楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

貧富の差の起源 Ⅳ 書き足りなかった部分

2016-03-09 14:42:33 | Weblog
 なぜこのような人によっては原始社会といえる縄文時代を取り上げたのかというと、1万年前後継続した社会にかかわらず貧富の差のない社会(住居址もほぼ同じ大きさ)
 ある意味考えてみれば人間の本質的な性質が平等(貧富の差のない)な社会生活を望んでいるのではないかということを訴えたかった。
 
 いくばくかの副葬品があったとしてもそこに階級社会という段階で考えるのはおかしいと思われる。それは家族関係の頂点としての長老に対する敬意であり、階層社会といえるものだと考えられる。

 海を間にして大陸から隔絶された社会、そこをより深く探っていけば貴重な問題提起、未来社会はこう生きるべきだという回答が出てくると思われる。

 これから貨幣を書いていくが今の時代日々食う事に事欠いている人々がいる半面、貨幣をゲーム感覚で操り資産に、より多くのゼロが並ぶこと(共和党候補のトランプ氏)に快楽といえるものを感じている人もいる。
 

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
引用文 原始共産社会 (楢篠賢司)
2016-03-12 13:53:07
 縄文時代は狩猟採集社会であった。そこから以下のエンゲルスの考え方は間違いであると思われる。

 Wikipedia より引用
 フリードリヒ・エンゲルスによって『家族・私有財産・国家の起源』の中で叙述された

 原始共産制のモデルは人類の初期の社会である狩猟採集社会に見られ、そこには階級支配は無く、富の余剰も作成されない[2]。更にいくつかの原始社会では食料や衣服などの全てが共有され、「共産主義」の目標に関連した特徴が含まれている。それは私有制以前の社会の自発性であり、共産主義が焦点とする平等主義の系列でもある。
原始共産制の社会では、健全な身体を持つ全ての人間は食料の獲得に従事し、狩猟や収集により産み出されたものを全員が共有する。原始的な社会では産み出されたものは即座に消費されるため、余剰は産み出されず、衣服などの個人的な物品を除けば私有財産はほとんど存在しなかったであろう。長い時間存在したものは道具や家などわずかであり、それらは共同で保持された[3]。そして国家は存在しなかったであろう。
返信する

コメントを投稿