか、世襲性の中で象徴としての天皇制、方や国民の大合唱の中で選ばれた首相。首相公選が当たり前になり時間が経過した状態で天皇制はどうなるのでしょうか、橋下さんはこのことを深く考えて発言しているのでしょうか。それとも維新の会としての打ち上げで言っているだけで、やがては小泉さんのように萎んでしまうことを想定しているのでしょうか。